暴力追放の大会が開かれてアーケード内を練り歩いたらしい。中国新聞の記事やけど、この練り歩き、何列? 横断幕を持ってはるんは数えたら7人並んではるやろ。
これが例えば原爆無くそうという平和の行進やったら、警察は「4列で!」とうるさいで。
こんなとこにもダブルスタンダードや・・・
これは決して小さなこととはちゃうと思う・・・
暴力追放の大会が開かれてアーケード内を練り歩いたらしい。中国新聞の記事やけど、この練り歩き、何列? 横断幕を持ってはるんは数えたら7人並んではるやろ。
これが例えば原爆無くそうという平和の行進やったら、警察は「4列で!」とうるさいで。
こんなとこにもダブルスタンダードや・・・
これは決して小さなこととはちゃうと思う・・・
夏にブータンへ行った時に、日本語学校の教師は
「今の日本のやり方を続けていたら、誰も日本へは来てくれなくなるよ」と行っておられたけど、
ほんまにひどいことが続いとる。
「留学生」やら「技能実習生」やらという名前のほんまに低賃金の労働者にきちんとした関わりを続けんとあかんわ。
先日テレビで広島の造船会社の社長もおんなじようなこと言うてはったわ。
12月1日の中国新聞に 8日の「平和と手話通訳を考えるつどい」のことが記事になった。
今年は「今日」を戦前としないために と題して 広島県被爆教師の会会長の江草裕司さんに被爆体験をお話しいただく。
もちろんどなたでも参加ができます。
(当日僕は欠席なんやけど)
ぜひご参加ください
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今日の日経新聞にこんなコラムがあった。
日本語教師のなり手を増やすにはボランティアに頼っててはあかん、国は専門職を養成して常勤職員を増やさなあかんのに、シニア層の生涯学習ニーズに乗ってごまかそうとしよる。「学」としての日本語教育を、その中で多文化共生を学べる・・・と書いてある。
この安上がりしか考えんやり方は手話もおんなじや。
きちんとした手話教育と手話通訳者の養成をせずに 金がかからん方法しか考えん今のやり方ではなあ、
育たへん!
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昨日は反貧困ネットなどの生活保護学習会 終了後の懇親会にまで参加して色々お話をお聞きできました。
今日は山口の「罪に問われた高齢者、障害者の刑事弁護における司法と福祉の連携のための4会合同研修会」に参加してきました。
午前中はこうりょう病院の岡村ワーカーの「依存症専門病院の取り組みから見えること」と題するお話と「病的賭博」当事者のお二人の体験発表でした。
お話を聞いていてやはり当事者の支え合いの大きな力を強く感じました。
午後は北九州医療刑務所長の瀧井医師の摂食障害のお話。
矯正施設内での治療についてでしたが、僕はもともと矯正施設での強制医療については大きな疑問を持っとるんで・・・・
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読書 までとは言えないかもしれませんが、福岡への往復の新幹線で 元一水会 鈴木邦男さんの
「愛国心」に気をつけろ を読みました。
改憲派の鈴木さんは早稲田大学へ入学し、「生長の家」学生道場で暮らし始めた頃からその活動を続けてこられたそうです。
鈴木さんはこう書いています。
「人間がいて、その人間が幸せに暮らすための知恵を働かせて国家を作ったのだ。逆ではない。ところが、国家が成立すると、国家を強くしようとする。そして、長い歴史を持った国家は美しい神話などで、自国を美しく物語ろうとする。時として、それは、自国だけが尊い、自国だけが神の作った国だ、などと思い込むことに繋がる。さらには、国民は国家のためにある、との考えにもなる。
憲法の場合も同じだ。人間が幸せに暮らせるように、憲法を作った。人間あってこその憲法なのだ。別の見方をすれば、いくら立派な憲法があっても、それでよいということにはならない。「平和憲法」さえ変えさせずに守って位いれば、戦争は起きないということにはならない。人間が「平和憲法」を実行させるために、闘い続けなければならない。「平和憲法さえあれば」という発想は、改憲派の「憲法さえ変えれば、日本は良くなる」という発想と、根本のところで同じだ。人間があって憲法がある以上、人間の不断の努力が求められてもいるのだろう。実際、憲法第12条にはこうある。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」
結びの文は
「憲法改正、自主憲法は三島(由紀夫)の悲願だった。でも同じ言葉を使いながら、全く別の方向に行こうとしている。現在の政権が主張するような「自主憲法」ができたら、国家が国民に対して上から押し付ける憲法になる。「自主憲法」という「名前」が大切なのか、それとも憲法の中身が大切なのか。僕は後者を選びたい。だから、いう。『愛国心』を汚れた義務にしてはならない、と。」
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