お風呂に迎えに行って、服を着せて、暫く戯れる
機嫌が良かったのか、shutterを押すまで珍しく、じっと動かずにいてくれた
昨日と今朝の”秋の雲”を
10/29 9:39pm まんぼ
お風呂に迎えに行って、服を着せて、暫く戯れる
機嫌が良かったのか、shutterを押すまで珍しく、じっと動かずにいてくれた
昨日と今朝の”秋の雲”を
10/29 9:39pm まんぼ
さてそれでは、anataも一緒に”城登山”の始まり!!
車で近付けるギリギリまで上って、
やっと城へと登る「七曲り」に取り着く。これが又キツイのなんのって。
延々と・・七曲り・・
やっとこさクリアしたと思ったら、次は一直線に登る、更に過酷な・・
上から下を眺めると
此処でやっと、最初の石垣が姿を現す。登り始めて30分後の事。
本丸跡までは、まだ
やっとの思いで”二の門跡”に到達。
凡そ40分の険しい道程。途中で何度かへこたれそうになったが何とか・・
まだ高低差110m、900mもある。
此処で一休みです。10/29 13:58 まんぼ
~~~ヾ(^∇^)おはよー♪ございます
昨日の朝のブログで少し触れたように【日本三大山城】の一つ、恐らく最強と胸を張ってもいい、城好きの数多のヒトに自慢できそうな、地元大和高取の「高取城址」へ行ってきました
何しろその日本一の山城の全域を把握するのは、広大さと山中の高低さも有って非常に困難だともいわれている。
黒門という城への入り口、つまり通常の家の敷地(郭内と呼ばれる)の周囲は凡そ”七里半(約28㎞)にも及び、その面積は6000万㎡にもなるという、当に日本一の山城。
二の門から三の丸・二の丸・本丸を含む部分を、通常の家の建物部分で(城内)と呼び区別されている。
高取城は1585年、豊臣秀長の重臣「本多利久」が城主となって、天守閣・石塁など本格的な築城が進められる。別名「芙蓉城」とも言われる。
昭和28年に”国の史跡”に指定され、平成18年には”日本百名城”に認定された。
10:30出発。10分ばかり歩いたものの、まだまだ”郭内”に。体力の消耗を出来るだけ抑えるべく無料の観光駐車場まで引き返し、車で登れるギリギリの地点まで辿り着く。それでも”城内”への目印になる”猿石”の置かれた二の門へは”七曲り”や”一升坂”を踏破し、青息吐息で一歩ずつ登るしかない険しい道程が続く。
まさに”城登山”の呈。森閑とした森林の空気を僅かに揺らせながら、自分の吐く息の粗さにたじろぎながら・・。
掲載する写真の時刻に注目してもらいたいと思う。どれだけ時分を費やしたのか。全ては薄暗い山中の移動。誰とも出合わず。同道してくれた友人は”先に行け”と言うので、後方に置き去りにする。
因みに「日本三大山城」とは
岡山の「備中松山城」唯一建物が残る。
美濃の「岩村城」は海抜が721mと最も高い場所にある。
大和の「高取城」は比高(麓から本丸までの高低差)390mと日本一なのだ。
さて、長々と関連の事項を書き連ねてきたが、つまりは、最低限これだけは説明しておかないと、唯写真の羅列になる恐れがあるのだ。それでは、昼を挟んで14時半まで郭内に留まった証の写真をUPしてゆくことにしよう。
我が住む大和に、神社仏閣で知られる奈良に、全く畑違いの”遺産”があることを誇りにしたいと、下城して一日が経とうとしている今、改めてそういう感情に溢れる。
10/29 07:17 まんぼ