21世紀が始まった2000年代の中ごろでしょうか、ワークライフ・バランスという事が言われ始めたように記憶しています。
もともと英語ですから欧米から、特にヨーロッパや国際機関から入ってきたようですが日本で急速に広まり、政府も内閣府中心に「憲章」まで作り、国民の理解に力を入れたようです。
ヨーロッパでワークライフ・バランスが言われるようになったのは、基本的に少子化問題が原因で、男性も子育てに協力せよという意識が「ワーク=仕事」「ライフ=家庭」という意味で問題になったようです。
たぶん、ヨーロッパや国際機関でいわれるワークライフ・バランスは、単純に、外での仕事と家事労働などの家での仕事のバランスが、男女間に負担の差があって、それが少子化の原因にもなるという極めて具体的な現象面の問題として取り上げられてきていたのでしょう。
今は日本でも夫婦が共に仕事を持つのが一般的になってきて、男性も家事労働を分担するというのが若い人たちの家庭では一般的になっていますが、ヨーロッパでは一足早くその波が来ていたのでしょう。
この「ワークライフ・バランス」も日本に入ってきて大きく変容したようです。
日本人は、もともと働くことは「貴い」ことで人間の生きる意味ですらあるといった考えが根づいています。そのために、日本人は「働き中毒」などと言われ、些か行き過ぎで、時に長時間労働も厭わず、KROSHI(過労死)が英語になったりしています。
欧米では、旧約聖書以来、働くことについては日本ほど積極的な意味付けは薄く、収入を得るために自分の時間を切り売りするといった意識が結構強いようです。
日本と欧米で大きく違った「労働観」が存在するという状況の中で、少子化という共通の問題を前にして、ワークライフ・バランスという同じ言葉が注目される事になったわけです。
こうした中で出来上がったのが日本独特の「ワークライフ・バランス」の意味付けです。
内閣府は「ワークライフ・バランス憲章」の趣旨をこう説明しています。
「国民一人ひとりがやりがいや充実感を感じながら働き、仕事上の責任を果たすとともに、家庭や地域生活などにおいても、子育て期、中高年期といった人生の各段階に応じて多様な生き方が選択・実現できる社会」
これはワークライフ・バランスというより、働き方を中心に日本人の生き方はこうあるべしという心得の提示というべきものでしょう。
ところで、もともと働き者の日本人に、こんな「心得」を提示しなければならないと考える日本政府とうのは、日本人の知性・自主性を見下げたお節介焼きという事にはならないでしょうか。
この延長線上に、もう何年も騒がしい「働き方改革」もあるのでしょう。かつて、あれは「働かせ方改革」で「余計なお世話」と書きましたが、現場では政府が「やめろ」という新卒一括採用から、定期昇給、職能資格制など人事賃金制度まで骨格は変わっていません、仕事給は非正規労働者、定年再雇用者、契約社員には以前から完全適用で、今後もそうでしょう。
欧米と日本では「働く」事の意義づけに基本的な違いがあるという事の理解が政府には欠如しているようです。
日本人は、確り考えて、日本的経営の中でやって来ています。政府が世話を焼けば焼く程それが上手くいかなくなるようです。
本当に必要なのは、「政府自身の働き方改革」ではないかという気がしています。