エリッヒ・フロムが『自由からの逃走』を書いたのは、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間です。エリッヒ・フロムは、ナチスのドイツからアメリカ逃れたユダヤ人ですが、この本のメインテーマは、第一次世界大戦の敗戦国ドイツに如何にしてナチスという独裁政権が生まれたかを研究、そこに「人間は自由から逃れようとする性癖、がある」ことを指摘し、そして、ナチスを徹底批判した本です。
ところで、今「新しい戦前」などという言葉が生れています。これは現状が、第二次世界大戦と第三次世界大戦の間のあるのではないかという疑問(意識)を、半分ジョークで、半分は警告として語られているようです。
折しも、第二次世界大戦の戦勝国であるソ連が独裁化し国家の運営に失敗して崩壊。その中枢国であったロシアが国際的に孤立感からか、改めて独裁政権を確立、旧版図であるウクライナに軍事侵攻し、すでに3年近く、ヨーロッパ諸国との対立が深刻化を強めています。
それに触発されたようにイスラエルとパレスチナの武力戦闘が起き、イスラエルの異常なパレスチナ制圧作戦が進行し、それがレバノン、イランに飛び火するといった動きに広がっています。
更に見渡せば、独裁国、北朝鮮の核武装の段階が進み、巨大国家中国が独裁色を強め、アジアではさらにミャンマー、南米では世界一の石油資源を誇るベネズエラの独裁政権がさらに独裁色を強めるなど、形は民主主義の中からも独裁政権が生まれるという現実を含め、独裁的な国が増加しているように思われます。
日本においても、安倍政権の時は与党の絶対多数を背景に、国会であるべきことを閣議決定で済ませ、法律や制度の恣意的なとり扱いも種々ありました。
民主主義のリーダー、アメリカでさえ、かつてのトランプ政権の下では世論や国際関係を無視した意思決定も多く、第二次トランプ政権の在り方が心配されているようです。
つまり、権力者は往々にして自己の権力を過剰に意識し、それに対して国民の多くは、敢えて反対しないばかりか、追従したりするのです。
エリッヒ・フロムは、そこに自由主義、民主主義の危機を感じたのでしょう。
つまり人は時に、与えられた自由、特に、自分自身が選択し決定し行動するという「積極的自由」の負担を嫌い、人権の一環として与えられた自由から逃げようとするのです。
自分では何もしない、知的活動も身体的活動も億劫だ、権力者の言う事に賛成していればそれでことは済む、「これも自由だ」と自由を誤解しているのでしょうか。
選挙でいえば、「賛成」と「棄権」は、殆んど同じ効果を持つというのが、自由な民主主義だという事になってしまうのが『自由からの逃走』の示唆する所ではないでしょうか。
かくして、権力者の人柄如何によって、独裁的な政治が行われたり、時には明らかな独裁者が生れてしまうという事に帰結する事になるのです。
あなたは自由から逃走しませんよね!