tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

キリング・フィールド

2011-10-14 22:39:00 | プチ放浪 都会編

 

15:55にホーチミンのタンソンニヤット空港を発ったVN3821便(CANBODIA ANGKOR AIR)は、1時間のフライトでカンボジア上空へ。飛行機の窓からは、熱帯モンスーン気候特有の夕刻の分厚い雲の切れ間から、茶色く広がった海のようなメコン川と、水害で水に浸った高床式の掘っ立て小屋が、点々と小さく見える。
この空の下で、多くの人々がいろいろなスタイルで生活を送っている。この国の滞在中に、どんな出会いが待っているのだろう。

・・・出発前のカンボジアのイメージは、貧しい、治安が悪い、怖いなどマイナスなものばかり。
いつか観た映画キリング・フィールドでは、クメール・ルージュの支配する集団農場で一般市民が強制労働。やっと集団農場を逃げ出した主人公の新聞記者は、その途中、遺棄されたままの累々たる市民の惨殺死体をみる。

ポルボトの大虐殺。1975年から3年8か月20日間のポルポト時代、国民は強制的に農民にされ、田んぼや畑で働かなければならなかった。このわずかな年月の間に、カンボジア人口の30%200万から300万近くの人が虐殺されたのである。正確な死者数は、今尚もってわからない。

前の政権で働いていた人、医師、外国語が話せる人、教師等の知識人は実に6割以上が殺されたという。眼鏡をかけているという理由だけで、あるいは、手が柔らかく農民の手ではないという理由で多くの人が殺されていった。その虐殺の場に使われたキリング・フィールド。

大虐殺があったことを否定しているのは、親中国派だけだ。
ポルボトが目指した理想社会とはなんだったんだろう。中国の毛沢東主義を基盤とした「原始共産主義社会」実現のためと片づけるには、あまりにも多くの命が失われ過ぎている。

わずか、4年間でこれほど多くの人間が殺され、破壊と憎悪が吹き荒れた国はほかにはない。生き残った人々でさえ、その心の奥には、永遠に拭い去ることのできない悲しみが刻み込まれた。
スターリンの粛清、文化大革命といった共産主義による悲劇の中でも、その愚劣さにおいて最大級nのものだ。


ご訪問&最後まで読んでくださりありがとうございます。
お帰りの際、ひとつクリックお願いします。
お手数かけてすいません。
↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 写真ブログ スナップ写真へ
にほんブログ村

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中年男の一人旅

2011-10-13 22:10:41 | プチ放浪 都会編

 

海外一人旅の回数を重ねるにつれ、前は頑なにこだわっていた旅の目的など、どうでもよくなってきた。
以前は、旅先で一人さびしくとるレストランでの夕食や、現地の女性と会話していたりすると集まる同胞の日本人旅行者たちの冷たい視線に対して、むきになって無言の反駁をしていたように思う。
そうした居心地の悪さに対して、自身を弁解し納得させるために、旅の目的としての思い込みが必要だったのだ。

目の前でいちゃつく日本人カップルや、若い男性、女性グループの旅行者とは、完全に相いれない部分があるはずで、だから、できるだけ彼らとは関わらないことにしていた。

ところが、年齢を重ねることによって、良いのか悪いのかは別にして、他人の目が全く気にならなくなってきた。
夜な夜な、女を買いに夜遊びをしていると思われても別にいいや。・・・そんな境地に達してきたのだ。他人は他人。自分は自分。他人の目など気にする必要もないと思えるようになった。。

他人の目が気にならなくなったもう一つの理由は、相棒、ニコンのおかげだ。これ見よがしのF値の明るいズームレンズを付けて、カメラのストラップを手首に巻き付けていると、フォトグラファーとは勘違いしないまでも、海外での「写真撮影」が好きなんだと解釈してくれる(人が多い)。
カメラマンは孤高であることが多く、自然に一人で行動するものだとわかってくれる。
そういうこともあって、撮影技術に関するちょっとした話がきっかけで、デジカメで夜景撮影に苦労している若い女性旅行者のグループとも気軽に話せるようにもなった。

海外一人旅。純然たる若者たちのバックパッカーを除けば、一人で海外に旅立つ人は、いまだ少ない。なんでリスクを冒してまで海外に一人で行くのか?
「海外で一人じゃ不安でしょ」
そうした世間の思い込みにもかかわらず、バックパッカーもどきの旅行を楽しむため、往復のチケットと宿泊だけがセットとなったフリープランを利用して一人旅をする若い女性も増えてきた。
彼女たちもまた、ぼくと同様に、管理された海外旅行一人旅のスリルを上手に楽しんでいる。


ご訪問&最後まで読んでくださりありがとうございます。
お帰りの際、ひとつクリックお願いします。
お手数かけてすいません。
↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 写真ブログ スナップ写真へ
にほんブログ村

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水浸しの6号線

2011-10-12 22:28:00 | プチ放浪 都会編

 

出発の2日前の夜、仕事帰りにプールで泳いでいたら、更衣室のロッカーに入れていたiPhoneに留守録が入っていた。
何事?と思って、メールを確認すると、
「重要:9月27日カンボジア水害につきまして」
というもの。
豪雨の影響で昨夜大木が倒れたり道路が冠水していて、ほとんどの観光スポットや遺跡には入場ができないらしい。
旅行を取りやめるかどうかという緊急問い合わせだった。

アンコール・ワット、アンコール・トムなどアンコール遺跡群の観光拠点となっているカンボジアのシェムリアップは、東南アジア最大の湖トンレサップ湖の約10キロメートル北東にある。

このトンレサップ湖(大湖)は、自流域の水だけではなく、国際河川メコン川洪水流の一部を逆流で受け、水位が大きく変化し湖面が何倍にも広がる特異な淡水湖だ。
その氾濫作用によって大湖周辺には広大な浸水林(洪水林)が形成され、乾期には湿地となり、多様な生物相(生物多様性)を育くむ陸水圏をなしている。そこには、豊かな自然資源、特に浸水林と漁業資源、に依存する多くの人達が生活を営んでいる。

数日間降り続いた大雨でシェムリアップ川が氾濫。
遺跡の一部は陸の孤島化状態になっており、数日前は町へ帰れない旅行者の救助の為に軍のヘリコプターが救出に迎い約120人を救出したらしい。

もともと、ぼくは遺跡よりも、その土地に住む人々の生活に興味がある。今回の水害で、カンボジアの人々は何を考え、どのような行動をしているのだろうか。。
ぼくは、不謹慎ながらも、妙にわくわくする気持ちを抑えきれずに、計画通り参加の旨、メールに返信をした。


ご訪問&最後まで読んでくださりありがとうございます。
お帰りの際、ひとつクリックお願いします。
お手数かけてすいません。
↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 写真ブログ スナップ写真へ
にほんブログ村

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10月のしえと

2011-10-11 22:02:41 | 日記

 

今月のコーヒーはルワンダ。
・・・思いのほか、身の回りでアフリカンコーヒーがあふれている。

もともとルワンダではコーヒーは主要な輸出用の農作物で、品質にも定評があった。
しかし、1990年から1993年にかけ、フツ系の政府軍、および、インテラハムウェと、ツチ系のルワンダ愛国戦線 (Rwandan Patriotic Front,RPF)との間で行われた武力衝突・ルワンダ内戦と、和平協定後も続いたツチ族とフツ族の対立、虐殺(ジェノサイド)により、ルワンダのコーヒー生産はいったん壊滅的に。ジュノサイドでは、フツ族過激派により同族の穏健派やツチ族が120万人以上虐殺されたという。

最近、政情が安定して、ようやくルワンダ・コーヒーの輸出再開までこぎつけた。

ルワンダで思い出すのは「ホテル・ルワンダ」。
フツ族の過激派が巻き起こした混乱状態の中で、ホテルの副支配人だったポールは自分の家族を救うことをまず考えた。
しかし、虐殺(ジェノサイド)が始まったことを知り、ことの重大さに気がついた彼はホテルにツチ族やフツ族の難民をともに受け入れることを決断する。

彼は1268人の難民の命を救うことに成功する。彼には、隣人や家族を見捨てない人間としての心があったのだ。

 さて、しえとのルワンダ・コーヒー。マイルドで、コクもあって、苦味も酸味もそれほど強い主張はなく、・・・いや、それ以前に、佐原祭りの日の夕刻の、華やかな店の雰囲気が写真にできていない。


ご訪問&最後まで読んでくださりありがとうございます。
お帰りの際、ひとつクリックお願いします。
お手数かけてすいません。
↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 写真ブログ スナップ写真へ
にほんブログ村

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐原の大祭秋祭り

2011-10-10 22:10:27 | プチ放浪 都会編

   
 


300年の伝統。佐原の大祭秋祭り。
江戸優りの荘厳華麗な山車人形が夜空にきらめいていた。

見せ場は、前輪を軸にして山車を時計回りに回転させるのの字廻し。
山車の前には3mぐらいの梃子棒が取り付けられ、これで前輪の右側の車輪にブレーキをかけながら、
山車の後部の梃子棒を多くの引き手が持ち上げるようにして時計回りに回す。
車輪の前右輪をロックさせスピンさせる要領だ。
途中で止めることなく、ゆっくりと回すのが粋。ブレーキの梶棒のコントロールにはかなりの熟達が必要で、当然のことながら祭りの華だ。

スローシャッターを多用して、回転する山車の迫力を写し撮ろうとするフォトグラファーもいる。
引き手の表情を入れたいと思うとスローシャッターではぶれてしまうので、どっちを撮ろうかとジレンマに陥る。でも、やっぱり、ぼくは人物フォトが好きだ。瞬間瞬間の人々の輝いた表情が撮れたらと思う。

佐原の皆さん。お疲れ様でした。来年も一生懸命撮りますので、よろしくお願いします。


ご訪問&最後まで読んでくださりありがとうございます。
お帰りの際、ひとつクリックお願いします。
お手数かけてすいません。
↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 写真ブログ スナップ写真へ
にほんブログ村

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする