tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

SDGsと日本の伝統文化:余談

2021年03月09日 21時17分18秒 | 環境
SDGsと日本の伝統文化:余談
 SDGs、持続化能な開発目標の大前提は先ず持続可能性でしょう。
 持続可能性ということになりますと、私は子供の時に教わったこんな歌を思い出します。
 あまり上品な歌ではありませんが

「世の中は食うて ばばして 寝て起きて
        子が親になる 子が親になる」

 これは、世の中というものは所詮こんなものだ、という事を言っているのでしょうが、考えてみると、随分意味は深いのかもしれません。
 因みに、何か解説する資料があるかと思ってネットを繰ってみましたが。この歌は発見できませんでした。

 この歌の通りに世の中が進んでいけば、人類社会の持続可能性は保証されるわけです。しかし、例えば。今回の新型コロナ禍の様な事が起きると持続可能性はあちこちで切れてしまいます。
 今日は3月10日ですが自然災害でも同じです。さらに悲惨なのは、人と人とが殺し合う戦争でしょう。

 今、SDGsで主要な課題になっているのは温室効果ガスによる地球環境の変化ですが、原爆戦争で地球環境が人が住めなくなる可能性も無きにしも非ずでしょう。( アインシュタインの予言)
 現に、一部には、化石燃料の代わりに原子力を使おうという意見もあります。

 しかし、原子力には環境汚染はないかというと、とんでもありません。核融合は別として核分裂のエネルギー利用は、長期かつ広範な放射能汚染を伴います。
簡単に言えば、時間をかけて少しづつ原爆戦争をやっておるようなものです。

 オンカロの事はすでに書きましたが(下記10万年前、10万年後参照)、放射能は10万年も残ります。トイレの無いマンションにトイレを作り結局は埋めたり海に流したり空中に放出したりで汚染は10万年後迄堆積します。放射能の半減期は決まっていますからどうにもならないでしょう。

 例えば東海事業所の汚染水も、フランスの再処理工場の汚染水も結局は海に流す以外にはないのです。
 10万年前、ホモサピエンスは何をしていたか「 10万年前、10万年後」で触れましたが10万年はホモサピエンスの歴史には長すぎます。

 SDGsの立場からは、結局、核分裂のエネルギーは利用しない方が良いのでしょう。
 こうして結論は矢張り太陽エネルギーに戻って来ます。

 太陽光も、太陽熱も、風力も、水力も、海流もすべては日々降り注ぐ太陽エネルギーの所産です。これを如何に巧く活用するかが腕の見せ所でしょう。

 「子が親になる 子が親になる」というサイクルが安定して繰り返されるためのエネルギーは、幸にも太陽が無償で提供してくれているのです。

日本の伝統文化はSDGsに良く似合う

2021年03月09日 00時19分17秒 | 環境
日本の伝統文化はSDGsに良く似合う
 現在、終末時計は残り100秒だそうです。
 SDGsが言われる所以ですが、方向転換は容易ではありません。 

 何とか終末時計を少しでも巻き戻すには、SDGsを徹底する以外にありません。
 SDGs(Sustainable Development Goals 持続可能な開発目標)の、問題は「持続可能」という言葉でしょう。

 今やっていることを続けていくことが出来るのか出來ないのか、あらゆることにこの判断が必要になるのでしょう。

 今、喫緊の課題は、温室効果ガスの削減です。このままCO2をはじめとした温室効果ガスを出し続けることは地球環境を壊滅させると予想されています。日本も2050年までにCO2排出実質ゼロを掲げました。

ところで、ここで考えてみたいのは、日本は伝統的に「自然」を大事にしてきたということです。
地球環境を守るということは、地球の自然を大事にするということです。

 地球は46億年の歴史の中で火だるまの鉱物の塊から多様な変遷を経て生物の原型が発生し、それが進化してヒトにまでなったのが400万年ぐらい前、いわばつい最近です、我々ホモサピエンスが生まれたのはせいぜい30万年ぐらい前の事でしょう。

そんな奇跡の発展を可能にした地球の自然を、ホモサピエンスがこの100~200年の間に生物多様性の存在を許さないような環境にしてしまう可能性があるというのです。
具体的にいえば、多様な生物が住めないような自然環境にしてしまうということです。勿論多様な生物の中には人間もはいることになるのでしょう。

残念ながら、今の日本人は舶来尊重のあまり、日本の伝統文化を忘れ去ってしまったような気が私はしているのです。

日本人はもともと自然を大事にして繁栄してきたのです。山川草木に霊性を認め、自分たちも自然の一部と認識し、自分たちの生存の原点が自然の恵みにあることをよく理解し、常に自然にその返礼をしながら発展してきたのです。

自然の恵みに感謝し返礼をすれば、自然はより豊かな恵みを与えてくれる、というのが基本的な思想だったのです。

典型的な例は、里山や田んぼでしょう。急峻な日本地形の山と里の中間に、動物と人減の緩衝地帯を作り、また急峻は流れを蛇行させ網の目の水路を作り、水田耕作をする。
人間が自然に手を入れることにより、人間と動物の交流の場、狩猟の場が生まれ、網の目の水路は扇状地の上にも豊かな水田が可能なるのです。
また、山を育てれば海が育つといった関係を理解し、山林面積を多く残し豊かな海産物を利用しているのです。
これらはすべて人間と自然のwin=winの関係で、持続可能な開発を可能にするものです。

本来地球上に生物が発生し、ホモサピエンスにまで進化したのは、地球に水があり、太陽が無償のエネルギーを与えてくれているからにほかなりません。

こう考えてくれば、SDGs実現の基本は、水を汚さないこと、そして太陽エネルギーを感謝しつつ最大限の利用をあらゆる科学技術の開発で実現していくという事でしょう。
毎日無償で与えられている太陽エネルギー、これを徹底利用すれば人類にはあり余る程のエネルギー活用が可能になるのではないでしょうか。