25日(月)。片山杜秀著「音楽放浪記 世界之巻」(ちくま文庫)を読み終わりました 片山杜秀は1963年宮城県生まれ。思想史家、音楽評論家。慶應義塾大学法学部教授
この本は、アルテスパブリッシングから刊行された「片山杜秀の本1 音盤考現学」(2008年2月)、「片山杜秀の本2 音盤博物誌」(2008年5月)に所収の100篇から55篇を採録したもので、文庫化にあたり再編集されたものです なお、この2冊は第30回サントリー文芸賞と第18回吉田秀和賞をダブル受賞しています
「クラシック音楽は、聴衆の高齢化に伴って、このままいけば衰退の一途をたどり絶滅する」と危機感を持っていつも警告を発信し続けている一人が片山杜秀氏です その一方で、この本で扱われている作曲家や作品などの紹介を読むと、ショスタコーヴィチやシェーンベルクは当たり前、クセナキス、ノーノ、べリオ、ブーレーズ、シュトックハウゼン、ライヒといった現代音楽の作曲家が次々と出てきて、著者はこの分野で他の追随を許さないオタク的な知識を披露します この分野に限らず、法学部教授がどうしてこんなことまで知っているんだろう と驚くほど幅広い知識を持ち合わせていることに驚きます
分かり易いところでご紹介すると、SP時代にヴァイオリン小曲集が多く録音されたことについて著者は次のように書いています
「SP時代の代表的名盤解説書、あらえびすの『名曲決定版』が、指揮者でもなくピアニストでもなくヴァイオリニストから始め、そこに膨大なページをとるのは、たんに あらえびす がヴァイオリン・ファンということだけでなく、SPや蓄音機の特性からいっても当然至極だろう そうした音響特性を最大限に発揮させるべく、艶やかなヴィブラートを一様にかけつづけ、本物もびっくりというくらいの魅惑的な響きを世界中の蓄音機から発して、音楽ファンを狂喜させたのが、クライスラーのSPなのだ」
この理屈はよく理解できます また、カザルスがチェロの歴史を変えた理由について、著者は次のように書いています
「チェリストたちは、かつては両手を体にくっつけていた。上腕部は胴から離さない。しっかり押さえつける。それで、下腕部だけを動かす。そうやって、左手の先ではチェロの棹の部分を握る。右手の先では弓を持つ。身をすぼめて、大きな楽器を抱え込む要領である。それがチェロ奏者の正統的な姿だった。カザルスはそこに爆弾を落とした 身を小さくするのをやめ、手を胴から解放したのである 楽器の表現力が大きく変わったのだ。それでは何故、19世紀末までチェロ弾きたちは手を胴から解き放たなかったのか。それはチェロにはエンド・ピンが付いていなかったからである チェロは床に立てられなかった。床から浮かせ、両足で挟むものだった。両ひざでしっかりつかまえないと楽器は固定しない」
また、私の好きなピアニストの一人、アファナシエフの演奏が極端に遅い理由について次のように書いています
「90年代末になって本人にインタビューする機会が訪れた 単刀直入に訊いた。『遅く弾き、響きに耳を傾けている、奇妙な演奏スタイルへと、あなたを誘惑した犯人は誰ですか?』と。アファナシエフの答えは日本の能だった 彼はモスクワで十代の半ばに、輸入盤の能のLPレコードを聴き、魅せられたという そのどこにか? まず緩慢な時の流れにである 一音一語、たっぷり引き伸ばすくだりで、自分もこういうゆったりした時間に生きたいと願ったという しかし、より重要なのは声の質だ。アファナシエフは能役者の声色を気に入ったらしい。分かり易く言えば”だみ声”である」
さらにアファナシエフは次のように付言したといいます
「メロディア・レーベルから発売されていた、ソ連軍がナチ・ドイツから接収したフルトヴェングラーの数々の録音の、遅くうねるような演奏に影響され、そこに能が重なって、今日の自分ができた」
「能」と「フルトヴェングラー」からインスパイアされ、遅い演奏スタイルを確立したというアファナシエフです しかし、フルトヴェングラーは遅いだけでなくテンポをかなり揺らしますが、アファナシエフは一貫して遅いと思います
この本を読んで是非聴いてみたいと思ったのはソ連の作曲家ミャスコフスキーの交響曲です 著者は次のように書いています
「1920年代、新興国家ソ連に遅まきながら炸裂した19世紀ロシア・シンフォニズムの最後の2発の打ち上げ花火 ある研究者がそう呼んだのは、シチェルバチョフの第2番、そしてミャスコフスキーの第6番である。この2曲は、帝政末期にラフマニノフ、リヤブノフなどが花開かせた後期ロマン派大型交響曲の歴史に華々しくケリをつけ、ショスタコーヴィチやポポフら、いわば純ソ連育ちのシンフォ二ストによる次の時代の到来をも促したというわけだ ミャスコフスキーの第6番は、同じ第6番のせいもあってチャイコフスキーの『悲愴』と比較されもする。が、少なくとも第1楽章に限れば『悲愴』というより『悲劇的』だ マーラーの第6番だ。後のショスタコーヴィチやポポフに深く影を落とすマーラーが『ミャス6』にもすでにハッキリいる 第1楽章は地獄落ちモットーと懐疑動機とマーラー的ジェスチャーをドロドロ煮詰めつつ、イライラし、猛り狂い、打ちのめされ、虚脱するのである」
こういう文章を読んで、聴かないではいられなくなるのはクラシック・ファンとしては当然の心理です 今度CDショップに行った時は購入しようと思います
なお、この本には、巻末に「参考音盤ガイド」が付いており、本文中に登場したCDについて詳細な解説が書かれています。それによると、ミャスコフスキーの第6番は「スヴェトラーノフ不滅の大業!」としてエフゲニ・スヴェトラーノフ指揮ロシア連邦アカデミー響のCD(世界初のミャスコフスキーの交響曲全集からの分売)が推薦されています 私はスヴェトラーノフが大好きなので、ますます買わざるを得ません