コロナ後を考えるのは早すぎる?
デルタ株にどこまでワクチンが効くのか? 効く効かないより、大体ワクチンが足りなくて打てないということなのでしょうか。
開会まで1か月を切った東京五輪さえ、未だに賛否両論で、日本が、こんなに混乱状態になるなどとは考えられない、というのが多くの日本人の気持ちなのではないでしょうか。
これもだれかが「決める政治」などと言って、数を頼んで権力で押し通すようなことを繰り返し、もともとソフトなコンセンサス社会である日本に、異文化を持ち込んだことから起きているのかもしれません。
そんなこんなで、コロナ後など論じる時ではないよと言われそうですが、いずれ、何時かはコロナ後になるのでしょうから、やっぱり少し先走ってもいいかな、などと思っています。
これまでも述べて来ましたように、コロナ後の日本経済は、できれば、長期的に健全な安定成長を続けたいと考えるわけです。
そこでSDGsという概念が出て来て、SDGsに不都合なものは排除していこうということになります。
そして、最も基本的なところで、社会が格差化していくと、歴史に見るようにいつかは破綻する、つまり格差化する社会はサステイナブルでありないということなります。
ピケティの言うように、資本主義社会では常に格差化が進行するとすれば、どの程度の格差化まで許容できるかを、国民の多数決、あるいはコンセンサスといった形で国として把握し、それ以上の格差化は進めないように、税制や社会保障制度で対応するといったいわゆる「社会政策」の目標を持つということが必要になるのでしょう。
そこで考えておかなければならない事は、この政策の対象は、さしあたって、実体経済に関わる部分だということになるという事です。
すでに述べましたように、実体経済、つまりGDPを生み出す経済活動に関わる取引の100倍以上にも達するカネが、マネーマーケットで動いているとすれば、そこから生まれるキャピタルゲインもまた巨大でしょう。
そのマネーが実体経済の世界に購買力として参加してきたら、一体どうなるのか想像もつかないのですが、現実にはそうした金(マネー)は、実体経済とは関係ない「資本蓄積の巨大化を競う」評価損益、時価総額を競うという「マネーゲームの世界」で回転していて、実体経済の方には「余り流れ込んでこないのではないか」という仮定(注)を置く必用があるように思います。
元々、東京証券取引所の上場企業の時価総額がいくら増えても、日本経済のGNPには全く関係がないわけで、日本人はGDPで生活しているのです。
そういう意味では、人口の1%がその国の富の90%を保有するといった表現は、マネーマーケットのカネ(時価評価額)も一緒にした数字の場合ですから、いわば見かけの格差でしょう。
億万長者がそのカネでトイレットペーパーやマスクを買い占めることは「ない」とすれば、庶民の生活に関係するのは90%の100分の1以下、0.9%以下だろうというのが、前述のマネーマーケットのカネは実体経済のカネの100倍以上というころから推定されるわけです。
ということは、格差問題を論じる場合には、当面、GDPレベルの分配問題を対象に考えていってもいいのではないかという事です。
これからの検討は、差し当たって、そうした前提に立つという所から出発したいと思います。
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注:株で儲けたから贅沢な食事をしたとかいう場合は、マネーマーケットのカネが、GDPレベルの実体経済に、購買力として侵入してくるケースです。この問題もあとから検討したいと思っています。