AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

乃木坂46『歩道橋』を聴く。(ときめき研究家)

2024-12-23 20:53:11 | ときめき研究家
年末最後のレビューは乃木坂46の新曲『歩道橋』。
しっとりした曲調で歌い上げる冬らしい楽曲だ。しかし、歌詞を聞いて、どういう状況なのかすぐには理解できなかった。
歩道橋を渡って、向こう側の道を歩くか、それとも渡らずにこのまま歩いていくかを迷っているというような歌詞だ。しかし、同じ道路のどちら側を歩くのかが、そんなに違うのか? 重大な決断を要するような選択なのか? 全くピンと来なかった。

「木枯らしに襟を立てる季節になってもまだ決められない」というフレーズが大ヒントだった。このフレーズから、学校(高校)からの卒業が迫っているのに進路が決められないのかと推理する。歩道橋を渡るのは、上京して都会の大学に行くことの比喩なのだろう。「このチャンスを逃したら信号までは遠すぎる」というのは、大学卒業後に上京するのでは遅すぎるという意味か。今歩道橋を渡らないのは、地元の大学へ行くか、あるいは地元で就職するのか。「このままずっと歩いて行けば、君も失わず、それなりに幸せ」とも歌っているので、地元に彼女がいるのだろう。
それでも彼の気持ちは歩道橋を渡る(=上京=夢を叶えるために行動する)方に傾いているように聞こえる。そして一度渡ってしまったら、簡単には引き返せないと思っているのだ。自分自身の人生を生きるという意味では、道のこちら側も向こう側も同じ人生で変わりはない。しかし、間に幹線道路を挟むことで、距離は近くても簡単には渡れない、別の人生を歩くことになるのだと歌っているのだろう。
つまりこの曲は、太田裕美『木綿のハンカチーフ』や松田聖子『制服』や斉藤由貴『卒業』などに連なる「卒業→上京ソング」なのだ。遠距離恋愛で彼女と付き合い続けることは無理と思っているのは「木綿のハンカチーフの呪縛」にかかっているからだろう。

では、歩道橋の下の道路を見下ろせば、「別の運命」「他府県ナンバーの渋滞」が見えるというのは何の比喩だろうか。都会に向かう道路上に、日本各地の人々が殺到しているということか。自分は徒歩で向かっているのに、車で向かうから渋滞しているというのは羨んでいるのか、蔑んでいるのか、それともその両方か? 
渋滞しているから、道の向こうから車道越しにこちら側の彼女の姿は見えないという意味もあるのだろう。都会の人ごみに紛れて、彼女のことをいつしか忘れていく自分の未来を予感しているのだろう。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 櫻坂46『I want tomorrow to ... | トップ |   
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ときめき研究家」カテゴリの最新記事