tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

忖度と諫言その後:自分の意見が言えることが大事

2018年04月14日 12時25分26秒 | 政治
忖度と諫言その後:自分の意見が言えることが大事
 昨年5月に「忖度と諫言」を書きました。忖度というのは他人の心を思いやって、気を使ってあげるという事で、最近のニュースの問題は「忖度の行き過ぎ」じゃあないの?という趣旨で、したがって、その対語は「諫言」としたわけです。

 イメージとしては、お殿様の身勝手にも逆らってはいけないという家臣の対極に、お殿様の名誉のためにも、そんな身勝手は許されませんと、老いた忠臣が「この皺腹掻き切ってもお諫め申し上げます」といった構図でしょうか。

 安倍一強とは言われますが、そこまで行ってはどうも現代政治とかけ離れたイメージですよというご意見もあり、それでは「忖度と提言」ぐらいがいいのかなと思いました。

 忖度というのは相手への「おもいやり」の心でしょうから、全部相手の言うままに、というのは忖度の行き過ぎ、あるいは「自分の意思決定の放棄」でE.フロムの言う「自由からの逃走」でしょう。

 それでは民主主義は成り立ちません。みんなが自分の意見を持ち発言して、「面倒で、時間がかかっても」その多数を取って、妥協と納得で事を進めるのが民主主義でしょう。
 皆の意思が発言され、提言されて、初めて民主主義は健全になります。

 国会に登場するエリート官僚の方々が、我々庶民には理解できないようなアクロバティックな言葉を駆使し、なかなか本当の事が解らない(本当のことが解るまでに膨大な時間がかかる:時はカネでコストです)という事が起きる背景に何があったのか考えると、お役人が自分の意見を言いにくくなったのではなどと考えてしまいます。

 確かに、事務次官会議が、次官連絡会議になってその性格が変わったとか、内閣人事局の設置で省庁の幹部の人事は内閣に一元化されたことのなどの影響を言う見方もあるようです。
 これらは共に、政治を官僚の手から政治家に取り戻すという動きで、ある意味では当然と言えるものでしょう。

 確かにそうしたことも何らかの影響はあるのかもしれません、無いとは言えないでしょう。
 しかし、こうした制度や仕組みは「道具」のようなもので、その道具を使って、どんなものが出来上がるかは、使う人次第という事になるのでしょう。やっぱり、最後は「人」という事なのでしょうか。