今日は朝からミャンマー水祭りに参加するつもりだったんだけど、なんとなくやめて家に。
いつ買ったのか忘れてしまってはいるが落合恵子さん「泣きかたを忘れていた」がベッドの下から出てきたので読んでいる。
おじいさんの自転車のことが書いてある。
僕の自転車での一番の思い出は母方の伯父に自転車の荷台に乗せてもらって小学校へ送ってもらっていたこと。伯父は小学校のすぐ近くの鐘化へ勤めていた。僕は冬になると霜焼けがひどく膿んでいた。4年生の3学期にリウウマチ熱をやって服薬を始めてからはピタッとなっくなったので多分乗せてもらっていたのは小学校4年生の冬ぐらいまでだったのだろう。伯父はこの自転車をとても大事に使っていた。仕事の休みの日には手入れを怠らなかった。そう言えばもっと幼い頃自転車には鑑札(当時はそう読んでいた)があった。古く覚えているのはハンドルにぶらさげる型、その後は後輪の泥除けにくっつけるものだった。いつ頃なくなったんかなあ?
僕の初めての自転車はいつ頃だったろうか父の妹、直叔母が買ってくれた中古の自転車だった。誰かが緑色に塗ってくれたと覚えている。この自転車で加古川の街はもちろん、的形から飾磨を通って姫路城まで何回か行ったなあ。
そう言えばリウマチ熱になった頃は心電図が一般的になる頃だったんだろうか直伯母に連れられてわざわざ阪大病院へ定期的に通ったこともあった、いつ頃までかなあ??? 小学校卒業までは続いたんかな
中学校に入って体育の授業時間に見学をしていたら「どうしたんか、万年怠慢病か」と言われたのをその教師の名前とともにいまだに覚えている。65年近くも前のことやねん
歩道のすみれ