tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

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経済成長は何処へ行った(6):リーマン・ショックなかりせば

2019年06月23日 17時58分15秒 | 経済
経済成長は何処へ行った(6):リーマン・ショックなかりせば
 2000年までの日本企業は、販売量の減少と価格低下の両方から売上高が減少する中で、何とか売上高の減少幅よりコスト削減幅を大きくしようという努力だけで生きてきた感じです。

 そして2000年に至ってようやくそれに目鼻を付ける企業が出てきたという所でしょう。減収でも増益という、いわば無理なコストカットが功を奏し、それでも微かな明かりが見えてきました。
 しかし2001年はアメリカのITバブル崩壊の影響で日本経済は落ち込み、いざなぎ越え」といわれた「好況感なき回復」は2002年からになりました。

 結果的にはこの回復は、残念ながら2008年アメリカ発の「リーマン・ショック」で終わるのですが、当時「失われた10年」といわれたコストカットの時期を凌いだ日本経済は、日本経済本来の生真面目さを保ちながら、自力回復を達成しようとした時期ではないかと考えています。

この時期の日本経済の名目成長率と実質成長率の状況を見たのが下の図です。

 「いざなぎ越え」前後の名目・実質成長率


 一貫して名目成長率よりも実質成長率が高いという状態で、一生懸命に生産活動には励むが、物価が下がるから経営は苦しいというのが企業の本音でしょう。
 もちろん労組も遠慮して、春闘要求は定昇程度、賃金も上がらず、まさに企業にも家計にも「好況感なき成長」でした。
 しかし、日本人の生真面目な努力が、2002年からは着実に1.5~2%程度の実質成長率を確保し、ています。

 現実には未だに日本の物価水準は諸外国に比べて高いものが多く、値下げ圧力は強いので、価格引き下げ努力を続けながら、何とか国際競争力の回復、世界一物価の高い国というイメージを払拭する努力を続けたという事でしょう。

 幸いなことに、アメリカの経済好調、強いドル意識などもあって2005~2007年には$1=¥120に近づく時期もあり、コスト削減努力の結果もあわせ、2006~2007年あたりの学卒求人は売り手市場になり、就職氷河期は終わったといわれました。

 この時期、非正規社員の比率の増加は止まりませんでしたが、これまで見てきたところでは、企業の教育訓練費には増加がみられ( 最近は減少傾向)、また、企業の研究開発費は2000年代初頭の16兆円台から2007年には19兆円に増えている( その後は増えず今も18兆円台)など、企業の意欲の高まりが見て取れるところです。

 もし、アメリカ発のサブプライム・ローン問題からのいわゆるリーマンショックがなかったならば、今の日本経済は、もう少しまともな形で健全な経済成長の路線を進んでいたのではないかと思えて仕方がないというのが、諸統計などから見た実感です。

 それだけリーマンシ・ョックとその後の異常なほどに深刻な円高の数年は、企業だけでなく、消費者心理、家計の行動にまで大きな影響を与え、今の日本経済の不振のもとを作っているように思われてなりません。
 その辺りをさらに見てみたいと思います。