tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

涼をよぶ携帯電話

2008-07-13 19:02:15 | 日記

地球温暖化対策の一環として、2015年までに現状の炭酸ガス排出量を半分に減らすため、各国ではさまざまな取り組みが始まった。
中でも、2010年までの国際公約(2008年度から2012年度の5年間で1990年比▲6%)の達成に至らなかった日本は、各国の非難をあびることとなり、まさに有無を言わさぬ炭酸ガス排出規制が布かれた。
この背景には、日本は政治とか世界経済とかはもちろんあるが、古くからの国際社会を意識しない細かい外交の積み重ねが各国からの顰蹙を買い、国際社会から日本が孤立している状況であったことが挙げられる。

日本の炭酸ガスの発生源は、産業・業務部門からの排出量が全体の約60%を占める。このうち、産業部門は大企業が主体となり、削減のための諸施策を実施して、1990年比▲5.5%を達成したのだが、業務部門の対策が遅れていた。
また、運輸部門の排出量が意外に大きく、全体の第2位となっていた。だが、化石燃料に代わるものが無い状況であるがゆえに、対策がまったくされていなかった。結論から言えば、日本の総排出量は、1990年比でマイナスどころか、プラスの結果であったのだ。

こうした事態を重く見た政府は、主に業務部門の削減に向けて諸施策の実施を図った。これまで大企業の産業部門が実施してきた省エネのための、まさに爪に火をともすような対策が始まったのである。そして、それは、一般庶民のエネルギー消費にまで及んだ。
その対策のひとつが、「涼をよぶ携帯電話」である。
種々の議論が起こったものの、「怪談で冷気(霊気)を感じ涼む」という日本に古くから伝わる生活習慣にならい、携帯電話への無料の怪談のメール配信が始まったのだった。実はこの試みは、当初はパソコンのメールを媒体として行われていたのだが、それに乗じた悪質なスパムメールが多発したこと、メールを整理するためのパソコンの起動時間が増大し、結果的に炭酸ガスの排出量を増やす結果となったことから、パソコンから携帯への媒体の変更が行われたいきさつがある。携帯電話なら使用電力が少ないこと、深夜の通信の少ない時間帯にメールをまとめて送信できることなどが選ばれた理由だ。例えば、テレビやラジオの媒体では、エアコンを利用する時間帯に放映する必要があるのだが、だれも、そんな時間帯に怪談を視聴しないからだ。

国家機関・炭酸ガス対策本部 携帯無料サイト部、通称 涼携帯部。またの名を霊能作家集団。各方面から集められた怪談の作家達の集団だ。この集団が、毎日、怪談をせっせと作って政府サイトから発信する。国が威信を持って人を集めただけあって、無数のきらめくタレントが寄せ集まっている。中には、一言しゃべっただけで、辺りを凍りつかせる能力を持つものもいる。別途、こうした人材は、生産に携わる国民の生産能力を低下させる効果もあり、他国の経済成長を妨害するためのエージェントとしての利用も考えられている。隣国の炭酸ガスの排出量を低減させるために・・・・・・。

「これ、どう?」
「あー、はいはい」
そんなやる気のあるんだかないんだかよく分からない声を上げつつ仕事をこなす。すでに時刻は夕方で、原稿の締め切り時間が迫っている。だが、毎日、怪談を読まされている身であれば、どんなに怖いストーリーでも、なんにも感じなくなるものだ。
「今日のは・・・・・・」
「ねえ、今日のって・・・・・・何か違わない?」
怪談作家として天才少女の名をはせた芦崎が眉を寄せながら近づいてきた。ぼくらのチームでは、怪談作家としてナンバーワンの実力の持ち主だ。
「特に放送コードに引っかかる部分もないし、夏らしくていいんじゃない」
「でも、やっぱり、ダメよね」
彼女の創作には、稀に怪談以外のものがあがってくることがある。今日のも、そういったものだった。
「いいじゃん。たまには夏らしく、花火の話題でさ」

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たそがれの時刻が過ぎてあたりは暗く、省エネモードの橙色の提灯の明かりに包まれて、霞ヶ関には一種の異界的空間ができる。
今日は、花火大会。といっても、エネルギーを節約するため、霞ヶ関ビルの壁面に花火を模した光が投影されるだけ。それでも、日常ではない空間と、お祭りという行事に心が浮き足立つ。見慣れたビルに、映し出される大輪の花火の数々。いつもなら人気のない時間帯にごった返す人の群れ。
そして、また、ビルの壁面に花火が投射された。今度の花火は、ちょっと凝っている。火の粉がブルーから鮮やかな赤に変わって・・・・・・。なに、あれ!子供の顔ジャン。

今日は祭り。コンピュータグラフィックスの花火に、子供の顔が混ざってても、騒ぎに紛れて誰も気付くことはないだろう。
たとえ、それがパソコンデータに存在しない画像であって。そして、映し出されたそれが、現代科学では説明がつかないものであっても。
今日ぐらいは、遊びたい盛りだったに違いない子供に・・・・・・。
きっと、あの子供は祭りが終わったあとには自分で居るべきところに帰るだろう。
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ぼくらは、原稿の仕上げを終えると、省エネを実施中の夜の街に繰り出した。リアルな世界でも、この週末は花火大会。花火は、昔ながらの夜空をこがす大輪によるものだ。ごった返す人の群れ。邪魔にならないように道の端に寄り一息つく。
その横を、子供が笑いながら走り抜けていった。
「あれ、さっきの子!」
「うん」
ぼくらの横を駆け抜けていった男の子の顔は、ぼくが今夜の涼携帯のために作成したコンピュータグラフィックスの顔と酷似したものだった。こんなことがよく起こる。これが、ぼくがこの霊能作家集団に呼ばれた理由だった。ぼくの描いたグラフィックスは、それを見た人の脳裏に留まり、ある条件をきっかけに幻視として再現される。つまり、ぼくのグラフィックスが、現実の世界で見えるのだ。
明日の花火大会では、何人の人が冷気とともに、ぼくが描いた子供の顔を視認するのだろう。
そして、ぼくらは、蒸し暑い夜を吹き飛ばすほどの冷気を味わってくれたらと願っている。エアコンが不要なぐらいに。



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