31日(火)。皆さん、5月も今日で終わりですよ 月日の流れは速いですね。ということで、何やらブツブツ言っている、わが家に来てから611日目を迎えたモコタロです
刑事さん 部屋を散らかしたのはおれじゃねえんだ 信じてくれ!
閑話休題
昨日、夕食に「もやし巻き豚肉しょうが焼き」と「野菜とワカメのサラダ」を作りました。「もやし~」は醤油、酒、味醂の味付けです。子どもたちにも好評です
も一度、閑話休題
昨日、早稲田松竹で、今村昌平監督「復讐するは我にあり」と「うなぎ」の2本立てを観ました
「復讐するは我にあり」は1979年制作 140分の映画です この作品は1963年から64年にかけて日本を震撼させた連続殺人事件を元にした佐木隆三の長編小説を映画化したものです
九州で多額の現金が奪われ惨殺された2つの死体が発見された 容疑者として浮かんだのは榎津巌という男だった。榎津は、時には大学教授、時には弁護士に成りすまして、浜松、東京で5人を殺した上、公開捜査をあざ笑うかのように逃亡を続ける 詐欺、殺人を繰り返し、欲望に任せるままに女に明け暮れる冷血漢に明日はあるのか
榎津を演じた緒形拳の狂気の演技が見ものです 手の付けられない榎津の妻を演じた倍賞美津子は素晴らしいですね。このころが一番輝いていました また、殺人犯と知りながら榎津を庇い続ける旅館の女将を演じた小川真由美をはじめ、榎津の父親を演じた三國連太郎、母親を演じたミヤコ蝶々、旅館の女将の母親を演じた清川虹子ら、錚々たる役者たちの体当たり演技が光ります
2本の映画のあと、映画評論家・佐藤忠男氏と今村昌平氏の子息で映画監督の天願大介氏によるトークショーがありました 質疑応答の中で、佐藤氏が「なぜ榎津は何人もの人を殺してしまったのか、それは誰にも分からない。映画を観ている者はどうにでも解釈できる」と語っていましたが、私は、「一人殺すと 殺し癖が付いてしまうのではないか」と思いました また、これからこの映画を観ようとしている女性客から「連続殺人犯ということで、映画を観て気持ち悪くならないか心配している。観終わって後悔しない映画か?」という率直な質問が出され、天願氏は「当時の映画界を代表する俳優たちが真剣勝負で臨んでいる作品であり、そういう意味で観る価値のある作品だと思う」と答えていましたが、まったくその通りだと思いました。聴衆からも大きな拍手が起こりました
2本目の「うなぎ」は1997年公開の117分の映画です
山下は浮気した妻を殺した罪で8年の刑を終え、仮出所してからは廃屋を改造して床屋を開き、黙々と働いている 彼は他人との関わりをできるだけ避け、水槽に飼っているうなぎにしか心を開くことをしない。ある日、自殺未遂した女性・佳子を偶然救うことになり、それが縁となって佳子は床屋で働くことになる 彼女のお陰で店は繁盛するようになるが、ある日、刑務所で一緒だった男が佳子に山下の過去をばらしてしまう 一方、佳子は心を病んだ母を抱え、男(夫?)からDVまがいの被害を受けていた 彼女は妊娠していることが分かり堕胎したいと言うが、山下は自分の子どもとして生んでほしいと言う
この映画の冒頭のシーンで妻の浮気を告発する手紙が出てきますが、終盤で 刑務所で一緒だった男が「手紙なんか、最初からなかったのさ。お前の嫉妬心が妻を殺すことになったのさ」というシーンが出てきます。手紙はあったのか、あるいは山下の妄想のなせるワザだったのか、どちらが真実なのか、映画は結論を曖昧なままにしています
最後に山下が佳子に「自分の子どもとして生んでほしい」と伝えるところは、まるでデーメルの詩にシェーンベルクが曲をつけた「浄められた夜」だな、と思いました
この映画は役所広司の演技が見ものですが、佳子を演じた清水美砂が新鮮でした いつだったか、NHKの朝の連続ドラマで「青春家族」という番組があって、それに出演していたのを思い出します 佳子の母親を演じた市原悦子は、いつも凄いと思います それに刑務所で一緒だった男を演じた柄本明が不気味なほど凄みがありました
映画の後のトークショーで、「うなぎ」の脚本を書いている天願氏が「脚本を書いているうちに監督と意見が対立し、3分の2は出来上がっていた脚本を引き上げた。その後、監督から戻ってくれと請われ、何とか完成まで漕ぎ着けた」と語りました。また、「当初この映画は『闇に閃く』というタイトルで、記者発表の際にもそのタイトルで臨んだのに、監督はいきなり『タイトルは”うなぎ”になった』と表明したので 自分を含めて周囲の者は驚いた しかし、結果的にはこの方が良かったと思っている」と語りました。結果的にうまくいったから良かったものの、いくら親子とは言え身勝手な監督だと思いました
ところで、この映画には場面転換のところでガマガエルが出てくるシーンがありますが、「今村監督の映画にはヘビやカエルが出てくるシーンがありますが、好きなんでしょうか?」という質問が出され、天願氏は「ヘビやカエルは大好きでした ああいったヌルヌルした得体のしれない小動物が大好きでした」と答えていました。これで今村監督に親近感を覚えました
最後の、閑話休題
清水ミチコ著「主婦と演芸」(幻冬舎文庫)を読み終わりました 清水ミチコは皆さんご存知ですね。ものまねタレントさんです ちなみに彼女は1960年岐阜県生まれです。なぜこの本を手に取ったかというと、以前、三谷幸喜との共著「むかつく二人」を読んだことがあり抱腹絶倒だったからです
この本は、雑誌『テレビブロス』に連載したコラムをまとめたもので、ミチコさんはもう20数年も連載しているそうです しかも、「あとがき」に本人が書いているように「締め切りに間に合わなかったことはありません」そうです
この本を読んでいると、ミチコさんは話すこと同じように書くことも好きなんだなあと思います 仕事で一緒になる歌手やタレント、テレビ関係者などとのやり取り、あるいは 芸能界で起きるちょっとした”事件”が面白可笑しく書かれています
例えば、「氷川きよし君、お願い!私のこと覚えて!」というエッセイでは、次のように書いています
「〇月×日 数年前のこと。氷川きよし君とご一緒し、お互いに『初めまして!よろしくお願いします!』という挨拶をしたことがありました。それからしばらく時間が経ってまた再開すると、『どうも初めまして!氷川きよしです』と言われました また数日後、仕事でお会いした時、『初めまして!氷川きよしです!』と、さわやかな笑顔で挨拶されました 半年が経った頃、『また同じ挨拶だったりして。まさかね。もうわかるわな』そう思った矢先、『初めまして!氷川きよしです!』と言われてました 「『ちょっとお!』激しく吹き出しながら本当にちょっとヨロケテしまいました。頼む覚えて」
芸能界にはこういう”天然”の人が少なからず存在するんでしょう。お付き合いも大変だと思います
「男と女、どっちが生きやすい?」というエッセイでは、次のようなことを書いています
「そもそも貧乏ゆすりとは、”ストレス解消のために脳から指令される行動”なんだそうです。で、男女の脳の仕組みの違いから、男性に多くなりがちなんだとか たとえば電話をしている時も、男はワリとその会話だけに集中しがちなのですが、女は会話しながらも部屋の音楽の音を小さくしたり、掃除したり、お化粧しながらネイルまで、なんてことが自然にできる つまり、何かに縛られることからの発散がうまいのだとか。そう言われてみれば男性はホント、一つに集中するという傾向が強い生き物だと思います。オタクなる才能もそうだし、ノイローゼになる傾向も強いかもかもしれませんが 私は映画を観終わった時なんかに感じます。男性と行くと、観終わっても『あの監督はさあ』など、まだ映画をひきずっているのですが、女は『面白かったね!何食べる?』と、すぐに次の快感を探し始めているのです 確かに女の方が生きやすいみたいですよね。明るいし。しなるから竹も強かろて」
これは鋭い分析だと思います。新聞の社会面で”自殺”の記事を見ると、自殺するのはたいてい男性です。いじめもそうです もちろん、女同士の陰湿ないじめもあるでしょうが、新聞やテレビに出るようの社会性の大きい事件の多くは、加害者も被害者も男性です。男って、思いつめちゃうんですね
「街で拾った名言、『忘れ物に理由なんてない』」というエッセイでは、次のように書いています
「地下鉄に乗りました。電話をしながら大声でしゃべっている人がいました。『アタシ、忘れちゃったのよ。持ってくることを。うっかり忘れたの!』。オカマ系の方らしく、言葉尻は女子なのですが、だんだんキレ気味に 『だーかーら!何度も言ってるでしょ?忘れちゃったの。アタシは。なによ!忘れちゃったのに理由なんてないでしょ?あるの?』。逆ギレとはこのことか。私はおかしくなって、もっと聞きたくなり、歩調を緩めました そしてついに言い放った彼のタンカがとても心に残りました。『いい加減にしなさいよ!あんた!アタシのことどれだけ買いかぶってんのよ!』。いつか私もこういった事態には使ってみよう、と思いました」
ミチコさんと同様、私もこういった場面に遭遇した時は、是非使ってみようと思います
「面白い番組やってましたね、徹子さん」というエッセイでは、自宅に黒柳徹子さんが訪ねて来た時のことを書いています
「ずいぶんスムーズな到着ぶりだったので、『芸能人のお宅にもよくいらっしゃったりするんですか?』と聞いたら、『ううん、あなたで4人目。沢村貞子さん、越路吹雪さん、向田邦子さん、そしてここね』。えらい並びがあったもんです 4分の3が故人。そうそう、次が私の番でね、って誰がじゃ。順番が違うだろうが!失礼しました」
こういうのを「一人ツッコミ」と言います。このほかにも面白い話題が満載です この本は決して電車の中で読んではいけません。「季節の変わり目には出るのよね、ああいう人が」と指さされるのがオチですから