今日は75年目のお祈りの日でした。
曇りのち晴れ、今日も暑い日になりました。
私は夕方にお祈りしてきました。
16:05でした。祈りの列は例年よりかなり少ない状況でした。
並んで5分余、慰霊碑前に近づくことができました。
母をはじめ、私達の身代わりで直接被爆死した叔父など、たくさんの身近な身内が眠っています。
ご冥福をお祈りするとともに、平和で平穏な社会になるようお願いしました。
途切れることなく続いていました。
佐々木禎子さん(当時12歳)は、
被爆9年後の小学校6年生の秋(昭和29年・1954年)に突然、病のきざしが現れたのだそうです。
そして、翌年2月に白血病と診断され広島赤十字病院に入院されたそうです。
入院中、回復を願って包み紙などで鶴を折り続けたそうです。しかし、その願いも叶わず、
8か月の闘病生活後の昭和30年(1955年)10月25日に亡くられたのだそうです。
戦争は絶対に、二度と繰り返してはいけないですね。
原爆ドーム西側の相生橋です。T字形の橋です。
B29はこのT字型の相生橋を目印に原爆を投下したそうです。
一瞬にして、十数万人にもの人々が・・・。 戦争は絶対に起こしてはならない。
曇りのち晴れ、今日も暑い日になりました。
私は夕方にお祈りしてきました。
16:05でした。祈りの列は例年よりかなり少ない状況でした。
並んで5分余、慰霊碑前に近づくことができました。
母をはじめ、私達の身代わりで直接被爆死した叔父など、たくさんの身近な身内が眠っています。
ご冥福をお祈りするとともに、平和で平穏な社会になるようお願いしました。
途切れることなく続いていました。
佐々木禎子さん(当時12歳)は、
被爆9年後の小学校6年生の秋(昭和29年・1954年)に突然、病のきざしが現れたのだそうです。
そして、翌年2月に白血病と診断され広島赤十字病院に入院されたそうです。
入院中、回復を願って包み紙などで鶴を折り続けたそうです。しかし、その願いも叶わず、
8か月の闘病生活後の昭和30年(1955年)10月25日に亡くられたのだそうです。
戦争は絶対に、二度と繰り返してはいけないですね。
原爆ドーム西側の相生橋です。T字形の橋です。
B29はこのT字型の相生橋を目印に原爆を投下したそうです。
一瞬にして、十数万人にもの人々が・・・。 戦争は絶対に起こしてはならない。
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