出張の谷間で垣間見る京都は、車が増えて狭い路地もゆっくり歩くことがかなわなくなってしまっている。数十年前、友達の下宿を探すため、京の町を七条から下鴨の京都大学のあたりまでぶらぶら歩いたと記憶しているが、当時はのんびりとした道すがらのように思えた。
京都は、いろんな写真家が写真を撮っている。撮られた写真もレベルが相当高く、ヘタな写真を撮ってもだれにも評価されることはないと思っていた。だが、やはり京都。不思議な街だ。
早朝の清水寺。参道に店を出す漬物屋の女将さんから声がかかる。
ちょと段差が超えられないから、ディスプレーワゴンを押してくれないかしら・・・
普通に会話して、ワゴンを押してあげて、よかったら漬物持っていく?
すべての会話が京都弁でなされたはずなのだが、実際におかみさんと交わした会話を思い出せない。
向こうの意思はするりと伝わる。しかし、京都弁の言葉自体は記憶には残らない。
・・・その昔、武士の無理難題をさらりと交わした京都の人々。そうした時代の積み重ねが生み出した言葉なのだろう。
おばんさい。番茶や番傘、番台と同様に常という意味で毎日のお惣菜、おかずのことをいうらしい。
普段はめんどうくさいという理由で、目玉焼き以外に調味料を使うことのないぼくは、薄口の関西風に舌が慣れていると思っていた。
おばんさいに出たはまちの刺身。刺身醤油がまるで蕎麦のツユ。透き通っている。
みそ汁。塩味が効いているが、うまみや甘みが感じられない。
そして、白身の魚フライ。キャベツにソースかけすぎじゃね?いらねーよ。。
という具合で、塩加減に関しては1勝2敗。やっぱり、食文化が全然違うことを再確認した旅だった。
また行くぞ。京都。
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