今の時節「旅行に出かける」など言うと世間から非難されそうです。でも、家族のそれぞれが都合をつけて日程を決めたので出かけることにしました。その内の特に思い出深かった場所です。
ひとつは、下諏訪。本陣岩波家です。
予約制で庭園が見られるということで電話をしました。たまたま、岩波家のご当主が出られ、当主が対応できる日時に伺いました。
当日は岩波家当主自らが迎えてくれました。
中山道の宿場町として栄えたころの庭園が残されていました。
ご当主自らがお茶を立ててくれました。
立派な庭園を前に古九谷でのお茶は格別でした。
茶道のたしなみのない家族ですので、作法には合わなかったかもしれませんが美味しく頂きました。
最近、蔵から見つかったという往時の裃、刀剣、大名の本陣宿泊の古文書、宿泊の看板などを見せてもらいました。
当主が説明する庭の池にはアキアカネが舞い、カワセミが池に飛び込んだのには驚きました。
非日常の世界でひと時を過ごすことができました。
岩波さん、お忙しい中、私たちの時間を割いていただきありがとうございました。
長野日報に掲載された裃の記事です。
先祖が着た裃 下諏訪本陣岩波家土蔵で発見
2021年5月25日 6時00分
発見された裃を手にする岩波当主
下諏訪町横町の下諏訪宿本陣岩波家(岩波太佐衛門尚宏当主)の土蔵から、江戸時代に岩波当主の先祖が着ていたとみられる裃が見つかった。色味を抑えた青、淡い青緑、黄みの深い赤褐色の3点で、同家の家紋である「千切り」があしらわれている。
3点のうち、色味を抑えた青色の裃は上下約140センチ、左右約70センチ。現在、主屋に飾っている。岩波当主は「諏訪のお殿様にお会いになる時などに日常的に着ていたものではないか」と話す。
同家の家譜によると、岩波家は江戸時代に17代当主尚方の時に下諏訪宿本陣の問屋役(宿場の業務の統括)を命じられ、元禄元年(1688)年から明治維新(1868年ごろ)まで務めたとされる。見つかった裃はこの間の先祖が着ていたとみられる。
28代目となる尚宏・現当主が土蔵の整理をしていた20日に発見した。詳しいことはまだ分からず今後調べていく方針。「江戸時代のご先祖様が登城の際に着ていたのだろうか。長い年月を経てこうして出てきたことに何か不思議な縁と歴史的なロマンを感じる」と話していた。