昨日は敬老の日でした。折角の国民の祝日でしたが、高齢者を大切にする事と、経済成長や国家予算のやりくりという問題で、世界の先進国は軒並み年金問題で苦しんでいるといった現実を書きました。
前々回は、「働き方改革」に関連して、人手が足りないのはエッセンシャルワーカーなどの社会の重要な分野を含む対個人サービスの職務だと書きました。
こうした問題はみんな、生産性の向上と生産性向上の成果の分配の問題に関わる事ですということを今回は整理しておきたいと思います。
こう書いただけで、もうこのブログが「何を言おうとしているか解ったよ」とおっしゃる方もおられると思います。その場合は「巧く書けているか」採点して下さい。
前回、高齢化問題の中で「今の日本社会は、昔のように、絶対的窮乏の社会ではありませんから、GDPの配分を適正化すれば、何とでもなると思うのですが」と書きました。
日本人は、日本のGDP(より正確には国民所得)で生活しています。GDPが増えれば(経済成長)日本は豊かになります。GDPが増えるのは労働生産性が上がるからです。企業では生産性が上がれば賃金が上げられます。賃金が上がれば従業員は豊かになります。
ここまではいいのですが、やっている仕事によって生産性が上げやすい所と上げにくい所があります。端的に言って、技術革新が生まれやすい所は生産性が上がりますが、技術革新が起きにくい所は生産性が上がりません。
生産性の上がりやすい所の代表は製造業、上がりにくい所の代表は対個人サービスでしょう。
GDPは殆んど企業が創りますから、生産性の上がる企業は賃金が上がりやすく、生産性の上げにくい企業は賃金が上げにくいということになり、産業別、業種別、企業別、職種別で、賃金格差が生まれます。
労働経済学では、この格差は、労働需給によって調整される事になっています。必要な人が集まらないと賃金を上げなければならないという形で上がるのです。
今マスコミで報じられているのは、訪問介護やタクシーの人手不足です、労働経済の理論に従えば、訪問介護やタクシー料金が上がって、賃金も上がり人手不足が解消するのですが、訪問介護もタクシーも政府の許認可で、料金が決まっているので、生産性が上がらず、賃金が上げられない企業は、倒産、廃業でサービスが無くなるといったことのようです。
勿論史上最高の利益、ボーナスも最高といった企業が悪いわけではありません。それは企業努力の結果で,日本経済に貢献しているのです。
ただ、はっきり言えることは、産業構造の中で、生産性の上がりやすい所と上がりにくい所があるのは当然で、特に、高齢化が深刻化するような場合、対個人サービスという最も生産性の上がりにくい部門で人手不足が深刻になることは避けがたいということは自明です。
結局は、高生産性の分野が、生産性は上がらないが、健全な社会の維持のために存在が必須な、いわゆるエッセンシャルな分野の活動のための負担をすることで社会全体がスムーズに回転していくというシステムを「適切に上手に整備する」ということを真剣に考えていかなければならないのです。
これは、国、社会全体の大きな課題で、それに成功した国が、働きやすく、生活もし易い国民にとって望ましい国ということになるのでしょう。
そういう事を確り考えて政策を打つ政府を持ち、それが豊かで快適な国、社会に必須なことだという国民の意識と行動が最も大事ということではないでしょうか。