1960年代にアメリカで台頭してきたフォーク・ソング。ブラザーズ・フォア、ピーター・ポール&マリー、ボブ・ディランなど多くのアーティストがミュージック・シーンに登場する。もともとは、生活苦などをテーマにした民謡からスタートしたフォーク・ソングは、その後、人種差別反対、戦争反対などの社会的なメッセージを込めたプロテスト・ソングへと変遷していった。日本でも、1970年代は学生闘争を背景として、和製フォーク・ソングが世の中の流行となっていた。1980年代に、大きな転換点となったのがユーミンこと荒井由美などのニュー・ミュージックの出現だった。消費社会の新しい都市の時代の幕開けを、みずみずしく歌い上げる荒井由美は、今で言うおしゃれで上品な世界そのものだった。
社会への不満、貧困からの学生闘争が終わると、若者達はエネルギーをぶつける目標を失って、いわゆる「しらけ世代」となった。1980年代の過熱気味の高度経済成長に伴って、彼らの興味は、「社会」ではなく「自然回帰」へ移った。ただし、都会では、ネイチャー志向のかわりに、“異性”を“自然”としてとらえた異性志向への部分も見られる。いわゆる恋愛至上主義。日本において、“会社や社会よりも恋人との時間が大切”とはじめておおっぴらに口外できるようになった時代だった。1970年代の恋愛は、政治や社会に希望を失った若者が逃げ込んだカウンター・カルチャー的な世界だった。ところが1980年代になると、一気に表舞台に登場したのだ。当時、恋人がデートに誘うなど連絡を取り合う道具として電話しか方法がなかった。そして、相手の家に電話すれば相手の親が出る可能性が高い。そんなあれやこれやの事情から、相手とデートにこぎつけるまでにはたくさんの困難を乗り越えなければならなかった。自分を捨てた馬鹿にならなければ、毎日電話するなどできなかった。逆に、恋愛よりもむしろ、馬鹿になれる自分に酔っていた時代なのかもしれない。
「私をスキーに連れてって」は、こんな時代の映画である。映画が公開されたのは1987年。日経平均株価は上昇を続け、翌年には3万円の大台にのった。日本は「Japan as No.1」の言葉どおり、自信に満ちあふれていた。レジャー産業が盛んになり、各地の山の樹林が切り倒されてゲレンデとして乱開発され、スキー人口は増え続けた。レジャー白書によると、1987年に1230万人だったスキー人口は、1993年には1770万人とピークを迎えている。
休日の昼下がり。どこかのコーヒー・ショップなどで松任谷由実の「サーフ天国、スキー天国」が聞こえようものなら敏感に反応する中高年たちはこの頃にスキーを始めた人達だ。映画で使われた松任谷由実の曲「A HAPPY NEW YEAR」「BLIZZARD」「恋人がサンタクロース」「ロッジで待つクリスマス」などが非常に印象的な映画だ。
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