若狭町気山字寺谷に鎮座される「宇波西(うわせ)神社」。御祭神は『彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)』延喜式神名帳では名神大社に列し、北陸道の352座の神社の中で唯一、月次・新嘗の幣帛に預る神社とされます。
由緒「社伝によれば、御祭神鵜草葺不合尊と伝えられ御母豊玉姫が海辺で鵜の羽などを葺草にまぜて産殿の屋根を葺かれ、それができあがらないうちに御安産されたので右のような御名を奉られたという。 古来漁猟又安産の守護神として崇敬されている。古伝によると文武天皇の大宝元年(701)日向浦に垂跡あって、同年3月8日に上野谷に遷られ、大同元年(806)3月8日更に現在の地に御鎮座されたという。 建武・元亀年間再度兵火の為に炎上。現在殿は嘉永4年(1851)に造営された。」福井神社庁HPより
神橋を渡った先はさらなる神域。
清めの水を吐くのは「鵜」。はるかな昔、『鸕鶿草葺不合尊』の所在を漁師の六郎右衛門に伝えたことから、此処では「鵜」が神使いとされています。
手水鉢は三百二十余年前、浦見川開削を成し遂げた『行方久兵衛』が寄進したもので「寛文三年癸卯(みずのとう)暦 五月吉日施主敬白」と刻まれています。
手水舎の傍らに奉納された石灯籠、よく見ると宝珠の部分に小さな狛犬が乗っかています。
拝殿前左右より神域を守護されるのは、出雲丹後系の狛犬さん一対。阿形さんは左に子狛を連れ、吽形さんは毬らしきものに右手をかけています。
阿形さんの足元からこっそりと振り返る仔狛さん。大切な尾が欠けてしまったのがとても痛々しい・・・
拝殿の向背には「波間に戯れる鵜」。ふつうであれば「龍」が使われる場所の大半が「鵜」にとって変わられ、いかに「鵜」が重要な役目を果たしたかが、随所に示されています。
祈願絵馬に描かれているのは、毎年4月8日に宇波西まつりで「王の舞」を演じる舞人がつける鼻高の朱面。豊作や豊漁、そして国の平安を祈って演じられる「王の舞」は中世頃より始まったと言い伝えられており、他の二つの舞と共に国の選択無形民俗文化財に指定されています。
社殿左側 の境内に、樹高:約 28m、幹回り:5.07m、樹齢800年以上といわれる、町指定天然記念物の御神木の大杉。幹の先端は、明治にあった大火の延焼で枯れ、また平成になってからの落雷を幹に受け、樹皮がはがれることもあったそうです。多くの人の手によって守られてきた御神木は、大きく枝を広げ空に向かって聳え立っています。
参拝日:2012年7月10日
美保関の青石は、海辺のとなっていました。
青いのでてっきり同じものかと(笑)
あ、島根県美保関の 青石通り?ですが、
笏谷石の石畳ではないような気がします。
またゆっくり拝見させていただきますね☺️