梅の別名は「好文木」。
西晋の初代皇帝・司馬炎(しば えん)の 晋書・武帝紀(起居注)の故事
「文を好めば則ち梅開き、学を廃すれば則ち梅開かず」に由来する。
この「好文木(こうぶんぼく)」から名づけられた「好文亭」から見る千波湖は、水戸八景の一つ。
「僊湖の暮雪」。水戸九代藩主の徳川斉昭が選定した。
往時の千波湖の暮れゆく雪景色は格別な趣があったにちがいない。
ただ、好文亭から見る千波湖は、夕日を背にして見ることになるが。。
なお、司馬炎は権力にまかせ、女色にふけったことでも知られる。
皇帝の詔勅をもって女子の婚姻を暫時禁止。女子を5千人選び自分の後宮に入れた。
さらに、呉の皇帝であった孫皓の後宮の5千人を追加、合計1万人もの宮女を収容した広大な後宮を、司馬炎は毎夜、羊に引かせた車に乗って回った。
この羊の車が止まったところの女性のもとで、一夜をともにしたという。
ロシアン・ルーレットっつうか。・・・中国の皇帝は夜な夜などんな学問を学んだことやら。。
ってか、話10倍にしても女性の数が多すぎね?一通り寵愛するとして10数年かかる。
後年はおばちゃんの団体じゃん。
しかも、車を羊に引かせてるし。
一匹じゃ羊は車引かないし、たくさんの羊に手綱をつけられたとしても、羊は動かないし。。
なんてことを水戸藩氏たちは好文亭で話してたのだろうか。
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