人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

ダンカン・ワード+新日本フィルでモーツアルト「交響曲第38番K.504」他を聴く~クラシックへの扉

2016年05月22日 07時57分12秒 | 日記

22日(日)。わが家に来てから602日目を迎え、リビングで家族の動向を見守るモコタロです

 

          

           部屋をもう少し片づけた方がいいんじゃないっすか? 部屋がゴミ箱みたいだし

 

  閑話休題  

 

昨日の朝日朝刊の「消息欄」を見て驚きました

「柳屋喜多八さん(やなぎや・きたはち=本名 林寛史(はやし・ひろふみ) 17日、がんで死去。66歳。葬儀は近親者で行った。77年に柳家小三治に入門、93年に新打ちに昇進した。けだるい出だしから、徐々に熱演に引き込む芸風で人気を博した」

今からもう10年以上前になります。自宅の近くにE軒という 知る人ぞ知るラーメン屋さんがあり、喜多八師匠はそこの常連さんでした M音大を出た後、音楽の友社で「週刊FM」の取材をやり、脱サラしてラーメン屋を始めたKマスターが大の落語好きで、そんな関係でお店に出入りするようになったのだと思います 師匠は夜遅く必ずチャリンコでお店にやってきたようです。その頃、私は某新聞関係団体に勤めていましたが、そこに大の落語好きのNさんがいて、とくに喜多八師匠の大ファンだったことから、ある日Kマスターがわれわれを師匠に引き合わせてくれることになったのです 私とNさんが師匠を挟む形でカウンターに座ってお酒を飲みながら談笑しましたが、私がプロを相手に次々とシャレを飛ばすものですから、呆れた師匠が「シャレが面白くなかったら 罰金として その都度ここに100円を積むこと」と宣言。その後も私は懲りずにシャレを連発しましたが、師匠には「馬の耳に念仏」でクスリとも笑いません 「はい、100円」と宣告するのみです。その結果、カウンターには100円玉の円柱が出来ました それは師匠の飲み代の一部に加えられましたが、私は これも何かのご円だと思って喜んで負担させていただきました

その時に師匠が墨を擦って筆で書いてくれたのが下の色紙です 私の名前は伏せてあります

 

          

 

〇〇様 

ほどゝ 

柳家喜多八

と書かれています。「ほどゝ」の意味が不明だったので 師匠に尋ねると、「ダジャレは ほどほどに」という答えが返ってきました

その後、Nさんに連れられて池袋演芸場に喜多八師匠の落語を聞きに行きました  上の記事にもあるように、師匠はやる気なさそうに ちんたら出てきて、やる気なさそうに話し始めました  落語のネタは忘れましたが、なぜか、師匠が客席の私の方を見る目が怖くて、師匠を直視できませんでした。落語を聞いて怖い思いをするとは思ってもみませんでした

師匠、私にはまだ「賽の河原で石を積む」のは早いので、これからも100円玉を積みたいと思います ただ 積んだお金を使ってくれる人がいないのは寂しい限りです お話しできたのは1度だけのご縁でしたが、楽しいひと時をありがとうございました。柳家喜多八師匠のご冥福をお祈りいたします

 

  も一度、閑話休題  

 

昨日、錦糸町のすみだトリフォニーホールで新日本フィル「新クラシックへの扉 正統派ドイツ・オーストリア音楽の魅力」を聴きました プログラムは①モーツアルト「交響曲第38番ニ長調”プラハ”K.504」、②バッハ「ピアノ協奏曲第1番ニ短調BWV1052」、③シューマン「交響曲第3番変ホ長調”ライン”」の3曲です ②のピアノ独奏はフランチェスコ・トリスターノ、指揮はダンカン・ワードです

 

          

 

自席は1階9列25番、センターブロック右から2つ目です。会場は6割方入っているでしょうか この公演は金曜・土曜と同一プログラムが組まれており、金曜の方が安い(500円分)料金設定になっているので、たいていの場合、金曜の公演が満席です 土曜の6割は健闘していると言っても良いのではないかと思います

オケのメンバーが入場し配置に着きます。コンマスはチェ・ムンス。弦楽器は、左から奥にコントラバス、前に第1ヴァイオリン、右にチェロ、ヴォオラ、第2ヴァイオリンという対向配置をとります 指揮者のダンカン・ワードが指揮棒なしで登場します。この人はイギリス出身で、ベルリン・フィル常任指揮者サイモン・ラトルの推薦により2012年からベルリン・フィル・オーケストラ・アカデミーのコンダクティング・スカラーとなり、現在はラトルのアシスタントとしてオペラの仕事にも取り組んでいるとのことです

1曲目のモーツアルト「交響曲第38番ニ長調K.504」は、1787年1月にプラハを訪問した時に「フィガロの結婚」とともに演奏したことから、「プラハ」の愛称で呼ばれています

この曲は交響曲としては珍しく3つの楽章から成ります。ダンカンの合図で第1楽章冒頭の序奏が力強く開始されます この部分を聴いた時、この日のコンサートはうまくいくに違いないという確信を持ちました 前から9列目という位置もあるかも知れませんが、オケが良く鳴っているのが分かります。若き指揮者による生気溢れる演奏が続きます

オケを見渡してみると、クラリネットの重松希巳江さんの姿が見えないので、おかしいな?と思ったのですが、この交響曲ではクラリネットが使用されないことに気が付きました

第2楽章では流麗な音楽が、第3楽章では再び溌剌とした音楽が展開します それにしても、ダンカンという指揮者はよくオケを歌わせます 演奏する方も気持ちよく乗っているように見えます。小気味の良いテンポで聴くモーツアルトは清々しい気持ちになります

演奏曲目が古典派音楽からバロック音楽に変わることからオケ全体の規模が縮小し弦楽奏者だけが残ります。そして舞台右袖からグランド・ピアノがセンターに運ばれます 2曲目はバッハ「ピアノ協奏曲第1番ニ短調」です この曲は もともとヴァイオリン協奏曲として作曲されたものをチェンバロ用に編曲したもので、今回はピアノで演奏するものです

ピアノ・ソロを弾くフランチェスコ・トリスターノは1981年 ルクセンブルク生まれで、ルクセンブルク音楽院等を経て1998年ジュリアード音楽院に入学し修士課程を修了しています 

痩身でスラッとしたトリスターノが登場しピアノに向かいます。ピアノをよく見ると「YAMAHA」の文字が見えます。そういえば、トリスターノはヤマハのピアノを使用するという記事をどこかで見たことがあるのを思い出しました

この曲は全3楽章形式で「急・緩、急」というイタリア風様式です。ダンカンの指揮で第1楽章が開始されます かなり速いテンポでグングン進みます。トリスターノのピアノはまるでジャズを聴いているようです 時折、背中に位置するコンマスのチェの方を振り返り 間合いを取りながら演奏します ゆったりと歌う第2楽章を経て再び速いテンポの第3楽章に移ります。ピアノ独奏で演奏する部分がありますが、トリスターノの独壇場です。まるでジャズのインプロビゼーション(即興演奏)のようです

演奏後 会場の拍手に、両手を合わせて深々と頭を下げます。外見は一見 現代のやんちゃな若者風ですが、礼儀正しい青年のようです 会場いっぱいの拍手とブラボーにトリスターノはアンコールに応えました 最初はバッハの曲のようでしたが、途中からまったく異なる曲想になり、ピアノの最高音と再低音が交互に奏でられます。かと思うと、今度はミニマル・ミュージックのような定型的なリズムが繰り返し奏でられ、それがラヴェルの「ボレロ」のように次第に大きくなっていき最後に爆発します 圧倒的な爆演で会場から熱狂的な拍手を受けましたが、後でロビーの掲示で確かめたら「バッハ『メヌエット ニ短調』、トリスターノ『ラ・フランチェスカーナ』」とありました。バッハと自作を続けて演奏したわけです 「フランチェスカーナ」は自分の名前「フランチェスコ」をもじったのでしょうか

 

          

 

休憩後はシューマン「交響曲第3番変ホ長調”ライン”」です。オケの規模が拡大されフル・オーケストラ態勢となります

シューマンは1830年代はライプツィヒとドレスデンで活躍していましたが、1849年5月のドレスデン革命が引き金となって1850年5月にドイツ西部のデュッセルドルフに引っ越します この交響曲第3番は転居した年の11月から12月にかけて作曲されました 交響曲では珍しく5楽章から成ります

ダンカンは今度はタクトを持って登場します。第1楽章冒頭の雄大さはどうでしょう 明るい未来が遠くまで見通せるような希望に満ちた音楽です 明るい曲想は最後の楽章まで続きますが、ダンカンは実によくオケを鳴らします 管楽器も弦楽器も気持ちよさそうに演奏しています

まさか、と思ったのですが、アンコールがありました 聴いている時は民族的な曲であることは感じましたが、何の曲か分かりませんでした 後でロビーの掲示で確かめたところ「バルトーク『ルーマニア民族舞曲』」とありました。力強い演奏に大きな拍手が送られました ダンカンはオケからも拍手を受けていたので、客員指揮者としてオケのメンバーからも歓迎されたのでしょう まだ若いので、これからの活躍が楽しみな指揮者です

 

          

コメント
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