人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

藤堂志津子著「隣室のモーツアルト」を読む~看板倒れの印象大

2013年11月06日 07時01分03秒 | 日記

7日(水)。昨夕、地下のRで3人で飲みました 以上。

藤堂志津子著「隣室のモーツアルト」(文春文庫)を読み終わりました タイトルに「モーツアルト」を掲げているので、かなりの部分をモーツアルト、あるいは彼の音楽について触れているのではないか、と期待して購入したものです

てっきり長編小説かと思って目次を見ると「おもかげ」「彼女の晩年」「好きよ。好きなの」「わたしの叔母さん」「隣室のモーツアルト」の5編から成る短編小説集でした。最初に結論を書きます。まったくの期待外れでした

著者の藤堂志津子は北海道生まれ。広告代理店勤務を経て作家に転身し、平成元年「熟れてゆく夏」で第100回直木賞を受賞しました。この本に集録されている5つの小説は2009年8月から2010年9月までの「オール読物」に書かれた作品です

 

          

 

 この作品に登場する主人公は現在60歳台半ばの著者の過去における”実話”か、実話に多少の脚色したものが中心だと思われますが、読んでいて、どこが面白いのか、さっぱり分かりません 単なる実話を書くだけでは面白みがないのは分かりきった話です。それを”人に読ませる”小説に仕立て上げるのがプロの小説家であるはず。しかし、残念ながら、この本に集録されたどの作品を読んでも「ひらめき」や「スパイス」といったものが感じられませんでした

例えば、期待して読んだ「隣室のモーツアルト」です。癌で入院中の主人公が、たまたま隣の部屋に”昔の男”が入院していることが分かり、見舞客との話を盗み聞きして、過去のことを思い出すという話です。

ある日”昔の男”が、朝9時にモーツアルトの交響曲第40番を大音響で鳴らした。「どう考えても非常識きわまりない行動だった。ここが入院病棟なのを頭から無視してかかっている」。看護婦から「いくら注意しても止めない。しばらく我慢してくれ」と言われた。しかし、第40番が終わると、すかさずピアノ協奏曲第20番に切り替わった。

モーツアルトが出てくるのはこのシーンだけです。なぜ他の作曲家でなくてモーツアルトなのか、さらに、なぜ他の曲ではなく交響曲第40番であり、ピアノ協奏曲第20番なのか クラシック音楽好きの小説家ならそこに”必然性”があるはず。しかし、この作者はそうではないらしく、入院病棟に大音響で鳴り渡る”非常識きわまりない”象徴としてモーツアルトを選んだのです

クラシック音楽愛好家ならモーツアルトの交響曲第40番が「ト短調」であり、ピアノ協奏曲第20番が「ニ短調」であることは調べるまでもありません。あえて”短調”を2曲も取り上げたこの小説は、あまりにも”単調”でした

全体を通して感じるのは、高齢の女性作家特有の”書き方”です。男性の作家には書けない文章です。同じ女性作家でも、向田邦子のような素晴らしい感性の持ち主で、見習いたくなるような素敵な文章を書く人もいます

残念なことですが、藤堂志津子という人の作品は二度と手に取ることはないでしょう

 

コメント
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