最近の日本政治につての例証
前回、本来の新自由主義は、合理的な規制はしっかりと守り、不合理な規制は改めるように考える。そして改めるのは、行政の権力ではなく、立法府において行う、その上で、政府は、決められたルールがしっかり守られるようレフェリーの役に徹する、間違ってもプレーヤーにはならない、というのが基本的な理念ではないかと纏めました。
こうした本来の新自由主義に則って我々の身近な、日本の政府の最近の行動について見ていきたいと思います。
安倍政権が発足して、「決める政治」を標榜し、長期不況で低迷を続けた日本の経済、社会の活性化を図ろうとしました。
志は立派でしたが、最初から「勇み足」風でした。それは「行政の力」で決めるという意向が透けて見えたからです。
具体的に見ていきますと、先ず、日本経済の長期低迷の最大の原因は、国際金融市場において、円の相場が高すぎる事(円高)が原因だから、合理的な手法で適正な水準(例えば購買力平価)まで円安にすべきだと考えました。
しかしこれは政府にはできませんから、日銀に頼みました。日銀は立派にこれをやり遂げたのです。
異次元金融緩和(アメリカが取った方法)で1ドルは80円ら120円になりました。これで日本経済が健全な経済成長をするベースが出来ました。大成功でした。
これが「アベノミクス」の出発点です。アベノミクスというのは、どうやら安倍さん自身が使い始めたようです。こういうのは通常「贈り名」で、マスコミや後世の学者がつけるのもですが、安倍さんは、決める政治で自分が決めたいという気持ちが強すぎたのでしょう。
それからは岩盤規制に風穴をという事でいろいろな事が出てきましたが、大きく躓いたのが所謂モリ・カケ問題です。
モリ・カケについて考えますと、基礎教育が大事だから小学校教育を良くしようとか、不足が見込まれる畜産部門の獣医師の育成が必要との理由で獣医関連の高等教育の充実のため、そうした大学の新設が必要と考えたようです。
そして、新設の学校が容易にできないのは、岩盤規制の為という理屈で、ルールは無視し、特定の件を安倍首相の「首相案件」のラベルで「岩盤規制に風穴」を空けたと自画自賛したのです。
学校新設という事業に、総理の意向で行政がプレーヤーになってしまったのです。
当然ルール違反です。記録は改ざんや廃棄をしなければなりません。国会答弁も本当のことは言えません。結果、これらの関連だけで、国会は過半数の時間を費やしたのではないでしょうか。
菅政権になって早速起きたのが、日本学術会議会員の推薦候補の内6人の任命強費問題です。これも、菅総理が「前例を守る必要はない」「既得権は見直すべきだ」と従来のルールを破ることが良いことだと自らプレーヤーになったのです。
まずかったことに気づいて、「選考方法をもっと公明正大になものに見直すべきだ」とルールの見直しにすり替えていますが、本来そちらが先で、それでいいルールが出来れば、何も問題は起きなかったでしょう。
これも総理がプレーヤーになったことが無駄な国会空転を齎しています。
いずれにしても、政府には、学術会議の会員を選ぶための知見も能力もありません。
桜を見る会に見ますように、容易に自分の都合のいい人選をするような事になるだろうという想像はつきます。
立法府がルールを作り、政府、行政は、それが誤りなく実行されるようレフェリーの役に徹するべきで、そうすれば無駄な国会論議も忖度も記録改竄も虚偽答弁もなくなり、大臣や官僚の仕事もずっとすっきりするでしょう。
そうなることで、日本の経済社会は、合理的、効率的に経済社会の発展の道を歩めるのでは無いでしょうか。
「新自由主義」の理念に立って現状の問題点を指摘すれば、政府・行政が、総理以下、自分たちが規制改革のプレーヤーだという誤った認識を持ってしまったことが最大の原因という事になるのでしょう。
蛇足:聖徳太子の「17条の憲法」
第17条「夫事不可独断 必与衆宜論」現代語訳「それ事は一人にて断ずべからず 必ず衆とともに宜しく論ずべし」
前回、本来の新自由主義は、合理的な規制はしっかりと守り、不合理な規制は改めるように考える。そして改めるのは、行政の権力ではなく、立法府において行う、その上で、政府は、決められたルールがしっかり守られるようレフェリーの役に徹する、間違ってもプレーヤーにはならない、というのが基本的な理念ではないかと纏めました。
こうした本来の新自由主義に則って我々の身近な、日本の政府の最近の行動について見ていきたいと思います。
安倍政権が発足して、「決める政治」を標榜し、長期不況で低迷を続けた日本の経済、社会の活性化を図ろうとしました。
志は立派でしたが、最初から「勇み足」風でした。それは「行政の力」で決めるという意向が透けて見えたからです。
具体的に見ていきますと、先ず、日本経済の長期低迷の最大の原因は、国際金融市場において、円の相場が高すぎる事(円高)が原因だから、合理的な手法で適正な水準(例えば購買力平価)まで円安にすべきだと考えました。
しかしこれは政府にはできませんから、日銀に頼みました。日銀は立派にこれをやり遂げたのです。
異次元金融緩和(アメリカが取った方法)で1ドルは80円ら120円になりました。これで日本経済が健全な経済成長をするベースが出来ました。大成功でした。
これが「アベノミクス」の出発点です。アベノミクスというのは、どうやら安倍さん自身が使い始めたようです。こういうのは通常「贈り名」で、マスコミや後世の学者がつけるのもですが、安倍さんは、決める政治で自分が決めたいという気持ちが強すぎたのでしょう。
それからは岩盤規制に風穴をという事でいろいろな事が出てきましたが、大きく躓いたのが所謂モリ・カケ問題です。
モリ・カケについて考えますと、基礎教育が大事だから小学校教育を良くしようとか、不足が見込まれる畜産部門の獣医師の育成が必要との理由で獣医関連の高等教育の充実のため、そうした大学の新設が必要と考えたようです。
そして、新設の学校が容易にできないのは、岩盤規制の為という理屈で、ルールは無視し、特定の件を安倍首相の「首相案件」のラベルで「岩盤規制に風穴」を空けたと自画自賛したのです。
学校新設という事業に、総理の意向で行政がプレーヤーになってしまったのです。
当然ルール違反です。記録は改ざんや廃棄をしなければなりません。国会答弁も本当のことは言えません。結果、これらの関連だけで、国会は過半数の時間を費やしたのではないでしょうか。
菅政権になって早速起きたのが、日本学術会議会員の推薦候補の内6人の任命強費問題です。これも、菅総理が「前例を守る必要はない」「既得権は見直すべきだ」と従来のルールを破ることが良いことだと自らプレーヤーになったのです。
まずかったことに気づいて、「選考方法をもっと公明正大になものに見直すべきだ」とルールの見直しにすり替えていますが、本来そちらが先で、それでいいルールが出来れば、何も問題は起きなかったでしょう。
これも総理がプレーヤーになったことが無駄な国会空転を齎しています。
いずれにしても、政府には、学術会議の会員を選ぶための知見も能力もありません。
桜を見る会に見ますように、容易に自分の都合のいい人選をするような事になるだろうという想像はつきます。
立法府がルールを作り、政府、行政は、それが誤りなく実行されるようレフェリーの役に徹するべきで、そうすれば無駄な国会論議も忖度も記録改竄も虚偽答弁もなくなり、大臣や官僚の仕事もずっとすっきりするでしょう。
そうなることで、日本の経済社会は、合理的、効率的に経済社会の発展の道を歩めるのでは無いでしょうか。
「新自由主義」の理念に立って現状の問題点を指摘すれば、政府・行政が、総理以下、自分たちが規制改革のプレーヤーだという誤った認識を持ってしまったことが最大の原因という事になるのでしょう。
蛇足:聖徳太子の「17条の憲法」
第17条「夫事不可独断 必与衆宜論」現代語訳「それ事は一人にて断ずべからず 必ず衆とともに宜しく論ずべし」