人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

イングマール・ベルイマン監督「野いちご」「冬の光」を観る ~ 難解なベルイマン作品の中では分かり易い映画 / ワイシャツ6枚のアイロンかけ14分32秒は 速いか 遅いか 標準的か?

2019年02月07日 07時21分37秒 | 日記

7日(木)。昨日、ウィーン室内合奏団によるベートーヴェンの「七重奏曲」のCDを聴きながらワイシャツのアイロンがけをしました いつもの通りのやり方・速度で6枚のシャツにアイロンをかけたのですが、終わったのは第2楽章の5分10秒でした 第1楽章が9分22秒なので、合計で14分32秒、1枚当たり2分25秒強かかったことになります これは速いのか 遅いのか 標準的なのか 比較するデータがないので何とも言えません お手元のリモコンで 「速い」と思う方は赤の、「遅い」と思う方は青の、「標準的」と思う方は緑のボタンを押してください

 

     

 

ということで、わが家に来てから今日で1588日目を迎え、トランプ米大統領は5日、北朝鮮の金正恩委員長との2回目の首脳会談を2月27,28日にベトナムで開くと表明した というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     下院の「ねじれ議会」のもと 功績を求めて安易な妥協をしなければいいけどなぁ

 

         

 

昨日、夕食に「厚揚げとシイタケの煮物」と「野菜とワンタンのスープ」を作りました 「厚揚げ~」は新聞の「料理メモ」に載っていたレシピです 

 

     

 

         

 

昨日、池袋の新文芸坐で「野いちご」と「冬の光」の2本立てを観ました

「野いちご」はイングマール・ベルイマン監督・脚本による1957年スウェーデン映画(白黒・91分)です

医学の老教授イサク(ヴィクトル・シェストレム)は50年に及ぶ業績を認められ、名誉博士号授与式に赴く前夜、自分が死ぬ夢を見る 彼は義理の娘マリアンヌ(イングリット・チューリン)とともにストックホルムから授賞式場のあるルンドまで車で向かう。途中、青年時代を過ごした旧宅に立ち寄り、野原の野いちごを見て、若いころ婚約者サラ(ビビ・アンデショーン)を弟に奪われたこと、妻がイサクの無関心に耐えられず不貞を働いたことなどを思い出す そして、マリアンヌから、イサクの息子エヴァルドと彼女の間に子どもが出来ないのは、イサクを見て育ったエヴァルドが家庭というものに絶望しているからだと告げられる 研究者としての名声とは裏腹にイサクの人生は空虚だということを自覚する イサクは途中でヒッチハイクの3人組を拾うが、女学生のサラ(ビビの二役)は昔の婚約者にソックリで、イサクは思い通りに行動しなかった自らの青春を悔やむ 次に、運転を誤って彼らの車と事故を起こしかけた夫婦を乗せるが、夫婦喧嘩があまりにも煩いので車から降ろす 授与式を終えたイサクはその夜、エヴァルドと家族のことについて話し合う。そこで初めて親子の心が通じ合う 昼間に出会ったヒッチハイカーたちは歌でイサクの栄誉を祝福してくれた 満ち足りた気持ちで眠りにつくイサクが見る夢は、青春の頃に戻りサラに再会する幸福なものだった

 

     

 

この映画は「青春と老い」「親と子=家族」について考えさせられる作品です。この2つのテーマは人間だれもが直面する問題です これまでの人生を振り返ってみて、「あの時 ああしておけば良かった」「ああしなければ良かった」と後悔することは2つや3つでは収まりません しかし、「あったかも知れない別の人生」を想像しても何も生まれません。だからこそ、数年後に現在を振り返った時、「あの時 ああしておけば良かった」とか「ああしなければ良かった」と言わないで済むように、後悔しない人生を生きよう この映画はそんな風に思わせてくれる作品です

 

     

 

         

 

「冬の光」はイングマール・ベルイマン監督・脚本による1963年スウェーデン映画(白黒・82分)です

スウェーデンの漁村で牧師をしているトマス(G.ビョルンストランド)は、最愛の妻に先立たれてから失意の底にいた 新しい恋人の教師マルタ(I.チューリン)との関係もギクシャクして疲れ果て、牧師としての自信も失っている そんなある日、深い悩みを抱えた夫を助けてほしいという信者のカリン(G.リンドブロム)の相談を受ける。トマスはその夫ヨナス(マックス・フォン・シドー)と話をするが「神を信じなさい」というありきたりの言葉しかかけてやれない やがてヨナスは拳銃で自殺してしまう。マルタ以外の信者が誰も来ない教会の聖堂で、トマスは型どおりの礼拝の儀式を進めるのだった

 

     

 

この作品は「鏡の中にあるが如く」(61年)、「沈黙」(62年)とともに「神の不在」を描いた三部作の一つですが、難解と言われるベルイマンの作品の中では比較的分かりやすい映画だと思います 主人公のトマスは「親から牧師になれと言われたから」という理由で牧師の道を選んだに過ぎない したがって、妻が死んでも「なぜ神は沈黙するのか」と落胆するしかないし、一人になった彼を何とか助けようとするマルタの気持ちを理解することもできないし、助けてほしいと信者から頼まれても結果的に自殺に追いやることしかできないのです その根本は、神父でありながら神の存在を信じていないからです 信者でなければ「神は存在しない」と公言しても誰からも非難されることもないでしょう。しかし、神父であるトマスは立場上それが言えない トマスの不幸は神父として生きなければならないことです

「冬の光」は海外用の題名で、原題は「聖体拝受者」だそうです。ベルイマン特有のアイロニーでしょう ベルイマンは神の存在を信じていません

 

     

コメント
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