G20共同声明:アメリカへの「配慮」か「 敬遠 」か
福岡での財政金融のG20、つくばでの貿易とデジタル経済のG20はともに教「共同声明」を採択して閉幕しました。
今回のG20は、アメリカがトランプ大統領の「アメリカ・ファースト」という従来のアメリカの自由経済、国際協調という路線と違った自国中心主義の主張がエスカレートする中で行われたわけですから、議論の行方には当然注目が集まります。
会議が終わってみれば、結局、アメリカ以外は入れたかったと思われる「保護主義に対抗」という文言は入りませんでした。貿易摩擦による世界経済の下振れリスクへの懸念を表明し、その場合は「さらなる行動」(中身は不明)をとるといったところでとどまっています。
アメリカに配慮することが、アメリカの孤立を深め、自体一層悪化させる可能性に配慮した大人の態度というべきでしょうか?(触らぬ神に祟りなしですか)
世界中がアメリカに困っているという現実が浮彫りになったという見方もあるようです。
米中貿易摩擦以外の問題では、前進したものも多くあるようです。デジタル貿易についての課税問題、経常収支の不均衡の多国間での解決の方向、途上国のインフラ投資の問題(債務の罠につながるよな:中国は納得)。また貿易問題ではWTOの機能改善が盛り込まれ、WTO事務局長がこれを歓迎という報道もありましたから、これも一歩前進でしょう。
これからも、閣僚級のG20は、エネルギー、農業、観光、保健、などなど続くようですが、こうした個別問題については、会合を重ねることが大きな意味を持つことも事実でしょう。
議長国としての日本が、何処から見ても「公正・適切」と感じられるような采配をすることが強く望まれるところです。
また、いささか余計なことを付け加えますが、世界の巨大問題である「米中摩擦」の行方は、大阪サミットで何かが見えてくるのかもしれませんが、貿易では受け身の中国が、南太平洋(日本とは尖閣問題)、北極海、宇宙開発、軍事力などでは、一貫して覇権国への道を進めているように見えます。
貿易問題は、さらに巨大な覇権問題の前哨戦なのかもしれません。
仕掛け人(国)のアメリカも、そしてトランプさんも歴史は浅く問題は当面の事象に集中するようですが、中国は4000年の歴史を持ち、「愚公山を移す」といった超長期までの目を持っているのかもしれません。だからでしょうか、事はそう簡単ではないという方が多いように感じるところです。
tnlaboの願いですが、これが「争いの文化」ではなく 「競いの文化」のレベル、より高次元の活動として進められることこそが、人類社会全体にとって、真に望ましい事ではないでしょうか。
福岡での財政金融のG20、つくばでの貿易とデジタル経済のG20はともに教「共同声明」を採択して閉幕しました。
今回のG20は、アメリカがトランプ大統領の「アメリカ・ファースト」という従来のアメリカの自由経済、国際協調という路線と違った自国中心主義の主張がエスカレートする中で行われたわけですから、議論の行方には当然注目が集まります。
会議が終わってみれば、結局、アメリカ以外は入れたかったと思われる「保護主義に対抗」という文言は入りませんでした。貿易摩擦による世界経済の下振れリスクへの懸念を表明し、その場合は「さらなる行動」(中身は不明)をとるといったところでとどまっています。
アメリカに配慮することが、アメリカの孤立を深め、自体一層悪化させる可能性に配慮した大人の態度というべきでしょうか?(触らぬ神に祟りなしですか)
世界中がアメリカに困っているという現実が浮彫りになったという見方もあるようです。
米中貿易摩擦以外の問題では、前進したものも多くあるようです。デジタル貿易についての課税問題、経常収支の不均衡の多国間での解決の方向、途上国のインフラ投資の問題(債務の罠につながるよな:中国は納得)。また貿易問題ではWTOの機能改善が盛り込まれ、WTO事務局長がこれを歓迎という報道もありましたから、これも一歩前進でしょう。
これからも、閣僚級のG20は、エネルギー、農業、観光、保健、などなど続くようですが、こうした個別問題については、会合を重ねることが大きな意味を持つことも事実でしょう。
議長国としての日本が、何処から見ても「公正・適切」と感じられるような采配をすることが強く望まれるところです。
また、いささか余計なことを付け加えますが、世界の巨大問題である「米中摩擦」の行方は、大阪サミットで何かが見えてくるのかもしれませんが、貿易では受け身の中国が、南太平洋(日本とは尖閣問題)、北極海、宇宙開発、軍事力などでは、一貫して覇権国への道を進めているように見えます。
貿易問題は、さらに巨大な覇権問題の前哨戦なのかもしれません。
仕掛け人(国)のアメリカも、そしてトランプさんも歴史は浅く問題は当面の事象に集中するようですが、中国は4000年の歴史を持ち、「愚公山を移す」といった超長期までの目を持っているのかもしれません。だからでしょうか、事はそう簡単ではないという方が多いように感じるところです。
tnlaboの願いですが、これが「争いの文化」ではなく 「競いの文化」のレベル、より高次元の活動として進められることこそが、人類社会全体にとって、真に望ましい事ではないでしょうか。