田舎(安佐北区白木町志路)からの帰路、
郷里を代表する歴史上の人物、志道(しじ)広良の眠る墓所に立ち寄ってみました。
毛利氏の重臣中の重臣で、「志道広良あってこその毛利元就、毛利氏を中国地方の覇者に押し上げた推進役の一人」だといわれています。
左奥が城山です。私は高卒まで、説明板後ろの舗装道路を100mほど上がったところで暮らしていました。
城山やその周辺は格好の遊びの場でした。
城山入口交差点から500m余り西方に志道氏の墓所があります。
かって志道家の菩提寺である龍福寺の境内だったとか。
龍福寺は、志道氏が長州移住後廃寺となってしまったそうです。
今は観音堂が建っています。
広良の父元良から5代にわたる一族の墓石18基が大切に残されています。
6代が毛利家に従って長州に移住するまでの110余年間、毛利氏の重臣として活躍していた志道家の人々が眠っているそうです。
189年前の文政8年(1825)志道家14代凞良が墓参し、この石碑を建立したそうです。
龍福寺観音堂の左前方に見える志道城山。(中央のとがった山)
墓所からも、前方の木立の間から志道城山が見えました。
城山は木々が茂り、まさに「強者どもの夢の跡」となっているようでした。
10数年前に放映されたNHKの大河ドラマ「毛利元就」で、
中村梅雀が演じた志道広良の姿を思い出したりして、歴史のロマンに浸ったひとときでした。
なお、志道(しじ)村の名称は962年前(1052年)の古文書に出ているそうです。
その後慶長6年(1601)、福島正則による福島検地の際、志路村に改称となったそうです。
(参考文献:佐々木敢吾著「ふるさとの伝承-白木町志路・古屋-」)