日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

餅つき

2021年12月11日 | 回想

 餅つきの歌、「ぺったん ぺったん お餅つき」だけは知っていたが、なんと数多くあることを知り、その内容から、長く日本人の庶民生活に密着した待ちどおしい歳末の決まり事だったのだろうと思いをいたす。しかし、20年くらい前に帰省した孫のために、餅つき機を借りて作った事があるだけで、我が家の餅つきは半世紀上前から止まっている。

 子どものころには親戚数軒が我が家でついていた。ひと臼目は白いひら餅。石臼が温かくなったふた臼目はお鏡、これは祖母の独占作業、何十という目が見守る中で絵に描いたように均一な形に丸めあげていた。その後は白い餅、豆餅、ヨモギ餅など何種類かが完成していた。そのころは祖父がつき手を1人でこなしていた。私が中学生になると祖父から私に変わった。父は仕事で留守、帰宅し並んだ餅を見て満足そうだった。

 我が家の餅つきは2度、初めは年末、2度目は量は少ないが旧正月にも餅つきをしていた。今は年中、食べたいと思えば、柔らかい餅が店で購入でき、餅という特別な感覚は薄れた。我が家に長年奉公してくれた石臼とそれを乗せる台、杵、蒸し器など一式はある施設に引き取られた。

 餅つきといえば祖母の魔法のような手さばきを思い出す。どんな餅でも両方の手のひらを使い1度に2個作り上げる。その形が同じ、子どもの作った形の悪い物はもみなをし喜ばせた。餅は食料兼おやつでもあった。中でも餡もちは格別だった。餅つきはしなくなったが、元日朝の雑煮は欠かさずいただいている。餅をつく音を聞いていろいろ思い出した。
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川柳は面白い

2021年12月10日 | 生活・ニュース

 報道の映像は紅葉の秋から降雪や冠雪に変わり、寒さ到来に変わった。都会の街を行き交う人らの装いもすっかり冬に変わった。寒さ対策として、電気に灯油にガスの値上がりで暖房費節約対策として着こんで過ごすという。その話題に川柳好きな人が、それは貧乏くさい、明るく「エコな生活」をしてるのだと、柳人らしい解釈でみんなを笑わせた。

 「起きれない 布団と体が くっついて」(小学5年 男)、子ども5・7・5に載った一句。寒い朝の起きにくい様子が子どもならずとも伝わる。私は紙面の川柳愛好家でいつも熱心に読んでいる。知人の作品に出会うと、往年の人柄を思い出し、川柳の力がこうも変えさせたのかとその隠された力に感心しながら観賞する。

 川柳を読んだ感想は、物事の神髄をズバリ、政治や社会の矛盾を風刺、人の生活や心理、情など複雑な様子をわずか17文字で表現している。俳句も17文字だが、こちらは季語を入れる約束ごとがあるが、川柳にはそうした約束事がないだけに単刀直入で詠まれているところが小気味良い。

 散歩の途中に、まだその色あせない紅葉が塀の上に構えている家がある。外から見ると塀の瓦が支えているようで、瓦にあっぱれをあげたい。「紅葉など 見る暇なしの この重さ」が瓦の気持ちではと指を折る。「川柳に 読まれて瓦 落ち葉待つ」。せかっく歩きながらメモしたので記しておくで、笑わないで。今日そばを通ったら紅葉は少し軽くなっていた。
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日々何か目標

2021年12月09日 | エッセイサロン
2021年12月9日 中国新聞セレクト「ひといき」掲載

 81歳になって、自動車運転免許の更新を済ませた。ゴールド免許を汚さないよう、続けてきた安全運転の心掛けを改めて自分自身に言い聞かせた。
 十数年前、元の職場OB会でI人の先輩が「80歳を過ぎたら体も気持ちも、自らしゃんとせんといかん。そうでないと、ついつい気持ちが年齢負けする」と言われた。当時は、自分はその年齢までまだある、と聞き流していた。今は思い出すたび、じわっと意味深く胸に染みる。
 70代半ばまで、80代は自分より一クラス上の世代、と考えていた。ところが80代が近づくにつれ、何かにつけて行動に気を配るようになったと気付いた。
 消極的な心境からではなかった。自分の身を守る気遣いと、他人に迷惑を掛けてはいけないという私のモットーからだ。80代は1年経験しただけだが、日々の生活の中で、そんな気持ちが定着してきた。
 年齢を重ねれば、身体の衰えには逆らえない。しかしそのことに流されて、漫然と生活するのでなく、何か目標を持ち、毎日の生活への支えにする。先輩はそんな様子を中国新聞の広場欄に投稿していた。
 それらを思い出し、私も家事や散歩などを中心に体を動かすようにしている。
 日々、楽しみとして続けている投稿が、16年目に入った。見たり思ったり感じたりしたことを、飾らずに自分の言葉で書いてきた。投稿の掲載が300編に達したら、2冊目の自費出版をしたい。今、そんな夢を持っている。
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80年前の暗号電文

2021年12月08日 | 社会 政治

 80年前の今日、日本は太平洋戦争を始めた。その結果は悲惨な結果を招いた。報道は80年という節目に当たり多様な報道がされている。その戦争が終わって76年、世界情勢はまかり間違えば戦火という炎が立ちのぼるかもしれないと感じるせめぎ合いが起きている。双方に言い分はあるようだが、戦火は絶対に避けるべきだ。

 あの真珠湾攻撃を命ずる「ニイタカヤマノボレ1208」の暗号電文が、連合艦隊旗艦の長門から発信されたのは、当市の沖合にある柱島周辺だった。それを知ったのは10年前の購読紙。柱島周辺は戦時中、多くの艦船が停泊し柱島泊地と呼ばれたという。瀬戸内海の小さな島の周辺から発信された暗号電文が開戦の幕開けとなったことには複雑な思いを抱いている。

 核兵器を含む世界の軍備は進歩しなくてもいいのに著しい進歩を遂げている。武器はAIの判断で敵を攻撃出るほどになっているという。子どもの考えと笑われるのだが、戦をしない武器を用いないで平和な地上を築くことは本当に出来ないのだろうか。被爆国日本の首相は「話を聞くこと」が得意という。在任中は武器のない世界のために車座で話を聞いて欲しい。

 経済も教育も、地球上のすべての働きの基礎にあるのは平和があって成り立つ。世界の指導者も国民も戦争を知らない、経験のない人が多くなった。核兵器廃絶をはじめとする世界平和へ貢献するのは世界で唯一の被爆国たる日本だと思う。被爆地広島選出の岸田首相への期待は大きい。在任中に平和構築への強いリーダーシップを期待して已まない。
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お願いします

2021年12月07日 | 地域

 3年ほど住まわれ、2カ月ほど前に東北地方へ転勤された岩国基地勤務の米国人一家。日頃は全く交わりがなく引っ越しされる時に初めて言葉を交わした。続いて入居がなく空いていた。昼間はそれほどでもないが、日が暮れるとやはり物寂しい感じで見ていたが、先日、大型の運送車が止まり荷物の搬入がありほっとしていた。

 それから2,3日過ぎて玄関のチャイムが鳴る。応対に出るとマスク着用の若い二人ずれの外国の人が立っている。女性の方が「こちらに引っ越してきました。宜しくお願いします」と、越してきた家を指しながら、外国人らしい日本語で話し、お辞儀、そして1枚の紙を差し出した。綺麗な紅葉の写真を添えた日本文が載っている。

 それには「妻と2人で引っ越してきました。岩国基地に軍属民間人として勤務して、市内には4年前から住んでいる。日本の生活習慣に関しては多少の理解をしているつもりだが、ご迷惑をお掛けすることもあるかと存じますが、妻も私もこちらでの生活を非常に楽しみにしています。どうぞよろしくお願いしま」、二人の名前を記した、こんな内容だった。

 読み終わって「よくわかりました。仲良くやりましょう」と挨拶をした。「日本語が上手でないので」あいさつ文にしたと奥さんの話し。「チョコレートですが」と「GODIVA」の包をだされた。多少の理解をしているという日本の習慣を実践され、驚き戸惑いながら受け取った。いい感じの30代くらいの隣人、出会えば言葉が交わせそうだ。しかし、3年したら戻ってきます、と関東地区へ転勤した家主はいつ戻ってこれるのだろうか。
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思い出せる幸せ

2021年12月06日 | エッセイサロン
2021年12月6日 中国新聞文芸「詩壇」掲載



柔らかい日もそうでない日も
多い日もそうでない日も
居心地がいいからと出渋る日も
朝の個室で健康確認

六十五歳になったとき
家庭医が潜血検査を薦める
年一回の検査で数年過ぎたころ
思ってもいなかった内視鏡検査に
結果は初期の大腸がんが見つかる

人生初めての手術
患部を切断除去した
手術は完璧でした
写真を見せながら医師の説明

それから五年は定期検診
おめでとうございます完治です
定検終了と医師の太鼓判
院外の澄んだ秋の空気を
胸いっぱい吸い込んだ
数匹の赤トンボが祝ってくれた

さらに五年が過ぎる
マーカー検査で経過観察は続く
異常な値は現れていない
あの時の腸管洗浄剤の飲みづらさ
今はなつかしい思い出

今朝も元気に感謝している

  「評」最初に読んだとき一連目の意味がわからなかったが、わかったあ
 とくすりと笑った。少しユーモラスに始まるが、真面目で深刻。「定検終了」
 に読者も安堵する。赤トンボが目の前を横切ったのは祝福であり、心配だっ
 た日々は「思い出せる幸せ」であるという受け止め方に、心を動かされた。
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投稿のマナー

2021年12月05日 | 生活・ニュース

 新聞投稿を楽しんでいる一人です。投稿のほとんどは身の回りで発生したことで、格調高い内容は書けないでいるが、掲載されると年齢に関係なく嬉しい。読んだよ、という声は次への励ましにもなる。行動範囲が年と共に狭くなっているが、それでも関心や興味を示すことに出会えるとメモをしたり写真に残している。

 そんなことで、購読の新聞2紙に掲載された読者投稿は見落とさないように読んでいる。すると男女、年齢、生活環境など類似の事でもとらえ方が違うと表現が異なることがあり、参考になる。しかし、いざ書くとなると思うようにはキーが打てない。まだまだ進歩が足りないとデリートキーを打ちながら苦笑する。

 そんな楽しみにしている投稿欄で目を疑うことがあった。内容は、元教師というひとが、教え子がいつまでも慕ってくれることを喜びとする内容、いい先生だったんだと読んだ。ところが、しばらくして別の新聞に同じ内容で元教師の投稿が掲載された。どう思っても投稿マナーを外れている。知り合いの記者に聞くと「たまにあります」と答えがあった。

 どんな投稿募集にも「二重投稿はダメ」、と募集要領には載っている。複数の新聞へ同一内容を投稿、職歴からしても納得できない。先の記者は「投稿したがなかなか載らない、ということで他紙に投稿」があり、二重掲載になることがあるそうだ。私も没だろうと思っていた投稿が2カ月くらいして採用されたことがある。こっちがダメならあっちへ、はどうだろうかと思う。
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ケーキとイチゴ

2021年12月04日 | 自然 季節

 クリスマスには欠かせない物のひとつにケーキがある。その物はクリスマスに用いるデコレーションケーキと呼ばれる。家庭用には買ったが、ケーキは私の口にしない物のひとつで味わったことがあったかどうか定かでない。店頭では注文たまわりますの掲示が並ぶ。

 そのクリスマスケーキの飾り付けに欠かせないひとつに「イチゴ」がある。店頭のサンプルにも大きくてよく熟れた見事なイチゴがのせてある。ある年、関西以西でイチゴの大凶作となったことがある。どこから情報を得たのか、神戸の有名なケーキ店の担当者が鞄一杯に詰めた札束を見せ「これで売れるだけのイチゴを分けて欲しい」とクリスマス前に知り合いの農家にやってきた。日頃の取引先と約束があるからと断ったことを聞いた。

 その農家は露地栽培でなく大型ハウスに当時、新開発された冠水チューブを用いて栽培をされていた。「近くでイチゴが獲れるのはうちのハウスだけ」と、札束の話しの前に聞いていたが、その後でケーキとイチゴの重大な関係を知った。

 ミカン、干し柿、イチジク、桃などに似せた和菓子が出された。それぞれがお好みの菓子を口にした。感想は「見かけや外観だけでなく、それぞれがそれぞれの味になっている」ということだった。職人の腕前だろうが、外観はともかく味つけには相当な工夫をされているのかな、撮ったミカンの1枚を見ながら思い返す。菓子やケーキ、食べる人の幸せを感じさせるのは素材もだが、それを閉じ込めるスキルが素晴らしい。
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外見に差なし

2021年12月03日 | 生活・ニュース

 冬の味覚と言えば「カニ、牡蠣、河豚、あんこう、海老」が上位にランクされるが、海の幸が主役のようだ。中でもカニが1位という。カニと言えば、昔の話になるが、カニを食べるために職場仲間と有名な鳥取県賀露に一泊で出かけた。漁港近くの旅館で夕食に朝食とカニを堪能したのが、これまででカニについての唯一の贅沢になる。

 定年後は高値で、この季節の本物のカニを口にすることはなくなった。そこで登場するのが「かにかま」、始めえてみた時は本物のカニと見間違えた。蒲鉾という文字がなければ綺麗に騙されていた。登場したのは昭和40年代の後半というから半世紀近くになる。この間、カニに近づける製法も味も、最適な魚種も研究されてきた。

 先日、今冬はカニが一段と高値で「カニすき鍋」は手が出せない。代わりに「かにかま」が代役を引き受けている。「知らなかったら本物のカニと思うかも」というのは食した人のレポート、高評価に驚いたが、色や形は本物そっくりで区別で出来ないとか。

 味はこれからだが「ほぼタラバガニ 焼いてもお鍋にも」、「ほぼカニ カニではありません しゃぶしゃぶ鍋に」のラベルのついた二つの製品がずらり並んでいる。「ほぼ」は租または略と書いて「おおかた、おおよそ」などの意味がある。それを承知してカニの味と感ずれば庶民の味として受け入れられる。コロナの規制緩和が解けたら新種の変異株で先行きおぼつかない。この「ほぼカニ」なら家庭でも簡単に楽しめそうだが、お味は鍋奉行の腕にかかる。
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くぐしの白い煙

2021年12月02日 | 地域

 坂の上の向こうに白い煙が立ちのぼっているのが見える。乾燥注意報発令下の野火ではと思い、火元の見えるとこまで急ぐ。野火ではなく畑での「くぐし」だった。久しぶりに見る光景なので撮っておこうと、相棒の手のひらサイズのデジカメを向ける。

 あいにく風が強くて、白い煙は四方八方、上下左右と白いバレリーナのように舞い、いい構図にならない。気ままな風に任せてしばらく待っていると仰角45度の方向に煙がのぼり始めた。シャッターを押す一瞬だけで、風の向きはすぐに変わった。その一瞬は、私の撮る姿勢に根負けした風が恵んでくれた粋な計らいだった。

 「くぐし」は子どもの頃から知っていた。畑作業ではしょっちゅう「くぐし」をしていた。これは通用する言葉なのかと調べるが手持ちの3種類の辞書には載っていない。ネットで検索すると「日本焚火学会」にその記載があった。「刈った草を燃やすもの」と短い説明、私の経験も説明の通りで、周囲に火が広がらないように気を付けていた。

 学会の記載に枯れ草は焚くな、とある。特に風の強い日には飛び火で思わぬ災害になる。私は会社勤めの日曜農作業、刈ったらその日にくぐしていた。機械化され広い農地では、日本農業の原点に通じる「くぐし」の煙は立ちのぼらないだろう。風に舞う白い煙を眺めながら、何昔も前のことと合わせいろいろと思う。
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