日本学術会議問題:総理答弁に思う
アメリカでは大統領選挙が終わり、集計作業に時間がかかっています。
大きい国なので、大変なようですが、それにしても、混迷の度は深いですね。
候補の一方が、選挙に不正があるからと、法廷闘争を選挙前から言うというのは、独裁国の話かと思っていましたら、アメリカで起きるとは、国の様相の一大変化でしょう。
所変わって日本ですが、今日も国会でやっていました。日本学術会議の問題についての菅総理の答弁を聞いていると、民主主義を掲げる文明国のリーダーの答弁とは思われないような情景が連続していて、こんなことが続いていたら、日本も野蛮国か独裁国になっていくのではないかと暗澹たる気持ちになるのを禁じ得ませんでした。
まあ、日本は民主主義国ですから、そんなことになる前に政権交代になって、まともな先進国の一員として生き残るだろと思うのですが、いや、まかり間違えばと、国民学校時代に経験したあの全体主義、軍部独裁の日のおぞましさが、ふと蘇るのです。
上の人の言う事がすべて正しい。疑問を持つことはよくなこと、どんなことが起きてもそれはお国のため と考えるのが当たり前だったのです。日本人は真面目で、与えらえた環境に順応するのでしょうか。
安倍一強と言われ始め頃から、忖度という言葉がはやり、官僚の世界は概ね忖度の世界となったように思われます。森友事件では忖度の出来ない人が犠牲者になりましたが、それは忖度の世界の中では無視されています。
今度の日本学術会議の問題では、菅総理の答弁は、「推薦された人をすべて任命するとはなっていない」「法令に従ってやっている」「内閣法制局に相談している」を何回でも繰り返せば、何時かはこの問題もうやむやになるだろうから、それまで我慢するという姿勢のように見えます。これも大変辛い事でしょうが、総理大臣になったからには仕方がないというお気持ちなのでしょうか。
菅総理は、今回の6人のの任命をしなかった事で日本の学術の世界に悪影響はないと言っていますが、その当否は別として、日本の学術の世界に悪影響を与えるような事は良くないと多分ご承知でしょう。学術を軽視する国が衰亡、破綻することは古くは秦の始皇帝の焚書坑儒から近くはカンボジヤのポルポト政権の学識者大虐殺まで当然ご存知と思っています。
勿論一官僚の意見が、この事件を引き起こしたのではないでしょう。報道によれば、この動きは何年か前からあったようで、その流れを受けて、新任の菅総理がやってしまったと見る人もいるようです。
中曽根発言(総理の任命は形式)は、広く知られていますが、どう考えてもそれとは違う最近の自民党の中に、こうしたおぞましい思想的な変容の兆しが表れていることには、党名との大きな断絶の感を禁じ得ない所です。
アメリカでは大統領選挙が終わり、集計作業に時間がかかっています。
大きい国なので、大変なようですが、それにしても、混迷の度は深いですね。
候補の一方が、選挙に不正があるからと、法廷闘争を選挙前から言うというのは、独裁国の話かと思っていましたら、アメリカで起きるとは、国の様相の一大変化でしょう。
所変わって日本ですが、今日も国会でやっていました。日本学術会議の問題についての菅総理の答弁を聞いていると、民主主義を掲げる文明国のリーダーの答弁とは思われないような情景が連続していて、こんなことが続いていたら、日本も野蛮国か独裁国になっていくのではないかと暗澹たる気持ちになるのを禁じ得ませんでした。
まあ、日本は民主主義国ですから、そんなことになる前に政権交代になって、まともな先進国の一員として生き残るだろと思うのですが、いや、まかり間違えばと、国民学校時代に経験したあの全体主義、軍部独裁の日のおぞましさが、ふと蘇るのです。
上の人の言う事がすべて正しい。疑問を持つことはよくなこと、どんなことが起きてもそれはお国のため と考えるのが当たり前だったのです。日本人は真面目で、与えらえた環境に順応するのでしょうか。
安倍一強と言われ始め頃から、忖度という言葉がはやり、官僚の世界は概ね忖度の世界となったように思われます。森友事件では忖度の出来ない人が犠牲者になりましたが、それは忖度の世界の中では無視されています。
今度の日本学術会議の問題では、菅総理の答弁は、「推薦された人をすべて任命するとはなっていない」「法令に従ってやっている」「内閣法制局に相談している」を何回でも繰り返せば、何時かはこの問題もうやむやになるだろうから、それまで我慢するという姿勢のように見えます。これも大変辛い事でしょうが、総理大臣になったからには仕方がないというお気持ちなのでしょうか。
菅総理は、今回の6人のの任命をしなかった事で日本の学術の世界に悪影響はないと言っていますが、その当否は別として、日本の学術の世界に悪影響を与えるような事は良くないと多分ご承知でしょう。学術を軽視する国が衰亡、破綻することは古くは秦の始皇帝の焚書坑儒から近くはカンボジヤのポルポト政権の学識者大虐殺まで当然ご存知と思っています。
勿論一官僚の意見が、この事件を引き起こしたのではないでしょう。報道によれば、この動きは何年か前からあったようで、その流れを受けて、新任の菅総理がやってしまったと見る人もいるようです。
中曽根発言(総理の任命は形式)は、広く知られていますが、どう考えてもそれとは違う最近の自民党の中に、こうしたおぞましい思想的な変容の兆しが表れていることには、党名との大きな断絶の感を禁じ得ない所です。