『君に叱られた』。
なかなかキャッチーなタイトルだ。自分の欠点をちゃんと指摘して叱ってくれて嬉しい、というお惚気ソングなのは予想通りの内容。それでも軽快な曲調にマッチしていて、楽しくなる楽曲だ。
叱られた状況は、電車の中で「僕のどこが間違っているんだ?」と大きな声を出した「僕」に対し、「君」が、「他人の意見を聴こうとせず」「自分の意見を押し付け」「世界を狭くしてどうするの?」と冷静に諭したのだ。残念なのは、「僕」が主張した意見とはどんな内容だったのかが描かれていないので、具体性に欠き、抽象的な歌詞になっていることだ。
想像するしかないが、「僕」の意見は、例えば「史上最高のミュージシャンはビートルズに決まっている」だったとか、「缶ビールを缶からそのまま飲むと金属の味がして不味い」だったとか、「ワクチンは全国民が打つべきだ」だったとか、色々考えられる。もちろん、素晴らしいミュージシャンは沢山いて、誰が最高かは人によって違う。グラスを用意できない場面で缶からビールを飲むこともあり、金属の味がするかどうかは人の味覚によって差がある。ワクチンを打ちたくない人、打てない人も存在し、その人たちの権利も尊重するべきだ。
自分と違う意見もありえることを想定し、常に謙虚でいられる人になりたい。そういうことに気づかせてくれた「君」が近くにいてくれたことは、「僕」にとって幸いなことだろう。おかげで裸の王様にならずに済んだ。
『マシンガンレイン』。
許されない恋愛を「大人たち」に咎められ、感情を荒立てている歌だ。激しい雨に打たれて、2人どうなってもいいと歌っている。激しい曲調の曲だ。
許されない愛とは、教師と生徒の愛だと2番の最初で明かされる。そこで少し驚く。「大人たち」と言っているから、主人公は未成年かと思いきや、教師なのだ。少なくとも教員免許を持っているのなら立派な大人ではないか。
教師と生徒の恋愛は、「奥様は18歳」や「高校教師」などのドラマでも再々描かれて来た。それなのに「今の時代のせいか 歪な正義に糾弾される」というフレーズに違和感がある。今の時代だけでなく、いつの時代も禁断の恋愛とされて来たのではなかったか。ただ「歪な正義」という言葉には現代を感じる。様々な話題に対するネット上での過激な言葉での糾弾を目にすると、自分の正義を唯一絶対の正義と信じて疑わない人が増えているのかもしれない。
『泥だらけ』。
「泥だらけ」とは、乃木坂46に最も似つかわしくない言葉ではないか。それを敢えて歌わせるところに妙味がある。
「泥だらけになればこれ以上汚れない」というのは、確かにその通りだ。聴いていて清々しくなる曲だ。
曲調はストレートなロック。『空耳ロック』『僕たちの地球』などを思い出す。
『他人のそら似』。
ストーリーのある歌詞で惹きつけられる。曲調も軽快で、どんどん引き込まれる。
スーパーのレジの列で、前に並んでいる彼女にどこかで会ったことがあるのだが、誰なのか思い出せない。君は一体誰なんだ?そういう自問自答だけで、2コーラス目まで引っ張って行く作詞術はさすがだ。
曲の終盤、大サビではじめて謎解きが示されるが、それが私には今一つしっくり来なかった。彼女に会ったのは過去じゃなくて未来。つまり運命の人に出会ったのだ、というもの。AKB48『BINGO』や渡辺麻友『未来の恋人』に通じるような世界観だが、謎解きの回答としては肩透かしを食ったような気がした。
楽しい曲には違いないのだが。
『私の色』。
高山一実のソロ曲。卒業ソングということになるのだろう。
高山一実はバラエティーでもよく見かけるし、小説も出版している。卒業しても多彩な活躍が期待できるだろう。
この卒業ソングもしっとりしたバラードで好感が持てる。本人も気持ちよく歌っているように聴こえる。
「世界はいくつもの色が混ざって一つになっている。じゃあ私は何色だろう?」の「じゃあ」がいい。私は〇〇色だと主張するのではなく、客観的に一歩引いて自分自身を見ている。何色なのかと自分でもまだ分からないけど、自分らしく輝いて行きたいという決意表明は、驕らず、卑下せず、謙虚に堂々と前を向いている。
『もしも心が透明なら』。
ハイセンスなユニット曲。シャンソンのような曲調で、ささやくような歌唱は特徴的。
しかし歌詞の内容は子供っぽい。好きな気持ちを隠してしまう自分に対して、心が透明で誰からもバレバレでいいからストレートに伝えられたらいいのにといった内容だ。『心のプラカード』と同じだ。
『やさしいだけなら』。
この曲を一言で表現するなら「ムード歌謡」だ。私はちょっと苦手な世界だ。
なかなかキャッチーなタイトルだ。自分の欠点をちゃんと指摘して叱ってくれて嬉しい、というお惚気ソングなのは予想通りの内容。それでも軽快な曲調にマッチしていて、楽しくなる楽曲だ。
叱られた状況は、電車の中で「僕のどこが間違っているんだ?」と大きな声を出した「僕」に対し、「君」が、「他人の意見を聴こうとせず」「自分の意見を押し付け」「世界を狭くしてどうするの?」と冷静に諭したのだ。残念なのは、「僕」が主張した意見とはどんな内容だったのかが描かれていないので、具体性に欠き、抽象的な歌詞になっていることだ。
想像するしかないが、「僕」の意見は、例えば「史上最高のミュージシャンはビートルズに決まっている」だったとか、「缶ビールを缶からそのまま飲むと金属の味がして不味い」だったとか、「ワクチンは全国民が打つべきだ」だったとか、色々考えられる。もちろん、素晴らしいミュージシャンは沢山いて、誰が最高かは人によって違う。グラスを用意できない場面で缶からビールを飲むこともあり、金属の味がするかどうかは人の味覚によって差がある。ワクチンを打ちたくない人、打てない人も存在し、その人たちの権利も尊重するべきだ。
自分と違う意見もありえることを想定し、常に謙虚でいられる人になりたい。そういうことに気づかせてくれた「君」が近くにいてくれたことは、「僕」にとって幸いなことだろう。おかげで裸の王様にならずに済んだ。
『マシンガンレイン』。
許されない恋愛を「大人たち」に咎められ、感情を荒立てている歌だ。激しい雨に打たれて、2人どうなってもいいと歌っている。激しい曲調の曲だ。
許されない愛とは、教師と生徒の愛だと2番の最初で明かされる。そこで少し驚く。「大人たち」と言っているから、主人公は未成年かと思いきや、教師なのだ。少なくとも教員免許を持っているのなら立派な大人ではないか。
教師と生徒の恋愛は、「奥様は18歳」や「高校教師」などのドラマでも再々描かれて来た。それなのに「今の時代のせいか 歪な正義に糾弾される」というフレーズに違和感がある。今の時代だけでなく、いつの時代も禁断の恋愛とされて来たのではなかったか。ただ「歪な正義」という言葉には現代を感じる。様々な話題に対するネット上での過激な言葉での糾弾を目にすると、自分の正義を唯一絶対の正義と信じて疑わない人が増えているのかもしれない。
『泥だらけ』。
「泥だらけ」とは、乃木坂46に最も似つかわしくない言葉ではないか。それを敢えて歌わせるところに妙味がある。
「泥だらけになればこれ以上汚れない」というのは、確かにその通りだ。聴いていて清々しくなる曲だ。
曲調はストレートなロック。『空耳ロック』『僕たちの地球』などを思い出す。
『他人のそら似』。
ストーリーのある歌詞で惹きつけられる。曲調も軽快で、どんどん引き込まれる。
スーパーのレジの列で、前に並んでいる彼女にどこかで会ったことがあるのだが、誰なのか思い出せない。君は一体誰なんだ?そういう自問自答だけで、2コーラス目まで引っ張って行く作詞術はさすがだ。
曲の終盤、大サビではじめて謎解きが示されるが、それが私には今一つしっくり来なかった。彼女に会ったのは過去じゃなくて未来。つまり運命の人に出会ったのだ、というもの。AKB48『BINGO』や渡辺麻友『未来の恋人』に通じるような世界観だが、謎解きの回答としては肩透かしを食ったような気がした。
楽しい曲には違いないのだが。
『私の色』。
高山一実のソロ曲。卒業ソングということになるのだろう。
高山一実はバラエティーでもよく見かけるし、小説も出版している。卒業しても多彩な活躍が期待できるだろう。
この卒業ソングもしっとりしたバラードで好感が持てる。本人も気持ちよく歌っているように聴こえる。
「世界はいくつもの色が混ざって一つになっている。じゃあ私は何色だろう?」の「じゃあ」がいい。私は〇〇色だと主張するのではなく、客観的に一歩引いて自分自身を見ている。何色なのかと自分でもまだ分からないけど、自分らしく輝いて行きたいという決意表明は、驕らず、卑下せず、謙虚に堂々と前を向いている。
『もしも心が透明なら』。
ハイセンスなユニット曲。シャンソンのような曲調で、ささやくような歌唱は特徴的。
しかし歌詞の内容は子供っぽい。好きな気持ちを隠してしまう自分に対して、心が透明で誰からもバレバレでいいからストレートに伝えられたらいいのにといった内容だ。『心のプラカード』と同じだ。
『やさしいだけなら』。
この曲を一言で表現するなら「ムード歌謡」だ。私はちょっと苦手な世界だ。