人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

宮本直美著「コンサートという文化装置」を読む/シュターツカペレ・ドレスデンのチケットを買う

2016年05月30日 07時27分28秒 | 日記

30日(月)。わが家に来てから610日目を迎え、「今日からまた1週間が始まるのか・・・」と サラリーマンのような物憂げな表情を見せるモコタロです

 

          

             おいらは無職だから関係ないけど 5月病の人 そろそろ治った?

 

  閑話休題  

 

昨日は11月下旬にサントリーホールで開かれる「ザルツブルク イースター音楽祭 in  JAPAN」の同ホール・メンバーズ・クラブ先行発売日だったので、解禁時間の午前10時にネットでアクセスしました

 

          

 

最初に11月18日(金)のワーグナーの楽劇「ラインの黄金」のB席を「座席を指定して予約する」で狙いましたが、アクセスが集中していて繋がりません 急きょ「座席を指定しないで予約する」に切り替えて、何とか2階左サイド1列目の席を確保しました 出演はフリッカ=藤村実穂子ほか、演奏はクリスティアン・ティーレマン指揮シュターツカペレ・ドレスデンです

 

          

 

次に11月21日(月)にブルーローズで開かれる「シュターツカペレ・ドレスデン首席奏者による室内楽の夕べ」の予約に移りました こちらはS席を「座席を指定して予約する」でアクセスしましたが、やはり申し込み殺到で繋がらなかったので、「座席を指定しない」に変更し、こちらも左サイド1列目の席が確保できました なお、プログラムは①ベートーヴェン「七重奏曲」、②シューベルト「八重奏曲」です

 

          

 

実は、LP時代の昔からシュターツカペレ・ドレスデンは大好きで、80年代だったか、ヘルベルト・ブロムシュテットが振ってリヒャルト・シュトラウスの「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」とブラームスの交響曲を演奏するのを聴いて、大ファンになりました 「いぶし銀の響き」と言われる独特の”音”を持つオーケストラでした  その後、東西ドイツの統一をはじめ激しい環境の変化があったので、オケの音がすっかり変わってしまったのではないかと恐れ、これまで何度かあった来日公演を敬遠してきたのです 今回 その音が今でも聴くことができるのか、それを確かめるのが楽しみです

 

  も一度、閑話休題  

 

愛用の「万歩計」をどこかに落としたらしく無くなってしまったので、新しいのを買いに池袋のBカメラに行きました 東口のBカメラに行く途中で、何人かの民族衣装姿の女性が山の写真を配したカードのようなものを配っています さては新しい”夜のお店”でもオープンしたのか、と思ったのですが、カードに「ありがとう日本」と書かれていたので受け取ることにしました。それはこういうものでした

 

          

            下に「マナスル山(8163メートル)。ネパール」とあります。

 

中を開くとこういう内容になっていました

 

          

 

ネパールの大地震からもう1年が経ってしまったのですね 今年は「日本-ネパール友好60周年」ということで、今年8月6~7日に代々木公園でネパール祭りを開催すると告知しています

ちなみにカードの裏側はこうなっています 要するにネパールに観光客を誘致するためのPRカードなわけですが、こういうのはスマートで良いと思います

 

          

 

  最後の、閑話休題   

 

宮本直美著「コンサートという文化装置~交響曲とオペラのヨーロッパ近代」(岩波現代全書)を読み終わりました 著者の宮本直美さんは1969年生まれ。東京藝大大学院と東大大学院を修了した社会学博士です。現在は立命館大学文学部教授。専門は音楽社会学・文化社会学です。この本は、新聞の書籍広告で見て、さっそく買い求めたものです

 

          

 

この本は、現在のコンサートの形式がどのように形づくられてきたのかについて、交響曲とオペラという2大ジャンルの対比の中で明らかにしようとするもので、次の5つの章から成っています

序 章「交響曲はいかにしてコンサートの主役になったのか」

第1章「言葉にできない音楽」

第2章「オペラの覇権」

第3章「コンサート市場を成立させたもの」

第4章「交響曲の正当化と受容」

第5章「言葉にできない音楽の言葉による領有」

この本は250ページにわたり、現在のコンサートの姿が形作られてきた歴史が小さな文字でびっしりと書かれているので、全体について紹介するのは非常に困難です ごく大雑把に要約してみると次のようになると思います

1.かつてコンサートといえば歌(=オペラ)が中心で、イタリアが中心だった。オペラではあくまでも歌手が中心的存在で、指揮者は歌手の意向に従わざるを得ず、途中でアンコールがあるとその都度オペラは中断し、作品の理解が二の次になっていた

2.19世紀に入ってから、次第に絶対音楽の代表である「交響曲」がコンサート・プログラムの中心的な存在としてクローズアップされるようになった このころ「ロッシーニ対ベートーヴェン」という構図がある。交響曲は 最初はオペラの人気に依存しながらだったが、19世紀後半には自立したプログラムを組めるまでに至った

3.コンサートは最初の頃は交響曲の第1楽章を演奏して、次はオペラのアリア、その次に交響曲の第2楽章、次に協奏曲の第1楽章といった具合に、色々なジャンルが混じり合っていた。しかし次第に交響曲を第1楽章から第4楽章まで通して演奏、次の曲も1つの曲を通して演奏するという形になった

4.コンサート会場は社交の場であり、貴族たちは音楽を聴くより知人とおしゃべりをする場と考えていたが、「交響曲」がコンサートの中心になるにしたがって、沈黙して音楽を聴くようになった

5.作曲者自身が演奏する時代は、あくまでも”次の新しい作品”が求められたが、「交響曲」を中心に作品理解への希求が進み、作品が繰り返し演奏され聴かれるようになった

6.上記4.5を可能にした要因として、批評家の役割を挙げることができる。それと同時に楽譜出版社の役割も大きい。これは、交響曲のような大きな作品を聴く機会はあまりないので、室内楽版やピアノ演奏版を出版して作品の普及を図ったということである

以上のクラシック音楽のコンサートの歴史を振り返るうえで、著者が最も大きな存在だと指摘するのがルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンです 彼の生きた時代が貴族社会から市民社会へと移行する過渡期にあったこともありますが、ベートーヴェンこそクラシック音楽、引いてはクラシック・コンサートの歴史を塗り替えた作曲家だったということです 音楽史の研究家によれば、交響曲や弦楽四重奏曲の父と言われたハイドンや、真の天才と言われたモーツアルトさえも、ベートーヴェンの下に位置します

読書好きの人なら「ドッグイヤー」と言えばどういう意味かお分かりになると思います 読書の時に気になるページの角を折ることです。その形が犬が耳を垂れているのに似ていることから名付けられたようです

私は、この本を読み終わって、ドッグイヤーだらけになっていたことに気が付きました 「ここが重要だ!」「ああ、そうだったのか!」「こんなこと初めて知った!」という事柄ばかりでした 最近読んだ音楽関係の本の中で、最も読み甲斐のある作品でした 普段からコンサートに通われている方にはとても面白い本だと思います。自信を持ってお薦めします

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