今日も午後、所沢平和のための戦争展の会場に詰めました。
展示の見たり、来場者の方と一緒に「紙芝居」も見ました。そのひとつが、「新潟県の長岡空襲」の紙芝居でした。空襲の犠牲者の家族が慰霊のために紙芝居を作り、その惨禍を語り継ぐ手立てにしているようです。
紙芝居の最後に、長岡空襲のの惨禍を乗り越えて、戦後の復興に立ち上がった市民が「復興祈願」を込めて花火大会を始めたそうです。
長岡花火のホームページを調べたら
「毎年華やかに繰り広げられる「長岡まつり」 その起源は、長岡の歴史に刻み込まれた、 最も痛ましい、あの夏の日に発しています。
今から74年前の昭和20年8月1日。 その夜、闇の空におびただしい数の黒い影 ―B29大型爆撃機が来襲し、 午後10時30分から1時間40分もの間にわたって市街地を爆撃。 旧市街地の8割が焼け野原と変貌し、 燃え盛る炎の中に1,488名の尊い命が失われました。
見渡す限りが悪夢のような惨状。 言い尽くしがたい悲しみと憤りに打ち震える人々。 そんな折、空襲から1年後の21年8月1日に開催されたのが、 長岡まつりの前身である「長岡復興祭」です。 この祭によって長岡市民は心を慰められ、 励まされ、固く手を取り合いながら、 不撓不屈の精神でまちの復興に臨んだのでした。」
と書かれていました。
無知な私はそれを知りませんでした。昨夜のNHKBSに「長岡花火の実況中継」の番組がありましたが、花火の由来も知らなかったので、私は見ませんでした。
そこで、ネットで「空襲と花火」を調べてみました、静岡県静岡市の安倍川の花火大会も空襲の犠牲者の慰霊のためなようです。東京・隅田川の花火大会は、「川開き」が由来のです。長い間、東京大空襲で犠牲になった遺族の方々は、隅田川の花火復活に反対したそうです。花火大会には、「空襲で落とされた焼夷弾を連想するのでイヤダ」と言う方がいたからです。
「夏の風物詩」などと能天気に見てきた私には、戦争の惨禍と花火の関係を考え直すよい機会になりました。お盆の灯ろう流しも、広島では、原爆犠牲者の慰霊のために行われています。
戦争の惨禍と切り離すことの出来ない8月の行事。報道機関は、その裏にある戦争との関係をもっとキチンと伝えて、不戦の誓いに役立てて欲しいと思いました。
戦争展の今日の来場者は、約170人。異常な暑さのせいか、例年より少ないのが残念です。