囲碁きちの独り言 Ⅱ

趣味の旅行、うたごえ、囲碁の事や日常の出来事を記録する。

私のアコーディオン、事始め  1

2014-10-14 20:59:00 | アコーデイオン
私が、アコーディオンをなぜやるようになったのかを思い出しながら書いてみます。

私は、小学校1年生の時に、空襲を避けて、縁故疎開で母親の実家に寄宿しました。田舎での疎開生活について書けば、それだけでいろいろの思い出があります。しかし、それは省略します。

日本が戦争に負けた1945年の秋に母親の実家から東京に戻ってきました。戦争中住んでいた家は、空襲で燃えました。戦後戻ったのは、4畳半一間のアパートでした。私が入学した小学校も空襲で被災し、2年生で戻ったのは別の学校でした。戦災に遭わなかった数少ない小学校でした。多くの学校が空襲で燃えたため、生徒数に比べて、学校が足りず、2部授業がかなりの期間続きました。2部授業とは、午前と午後に分けて授業を行うことで、あるクラスは午前中だけの授業、別のクラスは午後だけの授業 と分け、これを入れ替えたりして、教室の少ないことをカバーしていました。

授業のない午後などは、米軍の駐留基地の門前で、米兵がアメやチョコを投げてくれるのを根気よく待っていたりしました。
小学校には、オルガンが1台あっただけで、楽器らしいものは他にありませんでした。したがって、音楽の授業など受けた記憶がありません。生きてゆくのが精一杯で、音楽、書道、絵画などの情操教育などと言うものは皆無でした。

そんなスタートでしたが、何故か、中学、高校と私は音楽とは無関係に過ごしてきました。
社会に出てからも、職場と自宅の往復で、楽器などには触ったことがありませんでした。
でも、音楽を聴くことは好きでした。


定年退職して、何年も立ってから、孫が吹奏楽部で嬉々として楽器に挑戦するのを見て、自分も何か楽器をやってみたくなりました。楽器なら、なんでも良かったのです。
何の楽器にするか悩みました。でも、現役時代、メーデーや労働組合の集会などで、アコーディオンの伴奏に合わせて色々の歌をうたったことを思い出しました。そのアコ演奏者がとて素敵に思えました。



「よし、アコーディオンに挑戦してみよう!」と思った時が、68歳の時でした。いかにも遅いスタートでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする