13日(火)。わが家に来てから今日で1595日目を迎え、英メディアによると、中世に建てられた英南東部ノリッジの大聖堂に、らせん状の巨大な滑り台が設置され、異色の組み合わせを「斬新」と歓迎する声がある一方、厳粛な空間への設置を「不適切」と批判する意見もあり賛否が割れている というニュースを見て感想を述べるモコタロです
EUからの合意なき離脱をやろうとしてる国で また国民投票やってみたらどうよ
夕食は、息子が「カジキマグロのパン粉焼き、スパゲッティ・ミートソース添え」を作ってくれました G20でも供されたという山形県鶴岡産のワイン「ソレイユ ルパン」(息子の土産)といっしょにいただきました 料理もワインも”お世辞抜きで”美味しかったです
昨日、ミューザ川崎で「フェスタサマーミューザ フィナーレコンサート」 を聴きました プログラムは①シューマン「ピアノ協奏曲イ短調作品54」、②ショスタコーヴィチ「交響曲第5番ニ短調作品47」です ①のピアノ独奏はジャン・チャクムル、指揮は尾高忠明です
午後3時からの本番に先立って、午前11時半から公開リハーサルが開かれました 最終日ということもあってか、かなりの聴衆が入っています いつものように地元川崎区在住のS氏と3階センターの席で聴きました。尾高氏が指揮台に上がり「おはようございます」とあいさつすると、楽員全員が立ちあがり「おはようございます」と言って すぐに着席します。これは東京交響楽団だけの”良き慣例”です 客員指揮者がリハーサルに臨むと新鮮な驚きがあるそうです リハーサルは最初にショスタコーヴィチを、後半にシューマンをおさらいしました
さて本番です。オケは左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという いつもの東響の並び。コンマスはグレヴ・二キティンです
1曲目はシューマン「ピアノ協奏曲イ短調作品54」です この曲はロベルト・シューマン(1810-1856)が1841年に第1楽章を、1845年に第2、第3楽章を作曲し、1846年にクララ・シューマンのピアノ独奏によりライプツィヒで初演されました 第1楽章「アレグロ・アフェットゥオーソ」、第2楽章「間奏曲:アンダンティーノ・グラツィオーソ」、第3楽章「アレグロ・ヴィヴァーチェ」の3楽章から成ります
1997年トルコのアンカラ生まれ、2018年の第10回浜松国際ピアノコンクールで優勝のジャン・チャクムルが登場し、ピアノに向かいます 彼は長身で長い巻き毛の髪が特徴です
尾高氏の指揮で第1楽章に入ります。チャクムルの演奏姿を見ていて感じたのは肩の力が抜けて自然体で演奏しているということです オーボエの荒絵理子をはじめとする木管楽器群の冴えた演奏がソリストの演奏に彩を添えました 第2楽章では弦楽器の爽やかなバックに乗ってピアノが軽やかに演奏されました 続けて演奏される第3楽章は弾むような愉悦感が横溢しました 私はこの楽章が大好きですが、とくにフィナーレに向けての流れるようなピアノとオケのやり取りがたまらなく好きです 理想的なテンポによる演奏で満足です
演奏を聴いている最中、何だろう?と思ったのは、ピアノです。スタインウエイでもなく、ベーゼンドルファーでもなく、ファツィオリでもなく、ましてやヤマハでもなく、彼はいったいどこのメーカーのピアノを弾いていたのだろうか
チャクムルはアンコールにそのピアノを使って、同じトルコ出身のピアニスト・作曲家のファジル・サイの「ブラック・アース」を、最初に鍵盤を叩き、残響が残っている間に左手をピアノの中に突っ込んで弦を押さえて鍵盤を叩き、打楽器のような音を出して不思議な音楽を奏でました ファジル・サイはこういう曲を作っていたのか、と初めて知りました 好青年による好演奏に聴衆はヤンヤヤンヤの喝采です
プログラム後半はショスタコーヴィチ「交響曲第5番ニ短調作品47」です この曲はドミトリー・ショスタコーヴィチ(1906-1975)が1937年に作曲した作品です 共産党からの批判に対する名誉回復を成し遂げた傑作であると”一般的に”言われています。第1楽章「モデラート~アレグロ・ノン・トロッポ」、第2楽章「アレグレット」、第3楽章「ラルゴ」、第4楽章「アレグロ・ノン・トロッポ」の4楽章から成ります
尾高氏の指揮で第1楽章が運命的なテーマにより開始されます 東響は半端ない集中力です オーボエの荒絵理子、フルートの相澤政宏、クラリネットの吉野亜希菜、ファゴットの福士マリ子といった木管楽器群が素晴らしい演奏を展開しました 第2楽章では打楽器群が大活躍です 二キティンのヴァイオリン独奏も冴えていました 第3楽章では弦楽器のアンサンブルが見事でした そして第4楽章は総力を挙げての熱演です 「圧倒的な勝利の音楽」とでも言いたくなる作品ですが、ショスタコーヴィチの本心はどうだったのでしょうか
繰り返されるカーテンコールに、尾高氏は拍手を制し、まず「あ~、疲れた」と第一声を発し、指揮台の柵にもたれかかります そして「オーケストラは聴衆の皆さんからパワーをもらって演奏しています 素晴らしい演奏ができるのは、半分は皆さんの力のお陰です お世辞抜きで、私はこのホールが大好きです ここにおいでの皆さんも大好きです 私はかつて読響を振っていたことがありますが、15年前にこのミューザ川崎のホールができた時、読響が(フランチャイズ・オケとして)来るという話がありました 今では東京交響楽団が地元のオケとしてすっかり川崎に溶け込んで、素晴らしいコンサート活動をしています 皆さん、読響が来なくて良かったですね 川崎万歳です」と”お世辞抜き?”のあいさつをかまし、聴衆からヤンヤヤンヤの喝采を浴びました 現代における指揮者の役割は、オーケストラから持てる力を最大限に引き出して聴衆を感動させることに加え、聴衆を良い気分で帰宅の途につけるように気の利いたトークをかますことが求められているようです
ところで、私は都内のあるホールで、尾高氏が東京フィルを振った時、「このホールの音響は最高です。こういうホールで聴ける皆さんは最高に幸せです」と語っていたのを聴きました 「行く先々のホールで現地のホールや聴衆をヨイショしているのでは・・」とか、あまり深く考えすぎないにしようと思います いいじゃないの幸せならば、という歌があったような
これで暑く熱いフェスタサマーミューザも終わりです 今年はジャズを含めて13公演聴きました いささか疲れました。今日からお盆モードです