やたら落ち着きがいい名称だが、現島根県を構成する旧国名をもとに、いかにも個人名でありそうで、そこそこ偉そうで、かつまあまあ無名な感じの個人名として選ばれたものではなかろうか。
IT長糸の風へようこそ「『荒毛2号墳』について(2015年3月3日)」
「長野行政区の一集落で今も大事に祀られている『稲葉伯耆の守(高祖城主原田氏の家臣)』の言い伝えも裏付けされるとのことで、市教育委員会文化課の見解では、祠に使ってある石は此処の墳墓に使ってあった石棺を掘り出して使ったのだろうと言うことで」云々。
実際、エピソードに相応しい落城イベントもあるものの、実際に主家が滅びるのは豊臣秀吉来襲のころとか。微妙に合わない感じ。
日本姓氏語源辞典 キシモト~キタオリ「日本姓氏語源辞典 キシモト~キタオリ(2015年10月23日 23:30)」
「「鍛代」の総本家は、日向の番場集落にある通称「大松」と呼ばれる家。初代は、稲葉伯耆守で、同家に「稲葉伯耆守この地に住み鍛代の先祖となる」との石標がある。総本家は初代の長男の隼人(はやと)が番場邑鍛代を興し、二男の主水(もんど)が分家し、新田邑鍛代の先祖となった」云々。
かなり実在性が高そうな例。
…しかしこれ、家祖を権威付けようとして選び取った、あとづけの名前じゃないかなあという気がする。他にも一例、宮城県角田市にあるものの、これはこれで実在性の希薄な感。稲場の箒を司る、なんて洒落はいつでもでそうだ。
IT長糸の風へようこそ「『荒毛2号墳』について(2015年3月3日)」
「長野行政区の一集落で今も大事に祀られている『稲葉伯耆の守(高祖城主原田氏の家臣)』の言い伝えも裏付けされるとのことで、市教育委員会文化課の見解では、祠に使ってある石は此処の墳墓に使ってあった石棺を掘り出して使ったのだろうと言うことで」云々。
実際、エピソードに相応しい落城イベントもあるものの、実際に主家が滅びるのは豊臣秀吉来襲のころとか。微妙に合わない感じ。
日本姓氏語源辞典 キシモト~キタオリ「日本姓氏語源辞典 キシモト~キタオリ(2015年10月23日 23:30)」
「「鍛代」の総本家は、日向の番場集落にある通称「大松」と呼ばれる家。初代は、稲葉伯耆守で、同家に「稲葉伯耆守この地に住み鍛代の先祖となる」との石標がある。総本家は初代の長男の隼人(はやと)が番場邑鍛代を興し、二男の主水(もんど)が分家し、新田邑鍛代の先祖となった」云々。
かなり実在性が高そうな例。
…しかしこれ、家祖を権威付けようとして選び取った、あとづけの名前じゃないかなあという気がする。他にも一例、宮城県角田市にあるものの、これはこれで実在性の希薄な感。稲場の箒を司る、なんて洒落はいつでもでそうだ。
>相州小田原より稲葉伯耆守なる落人
小田原落城ですか。
微妙にリアリティがありそうな感ですねえ。
この調子なら、もっとたくさん、稲葉伯耆殿がいらっしゃるでしょうね…伝承を集めてみても面白いかも。
ttps://www.city.itoshima.lg.jp/c007/030/026/15007_46825_misc.pdf
(https://kazusa.jpn.org/b/archives/2971)
>義軍第五軍一番隊/房州館山藩稲葉伯耆守家来
Wikipediaでは当時の藩主は備後守とのこと。藩主の親族で特段の名乗りが許されたものかどうか。
>慶長五年(一六〇〇)小早川秀秋入部後はその老臣稲葉伯耆守の知行地
(https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=1621)
稲葉正成ですかね。
…もしか、口に慣れた言い方だったかなあ。