しっかと考えるといいかなーとか。
いやあ、軍事に関する研究も、そりゃあ学術的な営みではあろうさ。そしてしばしば極めて人にとって有益なものだ。
いやしかし、この際の「軍事研究」の定義は何かな? と思うべきだ。端的には
インターネットの祖型は米軍が作り上げたものだが、それは学問として構築した訳ではない―という。ああまあ、差し当たりの実務的要請に応じて技術的に対応しただけのものだ―という言い方も可能かもしれないが、「それ、学問じゃねえぞ」と切って捨てる場合、工学研究の相当部分が非学問として切り捨てられるんじゃねえかな。
それはともあれ―それ自体は無害な技術的問題だと解決するのかもしれないし―軍事研究の大石氏的定義は
「軍事研究は、軍事の目的からして、人を殺傷したり、それを防ぐためのもの。原爆や水爆研究が分かりやすい例」
とあり、人間を効率的に殺傷する目的に奉仕する手法の考案、および敵側のそうした活動に対して防御する手法の考案、が彼の「軍事研究」であるということになる。戦術のレベルの人殺しの効率化ないしその阻害を課題とする、というあたり。まあ、部隊をどう動かすか―なんてドクトリン研究は、そりゃあ防衛省(およびその協力機関)で粛々とやれば宜しいだろう。それ以外でそういう研究やる意義は、まあ…かなーり、相当、極めて限定的でしょうね、おそらく。
なので、この定義である限り、軍事研究に一般大学・研究機関で扱う意義はないと言っていい。だってそうでしょう? 島嶼防衛戦でどういう練度の兵員にどういう(現有)装備を持たせてどれだけの強度で突っ込ませるか、そりゃ個々の企業・事業所(自衛隊そのもの、ないし方面の各級司令部)の問題だよ。
だが「原爆や水爆研究が分かりやすい例」となると、まあ…まだしも分かりやすい例でありつつ、微妙な判定が入っていくことになる。原子力の平和利用、原発を許容する立場の場合。どれほどの燃料の濃さなら無限に反応しちまうか、それともどこかで止まるのか、制御し得ない反応にいっちゃうのはどのレベルからか…なんて問いは、1940年前後には極めて微妙な原子核物理学の、純粋な問いであり得つつ―「そんな知識はナチスドイツに渡してはならない」という政治・軍事問題でもあったわけだ。
じゃあ、どこから軍事研究なんだろう?
…まあ、原子力の「平和利用」自体が欺瞞に満ちた概念であって、そもそもそんなものに手を出してはならない、という立場なら、この難点は解消されるが。
「軍事研究の目的は、端的に言えば、より効率的に殺人したり破壊すること」
これならいいかなあと思いきや。
さて、効率的に殺人したり破壊したりするためには、適切な量の戦力を適切に投射し、かつ必要な限りその強度を維持しなければならない。補給組織の研究は、それ自体、企業の流通網維持・優勢確保のための戦略に転用できよう(そしてそれはエネルギー使用の効率化という点でエコロジーに適うことでもある)。
さて。兵力・戦力の維持には、兵員に病気になってもらっては困る(病人+看護人の分が正面戦力から落ちてしまう)。なので、諸種の病気の研究は―『我が方の兵員を死なせない』ために必要な軍事研究でありえる、とゆーかそれそのものであったりもする。うん、長崎のほうで地道に成果を上げている、熱帯のアレコレの病気に対する研究は、そうした地域に兵員を展開するにあたって予め用意しておかないといけない、そんな軍事研究としても位置付けられるのだ。
…『ふざけんな! 人を、人命を救おうという医者の研究を侮辱するのか!』というのかもしれないが、「いや、マジ尊敬してるっス。おかげで俺の戦友、死ななくて済んだっスもん…」と派遣軍の兵が述懐した場合―人殺し野郎の命を救ってやるつもりじゃないんだ、と、他ならぬ医者が言えたものだろうか?
ハッブル宇宙望遠鏡が軍事関係の物品の流用・コピーだと言われて
となると、日本の防衛省でなければいいんですか?と聞かれもするのではないか。
インターネットは米軍発祥だけど学術研究の成果ではないからOK? ハッブル望遠鏡は防衛省の管轄でないからOK? このyes / noの判定基準はいったいどうなのか、どういうものなのか?
…諸種の疑問・疑念を持ちつつ、それでもなにか善なるものをと願って研究する向きが相当いようところであり…特段考えていない人を対論者として設定し、特段考えてない連中だからダメだと切って捨てるだけでは、それ同語反復・循環論法だよね?という突っ込みに耐えきれないものと思うが、どうか。
…私のような領域でさえ戦略的な利用法があるんであってな。それよりもっと生の軍事に近いあたりのひとは、そんなゆるゆるでいてはこっちが心配になるんですが。
【技術者倫理】
※これはですね、まずは防御的な研究を軍事研究に入れるところが穴のひとつでしょうね。効率的な殺人・人間破壊の方法の探求だけを軍事研究と定義しておけば―それからの防御のための研究は人命救助の範疇に入れることができる。当座を糊塗する弥縫策としては、まずはこれかな。まあ、この定義を受け入れると、防衛省のお金を特段拒否する理由も薄くなりますが―PKOで派遣されていく先で流行中の病気から現地住民・派遣された自衛隊員を護るための疾病研究だって防衛省の研究費の対象とはなり得るだろうし。つーか、そういう人民のためになりそうな研究計画 だ け で申請を埋め尽くせばいいんじゃね?という方策もあるにはある。
軍事研究が学問だとさ。どんだけ視野が狭いんだか。軍事研究は防衛省が粛々とやればよろしい。 https://t.co/344K2ub6oV
— 大石雅寿(手洗い&うがいで風邪知らず) (@mo0210) October 3, 2020
いやあ、軍事に関する研究も、そりゃあ学術的な営みではあろうさ。そしてしばしば極めて人にとって有益なものだ。
いやしかし、この際の「軍事研究」の定義は何かな? と思うべきだ。端的には
ARPAnetは確かに米軍の情報交換のために構築したもの。学問として構築したものではない。軍事研究は、軍事の目的からして、人を殺傷したり、それを防ぐためのもの。原爆や水爆研究が分かりやすい例。 https://t.co/xVIJA9ZSI1
— 大石雅寿(手洗い&うがいで風邪知らず) (@mo0210) October 4, 2020
インターネットの祖型は米軍が作り上げたものだが、それは学問として構築した訳ではない―という。ああまあ、差し当たりの実務的要請に応じて技術的に対応しただけのものだ―という言い方も可能かもしれないが、「それ、学問じゃねえぞ」と切って捨てる場合、工学研究の相当部分が非学問として切り捨てられるんじゃねえかな。
それはともあれ―それ自体は無害な技術的問題だと解決するのかもしれないし―軍事研究の大石氏的定義は
「軍事研究は、軍事の目的からして、人を殺傷したり、それを防ぐためのもの。原爆や水爆研究が分かりやすい例」
とあり、人間を効率的に殺傷する目的に奉仕する手法の考案、および敵側のそうした活動に対して防御する手法の考案、が彼の「軍事研究」であるということになる。戦術のレベルの人殺しの効率化ないしその阻害を課題とする、というあたり。まあ、部隊をどう動かすか―なんてドクトリン研究は、そりゃあ防衛省(およびその協力機関)で粛々とやれば宜しいだろう。それ以外でそういう研究やる意義は、まあ…かなーり、相当、極めて限定的でしょうね、おそらく。
なので、この定義である限り、軍事研究に一般大学・研究機関で扱う意義はないと言っていい。だってそうでしょう? 島嶼防衛戦でどういう練度の兵員にどういう(現有)装備を持たせてどれだけの強度で突っ込ませるか、そりゃ個々の企業・事業所(自衛隊そのもの、ないし方面の各級司令部)の問題だよ。
だが「原爆や水爆研究が分かりやすい例」となると、まあ…まだしも分かりやすい例でありつつ、微妙な判定が入っていくことになる。原子力の平和利用、原発を許容する立場の場合。どれほどの燃料の濃さなら無限に反応しちまうか、それともどこかで止まるのか、制御し得ない反応にいっちゃうのはどのレベルからか…なんて問いは、1940年前後には極めて微妙な原子核物理学の、純粋な問いであり得つつ―「そんな知識はナチスドイツに渡してはならない」という政治・軍事問題でもあったわけだ。
じゃあ、どこから軍事研究なんだろう?
…まあ、原子力の「平和利用」自体が欺瞞に満ちた概念であって、そもそもそんなものに手を出してはならない、という立場なら、この難点は解消されるが。
ロジックがおかしい。軍事研究の目的は、端的に言えば、より効率的に殺人したり破壊すること。そのようなことに戦前の科学者が駆り出された反省に基づいて学術会議が設立された。 https://t.co/wgDNREmuja
— 大石雅寿(手洗い&うがいで風邪知らず) (@mo0210) October 4, 2020
「軍事研究の目的は、端的に言えば、より効率的に殺人したり破壊すること」
これならいいかなあと思いきや。
さて、効率的に殺人したり破壊したりするためには、適切な量の戦力を適切に投射し、かつ必要な限りその強度を維持しなければならない。補給組織の研究は、それ自体、企業の流通網維持・優勢確保のための戦略に転用できよう(そしてそれはエネルギー使用の効率化という点でエコロジーに適うことでもある)。
さて。兵力・戦力の維持には、兵員に病気になってもらっては困る(病人+看護人の分が正面戦力から落ちてしまう)。なので、諸種の病気の研究は―『我が方の兵員を死なせない』ために必要な軍事研究でありえる、とゆーかそれそのものであったりもする。うん、長崎のほうで地道に成果を上げている、熱帯のアレコレの病気に対する研究は、そうした地域に兵員を展開するにあたって予め用意しておかないといけない、そんな軍事研究としても位置付けられるのだ。
…『ふざけんな! 人を、人命を救おうという医者の研究を侮辱するのか!』というのかもしれないが、「いや、マジ尊敬してるっス。おかげで俺の戦友、死ななくて済んだっスもん…」と派遣軍の兵が述懐した場合―人殺し野郎の命を救ってやるつもりじゃないんだ、と、他ならぬ医者が言えたものだろうか?
ハッブル宇宙望遠鏡が軍事関係の物品の流用・コピーだと言われて
防衛省がハッブル宇宙望遠鏡を所有/運用しているという話は聞いたことがない。
— 大石雅寿(手洗い&うがいで風邪知らず) (@mo0210) October 4, 2020
となると、日本の防衛省でなければいいんですか?と聞かれもするのではないか。
インターネットは米軍発祥だけど学術研究の成果ではないからOK? ハッブル望遠鏡は防衛省の管轄でないからOK? このyes / noの判定基準はいったいどうなのか、どういうものなのか?
自分で自分の首を絞めていることが分からない人、多し。
— 大石雅寿(手洗い&うがいで風邪知らず) (@mo0210) October 4, 2020
…諸種の疑問・疑念を持ちつつ、それでもなにか善なるものをと願って研究する向きが相当いようところであり…特段考えていない人を対論者として設定し、特段考えてない連中だからダメだと切って捨てるだけでは、それ同語反復・循環論法だよね?という突っ込みに耐えきれないものと思うが、どうか。
…私のような領域でさえ戦略的な利用法があるんであってな。それよりもっと生の軍事に近いあたりのひとは、そんなゆるゆるでいてはこっちが心配になるんですが。
【技術者倫理】
※これはですね、まずは防御的な研究を軍事研究に入れるところが穴のひとつでしょうね。効率的な殺人・人間破壊の方法の探求だけを軍事研究と定義しておけば―それからの防御のための研究は人命救助の範疇に入れることができる。当座を糊塗する弥縫策としては、まずはこれかな。まあ、この定義を受け入れると、防衛省のお金を特段拒否する理由も薄くなりますが―PKOで派遣されていく先で流行中の病気から現地住民・派遣された自衛隊員を護るための疾病研究だって防衛省の研究費の対象とはなり得るだろうし。つーか、そういう人民のためになりそうな研究計画 だ け で申請を埋め尽くせばいいんじゃね?という方策もあるにはある。
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