tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

リトル・ランナー

2007-02-18 17:09:01 | cinema

「♪小さい頃は神様がいて不思議に夢をかなえてくれた♪」
ユーミンは「やさしさに包まれたなら」でこう歌った。
「どこにでも神様はいて、奇跡はは毎日起こる」
こう考えるのはやおよろずの神を信じる日本人の考え方であって、絶対的な神を信じるカトリックの教えとは本質的に異なる。などと、この映画では文化の違いに基づく本質的に???なところがたくさんあって・・・そこが面白い。そして理解できない場面があるものの、ストーリーの進行には大きく関わってこないので、たとえ全然わからなくても困ることは無い。

オープニングは、懺悔室。
”I had 22 impure thoughts.”
”Oof!”
”I contemplated murder.”
”Murder?”
”Only in thought, Father,only in thought.”
おいおい、14歳の少年がいきなり殺人(murder)かい?と思って観ていたら、どうやら"murder"には、"masterbation(一人エッチ)”の意味があるようだ。敬虔なるカトリックの教えでは"masterbation"は「聖書の教えに反する罪」であるとし、全寮制の学校で児童に禁欲を強制する。しかし、この懺悔。小さい頃から、いろんな映画に出てくる懺悔のシーンを見るにつけ告悔する登場人物たちにあらぬ興味を覚えると同時に、もし自分が懺悔しなければならない時には何を言おうかとドキドキしながら見てたものだ。キリスト教じゃなくてよかったとつくづく思う。さもないと、ぼくは何度"murder"を告悔しなければならないのだろう・・・。

ラジオが告げる
"It's early in the game still. There are 10 runners tightly bunched...the winner will surely come from this group. There are all the usual suspects, and one surprising addition... runner 1-5-7. Let me see... Ralph Walker from Canada, age... 14?"
”レースはまだ序盤。10人のランナーが団子状態に。優勝者はきっとこの集団に。優勝候補者はすべてこの集団にいる・・・。ゼッケン157って誰?カナダのラルフ・ウォーカー 14歳?”
スポーツ実況のアナウンスは、いつも、試合を盛り立てる。(解説者は、お願いだから静かにしててね。)

レースの途中で、苦しくなったラルフが、心の中でつぶやくセリフ。そしてコーチが必死で応援する。
"Hail Mary, full of grace...Don't redline." 
"You can do it, Ralph! You can do it, Ralph. You can do it, it'll be a miracle. Come on. Run, Walker... Run!"
”神様、もっとぼくを走らせて・・・(redlineには機械を故障点検のために使用中止にするという意味があるらしい。自分を機械に見立てて神様にお祈りしているのが興味深い)”
精神的に苦しくてどうしようもない時に、神であれなんであれ心の支えがあるってことは大切なことだと思う。

泳ぎに興味の無いラルフが、友達(唯一の?)を誘ってプールに行く時の言葉。
"My brother says you can see right inside the woman's change room from a certain angle. I need to see naked girls."
”ある場所から女性の更衣室が覗けるんだ。ぼく、裸を見たい”
男なら、だれでもそうDA YO NE。この後、その場所を偶然見つけ、女性の裸を覗いていて、しかも、プールの流水口が微妙な位置にあったためラルフは***しまう。それを目撃されて、ラルフは学校中の笑いものに・・・。ラルフも言っているが、そのためにプールの水を入れ替えるのは、いくらなんでもやりすぎDA YO NE。

コーチが奇跡がなんであるかラルフに説くシーン。・・・ってよくわからない部分。
"So, St. Francis, who had grown up very rich, left Assisi one last time,|this time decided to give away everything he had, even the clothes off his back. Soon thereafter, he performed the miracle of the stigmata. Juste like Christ, he bled."
"Do you need to be a saint?"
"What? Forwhat?"
"To produce a miracle."
ラルフは奇跡を起こすためには聖人であることが必要なのかどうか確かめている。これがこの映画の重要なポイントとなっている。キリスト教において、聖人という語は、神によって聖とされた信徒を指す。つまり、この時点で聖人ラルフ(原題より)は、自分が聖人からほど遠い存在であることを自覚している。

ニーチェが出てきて哲学的なお話。・・・わからん。
"The Anarchist and the Christian have a common origin." "Nietzsche wrote that. I think there's some truth to it, Father."
”ニーチェは「無神論者とクリスチャンの根っこは同じ」と書いた”とコーチが言う。”神父さん。ある意味真実と思いますが・・・”
ニーチェの記述について調べてみたが、上の引用がどういう意味なのか良く判らない。敬虔なクリスチャンも、本質的には神を信じてないってこと?


もう一つ、わからないところ。ラルフは尼さんになる決心をしたお気に入りの彼女にお祈りの仕方をコーチしてもらう。
"Why don't you try, uh,rubbing your knees with sandpaper until they bleed, and then kneeling down in a pan of alcohol to pray?"
"What grit paper?"
”どうして紙やすりで血がにじむまでひざをこすって、そしてアルコールの入った皿に膝まづいてお祈りしようとしないの?”
”紙やすり?”
ネットでいろいろ調べてみたが、アルコールの入った皿に膝まづいてお祈りするという記述を探せなかった。きっと、宗教上のいわれがあると思われるが、今のところ不明。

ラルフは奇跡について神父に訊ねている。
"Producing a miracle is possible?
"Flying to the Moon is possible, but it's never going to happen."
"Phew...I can see what you mean."
”奇跡を起こすのは可能?”
”月へ飛んでいくのは可能。しかし、普通の人は絶対にできない”
”言った意味はわかります・・・”
ここも、ポイント。敬虔な神父と言えども、神のなせる業である奇跡が起こるのを信じていないだ。

ラルフはコーチに反論する
"Your friend Nietzsche wrote, and I quote, "The Anarchist and the Christian often have a common origin." I'm trying to be both."
"That's not what Nietzsche meant!"
"I don't care."
このシーンは、奇跡を期待していることを口にしないと約束したにもかかわらず、ラルフがハーフマラソンで優勝した時に、新聞のインタビューで口にしてしまったことをコーチが叱責した時の会話。
”あなたの友達のニーチェが書いたものを引用したんだ。ぼくは無神論者とクリスチャンの両方になりたいんだ、”
”それはニーチェが書いた意味と違うぞ”
”構うもんか"

お祈りの仕方がわからないと言うラルフに、コーチはこう言う。
Most marathoners will tell you, around Mile 20, they start praying for any kind of help they can get.
”誰でもマラソンランナーは、20マイルも走ればで神に祈りをささげだすものなんだよ”
ぼくも、この時点で神に祈りをささげている・・・いったいこの文章はいつになったら終わるんだ・・・。

やっぱり、神様はいるんだろう。たとえ、それが無謀な挑戦であっても。ぼくには絶対無理な速度・・・2分46秒/km・・・で14歳の少年は、ボストンマラソンを駆け抜けて行ったのだった・・・。

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春一番

2007-02-17 20:22:23 | old good things

♪春一番が掃除したてのサッシの窓に ほこりの渦を躍らせてます♪


春一番が吹く頃と引越しの季節は一致しない。・・・阿木耀子が作詞したカップルの別れのこの歌。キャンディーズが初のチャート1位を獲得したラストソングだ。キャンディーズのそれまでのヒット曲のタイトル「春一番」「わな」「ハートのエースが出てこない」「年下の男の子」「やさしい悪魔」「アン・ドゥ・トロワ」が苦心の末に歌詞に織り込まれている。

しかし、内容を考えると無理に言葉を押し込んだためにやや破綻しているところがあっておかしい。「わなにかかったウサギ」なんて言葉は、実際にそれを見たことのある人は歌詞には使わないだろう・・・実際、それって悲惨なんすよ・・・


最近、引越し会社のCMでこの曲が使われている。
引越し作業をしている女性が、ふと手を休めてちょっと寂しそうに口ずさむ。
「お引越しの~お祝い返しは微笑みにして~♪…」
軽やかなメロディーなのに、どこか切なく、何となくホロリとなってしまう。

歌詞の内容は、一緒に住んでいた年下の男の子と別れの日の想いを女性側からつづったものだ。ふたりでいっしょに住んだ部屋を片づけて、それぞれが別の道を歩き出す。ふたりの恋愛はそれぞれにプラスになるようなものだったのだろう。

この曲が流行った頃の僕は、成人式を迎えつつ自分の生き方がなかなか見つからずに苦しんでいた。大学に通いながらも、スキーに夢中になっていて、社会に出たら自分の何をどう活かせばいいのか、ビジョンも自信もなかった。

その上、恋愛ではふられっぱなしだった。女性にふられた回数は自慢できるほど・・・星の数を超えるほどあった。だから、「♪イヤだわあなたすすだらけ・・・イヤだわシャツで顔ふいて・・・それでは鍵がサカサマよ♪」とキャンディーズが歌うこの曲に、いつかこんな恋愛をしてみたいと限りなく憧れに近いものを覚えていた。

春一番って言葉は、今は気象用語になっているが、もともとは漁師さん達の間から生まれた単語なのだそうだ。
安政6年、西暦で言えば1859年、旧暦2月13日。今の長崎県は壱岐の郷の浦の53人もの漁師さん達が船を何隻も仕立てて五島沖に漁に出て、運の悪い事に春の突風に遭ってが遭難したらしい。それ以来、郷の浦の漁村では春の最初の強風の事を『春一』とか『春一番』と呼ぶようになったのそうだ。
こうして『春一番』って言葉は海の悲劇から広まったのだが、突風ばかりでは無く、暴風雨に変身したり、竜巻まがいになったりもするらしい。

もうすぐ春です

毎年、春一番が吹き出すとともに目がたまらなくかゆくなって、花粉症の季節がはじまります。電車に乗ると、マスクをつけた人がこの頃からだんだん多くなって花粉が飛んでいることを実感します。頭がぼーっとする季節ですが、お互い、健康に気をつけましょう。

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愛は奇跡(12)

2007-02-16 19:56:51 | 日記
それでも、オードリーの影は見えなかった。水深90mに到達した時、ピピンは気泡が上がってくるのを見た。オードリーはそこにいた。彼女はパスカルと一緒だった。彼女は親友のパスカルとバディ・ブリージングしていたのだ。しかし、近寄って見たら彼女は息をしていなかった。彼女は気絶していた。パスカルは大あわてで、彼女の手首にオレンジのブイを巻きつけようと苦闘していた。ピンク色の泡が彼女の口から漏れていた。ピピンは彼女の目をマスク越しに観ることができたが、彼女の開いた目は何も見ていなかった。
ピピンは、彼女を抱えると、矢のように水面に取って返す。二人は水面にたどり着いた。彼女の口と鼻から泡は漏れ続けた。これは彼女の肺に水が侵入していることを意味する。タオルで泡をぬぐっても、なおも出続ける。ピピンはそれを見ていられなかった。
カルロスはマウス・ツー・マウスを試みる、しかし、彼は気道を空にすることはできなかった。彼らは挿管処置キットあるいは除細動装置などを用意していなかった。彼らは、彼女を陸に戻す必要があった。ピピンは彼女の顔をひっぱたくと<頑張れ>と叫んだ。
<彼女の心臓が止まりそう>カルロスが叫ぶ。
彼らはオードリーを水上艇へ移動させ、フル・スロットルで陸へ急いだ。彼女の目は開かれたまま動かず、瞳孔は開いたままで、反応はなかった。1分ぐらいすると、彼女の呼吸が止った。衛生兵の一人が人工呼吸を始める。マットは彼女の頭を支えると、彼女の口からは泡がなおも出続け、そして濃い緑色の液体が漏れ出した。どんな手当ても無駄だった。彼女は帰らぬ人となった。
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愛は奇跡(11)

2007-02-15 20:09:41 | 日記
オードリーが潜って事故が起こったその午後に何が起こったのか、ピピンは考えなかった日はなかった。彼は水中で彼女を探したが、見つけたときはすでに彼女は息絶えていた。
彼女は水深171mで、スレッドを切り離し、そして小さなタンクのバルブを開いてリフト・バッグに空気を満たした。彼女は、まだ息が続いていたはずである。その時は、彼女は呼吸がまだ必要ではなかった。彼女が浮上する時には、親指を立ててサインしながら笑ってパスカルに振り向いたであろうと思われた。彼女はリフト・バッグを膨らませ、そして水面に急上昇する。
ちょうど2分30秒後、ピピンは彼女の帰着を告げる気泡が上がってくるのを求めて、マスク越しに水中を覗き込んだ。タタはすぐさま水深20mに潜り、しかし、異常を感じてすぐに水面に引き返して頭を振った。彼女の影はどこにも無かった。ただ、ラインが暗い深みへ伸びているだけだった。
5分が経過した。キムがピピンにタンクを手渡した。そしてタタが装着を手伝う。ピピンは必死でフィンをあおり矢のようにラインを伝って潜ると、水中で待機しているウィキィや他のセフティ・ダイバーを通り越した。
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愛は奇跡(10)

2007-02-14 20:38:55 | 日記
3分が経過し、なおもオードリーは浮上してこない。ピピンは、彼女の黄色いウエット・スーツが見えてくるのを期待して海の中へ15mほど素潜りで急行した。しかし、ラインはからのままで動きはない。ピピンは水面に浮上すると、タンクを背負っていてやはり様子を見に20mほど潜って浮上したタタを見た。タタは心配そうに頭を振る。彼もまた、心配でしょうがないのだ。彼らは、水面下にいるセフティ・ダイバーと対話するすべを持たなかった。なにが起こっているのが、見ることも、聞くこともできなかったのだ。
オードリーが潜行を始めてから3分30秒がすぎた。フリー・ダイバーの誰もが経験のない深さと時間であった。彼女は潜水を諦めたに違いない。きっと、そうだ。彼女は恐らく、セフティ・ダイバーの一人とバディ・ブリージングをしているのだろう。そして、彼女は減圧が必要なため、すぐには浮上できないでいるのだろう。
少しして、リフト・バッグが水面に躍り上がった。ピピンは胸がつまって一杯になった気がした。何かがおかしい・・・。助けに行かなければ・・・。ピピンは、クルーに向かってタンクを渡すようにどなる。5分の時間が経過した。ピピンは、オードリーを見つけるため深淵へ潜っていった。
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