人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

ショパン・コンクール ~ 登竜門から成熟へ:朝日の記事から / 週刊新潮は思い上がるな! ~ 19歳少年の実名報道を巡って

2021年10月22日 19時00分10秒 | 日記

22日(金)。最近とくに眼鏡の度数が合わなくなってきたので、行きつけの眼鏡店に行って検眼してもらいました どうやら私の眼の視力は左が1.0あるのに対し 右は半分位しかないことが分かりました フレームがカーボンなので、それを生かして、レンズ(中近両用)だけ交換してもらうことにしました メール会員に登録しているので1割引きになりましたが、それでもレンズ左右で税込み42,570円かかりました。出来上がるまでは予備に使っている眼鏡があるので問題ありません

トイレの照明スイッチが壊れたので、昨日マンション管理会社のサービス部門に連絡して、今日 提携業者に来てもらいました スイッチ部品の一部が折れてしまい、点けたら点けっぱなしになっているとのことでした 部品そっくり交換ということで5,434円かかりました マンションに入居以来28年間一度も故障していなかったので経年劣化だと思います 電気が点いたまま、換気扇が回ったままでは困るし、これから30年近く使用することを考えると交換して正解だったと思います

ということで、わが家に来てから今日で2477日目を迎え、フェイスブックやツイッターのアカウントを停止されているトランプ前米大統領は20日、新たなソーシャルメディア「トゥルース(真実)ソーシャル」を立ち上げると明らかにした  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     トゥルース・ソーシャルが聞いて呆れる フェイク・ソーシャルだったら理解できる

 

         

 

夕食に「鶏の唐揚げ」を作りました 2週間に1度のペースで作っていましたが、入院の関係で間隔が空き4週間ぶりに作りました 栗原はるみ先生のレシピによる「うまみ醤油」に2時間くらい漬けてから揚げたので味が浸み込んで美味しかったです まだビールが飲めないのがとても残念です

 

     

 

         

 

昨日の朝日新聞朝刊に「19歳少年の実名報道  週刊新潮  甲府2人死亡巡り」という見出しの記事が載りました 超訳すると、

「甲府市の住宅が全焼し、会社員井上盛司さんと妻章恵さんの遺体が見つかった事件で、傷害容疑で逮捕された19歳の少年について、週刊新潮は21日発売の10月28日号で少年の実名と顔写真を報じた   山梨県弁護士会は21日、記者会見し、少年の特定につながる報道は少年法に違反すると抗議した。同誌編集部はコメントを出し、「19歳の少年といえども実名・顔写真を含め、その実像に迫る報道を行うことが常識的に妥当であると判断した」としている    今年5月成立の改正少年法は18歳、19歳を『特定少年』と位置づけ、来年4月以降に起訴されれば、実名などの報道を禁じる規定が適用されないと定めている

結論から先に言うと、週刊新潮は言論の自由をはき違えている。何様だと思っているのか マスコミではなく「マスゴミ」と言われても仕方がない。記事を読む限り、現時点では法律を逸脱していることは明らかで、勇み足の報道と言わざるを得ない 「その実像に迫る報道を行うことが常識的に妥当であると判断した」だと? 戯けたことを言うな 法律云々以前に、まだ”容疑者”に過ぎない少年本人とその家族の人権をどう考えているのか 実名や顔写真が露出することによってどういうことが起こるかを考えたうえで報道しているのか 容疑者の家族に対してはテレビ局や週刊誌の取材が殺到し(いわゆる「メディア・スクラム」)、電話やSNSを通じても誹謗中傷が加えられ、ろくに買い物にも出られないような異常な生活を強いられることが容易に想像できる 9月30日付toraブログでご紹介した春本雄二郎監督「由宇子の天秤」では、加害者家族がメディアやSNSを通じてどんなに酷いバッシングを受けるかを描いているが、状況は加害者家族でも容疑者家族でも同じだろう

週刊新潮は思い上がるのもいい加減にしろ 報道される側の人権を踏みにじり、言論の自由を振りかざして「週刊誌が売れればよい」という売り上げ至上主義に基づく報道は止めろ 自分や自分の家族や友人が同じ立場に立たされたらどういう気持ちになるか考えろ

 

         

 

昨日の朝日新聞朝刊 社会面に、「第18回ショパン国際ピアノコンクール」で2位入賞の反田恭平さんと4位入賞の小林愛実さんに関する記事「幼なじみ  約束の先の栄光」が載っていました このうち、同社の吉田純子編集委員による「登竜門から『成熟』へ」という解説記事が興味を引きました 超訳すると、

「今回のコンクールに限らず、コロナウイルスは多くの国際コンクールの風景を一変させた 多くがオンライン配信され、世界中に『観客』と『審査員』が生まれた。出場者の多くが、予選のたびにツイッターでつぶやき、ファンとの交流を欠かさなかった ネットにはそれぞれの『推し』を応戦する、各国語のにぎやかなコメントがひしめいた 『競い合い』という悲壮感は、もはやない。かつての国際コンクールは、原石を見つけ出し、無名の新人を一躍スターダムに押し上げるものだったが、今回のショパン・コンクールは『若手の登竜門』などではなく、成熟した個性の饗宴だった 現行のほとんどの国際コンクールが、今や音楽ビジネスにおける重要なエンターテインメントとなっているという現実を、今回のショパン・コンクールは明瞭に可視化した

私が興味を惹かれたのは最後のフレーズです。吉田さんの指摘の通り、ショパン・コンクールに限らずほとんどの国際コンクールが「音楽ビジネスにおける重要なエンターテインメントとなって」います 日本人からの出場者が2人も入賞したことは日本の音楽界の快挙であり、普段クラシックに興味のない人も惹きつけた点は素晴らしいことだと思います その一方で、入賞者のコンサート・チケットは高騰し、なかなか入手できなくなることが予想されます まさに音楽のビジネス化以外の何物でもありません。しかし、「世の中、需要と供給のバランスで成り立っている」という資本主義の論理の中では仕方のないことかもしれません

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