外国人の子どもたちきのう買った朝日新聞の切り抜きです。読んでみると 一世代前の ろう者の両親を持つ聞こえる子ども達が担ってきた役割と本当によく似ています。以前、ビヨンド・サイレンスでも同...
昨日の新聞に 政見放送の字幕付きが一部で始まったと書いてあった、こんなことが広がっていくんはものすごうええことやと思うわ。
ただ、僕がちょっと気になったんは手話のわかる聞こえない人はほんの一部やから…ということがかいてあったことや。
立会演説会がなくなって 政見放送だけになった時には全然手話通訳もついとらへんかった。まあ、手話通訳がつくようになったいきさつには「必要や」いうことだけやないいきさつもあるらしいんやけど、長~い取り組みの中で着くようになってきたんも事実やで。
字幕が付く必要性を説きはるんはようわかるんやけど、その時にこんな言い方はあんまり好かんなあ。
それともう一つ、手話サークル・あすなろの例会を使って政見放送を見る会を開きたいなんて言うてきはったらしい。
今は僕は、「運動としての手話通訳付き」ではのうて、きちんと聞こえない人への情報を保証する取り組みでないとアカンと思うとる。
人によって伝える力が違うとることをきちんとわかって最大限、伝える力を発揮できるかどうか。難しい事やなあ。責任はものすごう大きいわ。