人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

レオポルト・モーツアルト生誕300年 ~ 天才ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトを育て上げた父親の生涯:朝日「天声人語」を読んで

2019年11月28日 07時20分38秒 | 日記

28日(木)。わが家に来てから今日で1886日目を迎え、衆院本会議で26日、大地震などを想定し防災用ヘルメットの着脱訓練が行われ、議員が座席の下に配備された折りたたみ式のヘルメットを一斉に身につけた というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

       首相と閣僚は外さない方が良いと思う どこから矢が飛んでくるか分からないから

     

         

 

昨日は、夕食に「鶏のクリームシチュー」と「生野菜サラダ」を作りました 寒い夜は鍋料理、カレー、シチューが食べたくなります

 

     

 

         

 

珍しいことに、昨日の朝日新聞の「天声人語」がモーツアルトを取り上げていました ただし、モーツアルトと言っても天才ウォルフガング・アマデウス・モーツアルト(1756-1791)ではなく、彼を超一流の作曲家に育て上げた父親レオポルト・モーツアルトです レオポルトは1719年11月14日にドイツのアウクスブルクに生まれ、1787年5月28日にオーストリア大公国ザルツブルクで没しました(享年68歳)。今年が生誕300年に当たります

レオポルトは1747年(28歳)にアンナ・マリア・ペトゥルと結婚し 7人の子どもをもうけましたが、成人したのは三女の愛称ナンネルと三男のウォルフガングの2人だけでした 彼は同年、ザルツブルク宮廷室内作曲家に就任、1758年(39歳)にはザルツブルク宮廷楽団第2ヴァイオリン奏者に就任、さらに1763年(44歳)には宮廷副学長に昇進し、死ぬまでこの地位に留まりました

「天声人語」はレオポルトについて「幼い息子を連れて演奏旅行をした教育熱心な父として知られる」と書いていますが、1762年1月にはミュンヘンで バイエルン選帝侯マクシミリアン3世ヨーゼフの御前演奏をさせ(ウォルフガング6歳)評判をとり、同年10月にはウィーンのシェーンブルン宮殿で女帝マリア・テレジアや皇帝フランツ1世の御前演奏をさせて喝采を浴びています   さらに翌1763年6月から1766年11月までの3年半にわたり、ドイツ、オランダ、ベルギー、フランス、イギリス、スイスに及ぶ大旅行を決行しています(ウォルフガング7~10歳)。その後もレオポルトはウォルフガングを伴って3回のイタリア旅行に出かけています ウォルフガングは屈指の「ステージパパ」であるとともに売り込み上手な「プロモーター」である父レオポルトのお陰で、ヨーロッパ中に天才児としてその名を轟かせることになりました

「天声人語」はさらに、『モーツアルト家のキャリア教育』の著者である国立音大・久保田慶一教授の「(レオポルトは)自身は向上心の強い知識人。作曲家としても優れ、当時としてはモダンな交響曲を書きました」という言葉を紹介しています これは、1923年に上オーストリア、ランバッハのベネディクト派の修道院で発見されたモーツアルト父子のものとされる1769年と記された2つの交響曲、通称「ランバッハ交響曲」の筆写譜のうちの「新ランバッハ交響曲」のことを指していると思われます

また、「長い曲も一度聴けば覚え切り、即興で旋律をつむぐ幼い息子に父は瞠目する」と書いています これはモーツアルト父子がバチカンのシスティーナ礼拝堂を訪れた際、門外不出のアレグリ作曲「ミゼレーレ」を12歳のウォルフガングが耳で聴いただけで暗記して 後に楽譜に書き起こし、2度目に礼拝堂を訪れた際に 記憶に誤りがなかったかどうかを確かめたという史実を指しています これには当時のローマ教皇も驚き、モーツアルトの天才ぶりを絶賛したといいます 広島、長崎などを訪問し、一昨日 離日されたフランシス教皇も、その場に居合わせたら Oh my God!と驚いたことでしょう

「天声人語」では触れていませんが、レオポルトは音楽理論家としても優れた人物で、彼の自費出版した「ヴァイオリン奏法」は、史上初めてヴァイオリンの教授法を理論的に解説した本として、すべての音楽家や音楽教育者にとって重要なものとなっており、今日まで出版され続けているそうです この親にして天才児あり・・・ですね

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