AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

教科書に載せたいアイドル史の300曲③(83年~87年「アイドルがいっぱい」)

2025-02-11 16:37:33 | ときめき研究家
83年から87年頃まで、既出のアイドルに加え新たなアイドルも多数現れて活躍し、アイドルポップの全盛期を迎えた。

「花の82年組」が続々とブレイクする中、83年デビューのアイドルは不遇だった。後に自分たちを「不作」と自虐した松本明子(1983デビュー)はそのリーダー格で『♂♀KISS』(1983)はファンキーなデビュー曲。横浜銀蠅の妹分として売り出した岩井小百合(1983デビュー)の『ドリーム・ドリーム・ドリーム』(1983)は、スピード感いっぱい。伊藤麻衣子(1983デビュー)の『微熱かナ』(1983)は脆い感傷を巧みに歌った。森尾由美(1983デビュー)の『お・ね・が・い』(1983)は、可愛らしさを最大限に引き出した名曲。高橋美枝(1983デビュー)の『ひとりぼっちは嫌い』(1983)は『木綿のハカチーフ』に匹敵するような松本隆の力作。ボーイッシュな大沢逸美(1983デビュー)の『ジェームスディーンみたいな女の子』(1983)、金属的なハイトーンの桑田靖子(1983デビュー)の『脱プラトニック』(1983)はいずれも個性的なデビュー曲。ほんわかした徳丸純子(1983デビュー)『PICA PICA』(1983)、吹田明日香(1983デビュー)『2人はMagic』(1984)のチャーミングさも忘れられない。河上幸恵(1983デビュー)は地味だが美しいメロディーの『ブルーエトランゼ』(1983)でデビューし、ロボットとのデュエット曲『ハートのねじ』(1984)にも挑戦した。女優の冨田靖子(1983デビュー)も歌手活動をコツコツ続け、良い曲が多いが、『さびしんぼう』(1985)はショパンの曲をアレンジした映画主題歌。83年組からビッグなアイドルは生まれなかったが、それぞれに輝いていた。

一転して84年は大物がデビューした。80年、82年、84年と、アイドル隔年法則とも言われた。
菊池桃子(1984デビュー)は、『青春のいじわる』(1984)でデビュー。ささやくような声で、当時流行していたオメガトライブの女性版と言える洗練されたサウンドのアルバムを発表。アイドルとしての清楚な可愛らしさは空前絶後、それを失わないまま今日に至っている。『雪に書いたラブレター』(1984)のはかなさはアイドルの刹那性を具象化。一方『Say Yes!』(1986)は元気な応援歌。突然ロックバンドLA-MUのリードボーカルとして『愛は心の仕事です』(1988)を発表して驚かせたが、それも含め近年のシティポップブームで再評価されている。
対照的にアイドルとして疾走し、燃え尽きてしまったのが岡田有希子(1984デビュー)だった。竹内まりやとの相性が良く『ファーストデイト』(1984)、『Dreaming Girl~恋はじめまして』(1984)など正統派アイドル路線を歩んだが、事務所の先輩松田聖子作詞の曲『くちびるネットワーク』(1986)がラストシングルとなってしまった。
荻野目洋子(1984デビュー)は、硬質な声と確かな歌唱力を武器にデビュー曲『未来航海―Sailing―』(1984)をはじめ上質なアイドルポップを歌っていたが、洋楽カバーの『ダンシングヒーロー』(1985)で大ブレイク、『六本木純情派』(1986)などポップシンガーとしての道を歩む。
長山洋子(1984デビュー)もアイドルとしてデビュー、『ヴィーナス』(1986)のような洋楽カバーでも高い歌唱力を示したが、後に演歌に転向し人気歌手となった。渡辺桂子(1984デビュー)の『H・i・r・o・s・h・i』(1984)はレトロっぽい曲だが、ヒロシという名前は芸能界に多い気がする。
84年に歌手デビューした女優は個性派ぞろいだ。安田成美(1984デビュー)の『風の谷のナウシカ』(1984)の危うげな歌唱にはハラハラした。工藤夕貴(1984デビュー)の『野生時代』(1984)はぶっきらぼうな歌い方。沢口靖子(1984デビュー)は小室哲哉作品『Follow Me』(1988)での我が道を行く歌唱が素晴らしかった。角川3人娘の末っ子渡辺典子も映画主題歌などを歌い続けたが、阿木耀子・宇崎竜童コンビの『あこがれ座』(1985)は映画讃歌というべき名曲。
グループアイドルも多彩だった。2人組キララとウララ(1984デビュー)の『センチ・メタル・ボーイ』(1984)はコミカルだが哀愁も感じる不思議な曲。3人組少女隊(1984デビュー)の『Bye Bye ガール』(1985)はオールディズ風。4人組セイントフォー(1984デビュー)の『不思議TOKYOシンデレラ』(1984)は、レオタード姿でのアクロバティックなダンスが独特。フジテレビの深夜番組から生まれた女子大生グループおかわりシスターズ(1984デビュー)の『恋をアンコール』(1984)は爽やかな曲。フジのこの成功は後に女子高生グループのおニャン子クラブへとつながっていく。

85年には「隔年法則」が破られ、続々有望アイドルがデビューした。
中山美穂(1985デビュー)はテレビドラマで人気が出て、その後『ツイてるね、ノッてるね』(1986)、『WAKU WAKUさせて』(1986)などダンサブルなヒット曲を連発した。その後も、歌い上げるバラード『You’re My Only Shinin’ Star』(1988)、WANDSとの共演曲『世界中の誰よりきっと』(1992)など、息長く歌手・女優として活躍した。
斉藤由貴(1985デビュー)の『卒業』(1985)は、作詞家松本隆渾身の卒業ソング。生ぬるい感傷に流されないクールな知性を感じさせる。ドラマチックな『白い炎』(1985)はドラマ「スケバン刑事」の主題歌。その後も玉置浩二作曲の『悲しみよこんにちは』(1986)、井上陽水のカバー『夢の中へ』(1989)など多彩なヒット曲を持つ。
南野陽子(1985デビュー)は二代目「スケバン刑事」だが、神戸育ちのお嬢さんのイメージの方が強い。女友達の恋人への密かな思いを歌う『接近』(1986)、片思いの繊細な思いを歌う『話しかけたかった』(1987)、袴姿の歌唱が記憶に残る『はいからさんが通る』(1987)、幸福な恋人たちの歌『吐息でネット』(1988)などヒット曲も多数。その後も美しさを失うことなく女優として活躍中。
浅香唯(1985デビュー)は、『コンプレックスBANZAI』(1986)などマニア好みの名曲を出しながら、なかなかヒットに恵まれなかったが、三代目「スケバン刑事」でブレイクした。『Believe Again』(1988)、『C-girl』(1988)、『セシル』(1988)とタイプの違う3曲を立て続けにヒットさせた。
芳本美代子(1985デビュー)は、ものすごい歯並びの愛くるしいルックスで、弾むようなポップスの名曲を連発。デビュー曲の『白いバスケットシューズ』(1985)と『青い靴』(1986)は偶然だろうが「色+靴」シリーズになっている。
松本典子(1985デビュー)は、無色透明で強烈な色がないのが個性で、それはデビュー曲『春色のエアメール』(1985)によく表れている。中島みゆきとユーミン、対照的な両者の楽曲をシングル曲として歌えたのはその無色透明さゆえ。しみじみとした『雨と水曜日』(1988)は郵便局の「ふみの日」キャンペーンソング。
佐野量子(1985デビュー)はいっそう地味だが、ほのぼのした癒し系アイドルとして定着。『四月のせいかもしれない』(1987)は、イメージには合わない悲しい別れの歌。井森美幸(1985デビュー)の『99粒の涙』(1985)、志村香(1985デビュー)の『曇りのち晴れ』(1985)、村田恵里(1985デビュー)の『オペラグラスの中でだけ』(1985)も佳曲。
そして本田美奈子(1985デビュー)も85年デビュー。『青い週末』(1985)はブレイク前の素朴な青春ソングだが高い歌唱力が際立つ。『1986年のマリリン』(1986)ではセクシーな魅力を見せつけ大ブレイク。『One-way Generation』(1987)ではタキシード姿のパフォーマンス。後にミュージカルに進んだが、2005年に白血病で逝去。

続く86年、87年デビューからも個性派が出ている。
島田奈美(1986デビュー)は伸びやかな『Free Balloon』(1987)、EPO作詞作曲のキュートな『内気なキューピッド』(1987)がヒット。西村知美(1986デビュー)の『ポケットに太陽』(1987)はほのぼの、水谷麻里(1986デビュー)の『ポキチ・ペキチ・パキチ』(1987)は不思議ソング。山瀬まみ(1986デビュー)の『メロンのためいき』(1986)はユーミン作品で確かな歌唱力が際立つ。真璃子(1986デビュー)の『不良少女にもなれなくて』(1986)はヒューマンな佳曲。
伊藤智恵理(1987デビュー)は長い手足と抜群の歌唱力で『雨に消えたあいつ』(1987)を歌った。伊藤美紀(1987デビュー)の『小娘ハートブレイク』(1987)は飛び上がる振り付けが印象的。立花理佐(1987デビュー)の『疑問』(1987)は少しアナクロっぽい味わい。守谷香(1987デビュー)の『失恋座』(1987)はタイトルとは裏腹になけなしの勇気で恋に踏み出していく歌。
酒井法子(1987デビュー)は、『渚のファンタシィ』(1987)、『1億のスマイル』(1988)など元気な曲が多く、その路線の集大成は『ダイアモンド☆ブルー』(1990)と言える。後にドラマの主題歌『蒼いうさぎ』(1995)をしっとりと聴かせた。

こうした魅力的なアイドル達が活躍しているのと同時に、アイドル界におニャン子クラブ(1985デビュー)の旋風が吹き荒れたのが85年~87年のことである。フジテレビの「夕焼けニャンニャン」のため結成された素人女子高校生集団が、秋元康プロデュースのもと、あれよあれよという間に、大ブームとなった。素人らしさを前面に出したおニャン子は、クラシック音楽で言えば民族音楽を取り入れたドボルザークやグリーグ、シベリウスなどの国民楽派だろうか。
デビュー曲『セーラー服を脱がせないで』(1985)以降、主力メンバーの卒業ソング『じゃあね』(1986)などヒット曲を連発。更に、メンバーが次々にソロやユニットとしてデビューし、ヒットチャートを席巻した。
初期おニャン子の象徴的存在の新田恵利(1986デビュー)の『冬のオペラグラス』(1986)は巧拙を超えた圧倒的なパフォーマンス。そのライバル的な存在で勝気な国生さゆり(1986デビュー)の『バレンタイン・キッス』(1986)は今も冬の定番ソング。フランス人形のような河合その子(1985デビュー)の『青いスタスィオン』(1986)はハイセンス。更に、正統派アイドル渡辺美奈代(1986デビュー)の『PINKのCHAO』(1987)、理知的なキャンパスガールイメージの渡辺満理奈(1986デビュー)の『深呼吸して』(1986)、そしてうしろゆびさされ組(1986デビュー)の個性派への応援歌『うしろゆびさされ組』(1986)など、名曲も多数。
そしてソロデビューの真打ちは工藤静香(1987デビュー)。『禁断のテレパシー』(1987)でソロデビューし、アイドル色の強い『MUGOん、・・・色っぽい』(1988)、ロック色の強い『抱いてくれたらいいのに』(1988)や『嵐の素顔』(1989)などヒット曲を連発し、元おニャン子という肩書は無用の歌手となった。

おニャン子の評価には賛否両論あるが、アイドルの様々な可能性を示した壮大な実験だったことは確かだ。一方で、その実験の余波で、おニャン子解散後は、嵐の去った後のように、全てやりつくした満腹感・虚脱感からか、アイドル全体の活力が徐々に失われていくことになる。(続く)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする