人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

「芸術界 広がる ロシア排斥 ~ ウクライナ侵攻で深刻な分断」 ~ 日経の記事から / 池上彰 & 佐藤優 共著「激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972」を読む

2022年03月08日 07時19分13秒 | 日記

8日( 火)。「月刊音楽祭」のツイッターによると、ロシアの指揮者トゥガン・ソヒエフ氏がフランスのトゥールーズ・キャピトル管弦楽団とロシアのボリショイ劇場の音楽監督をともに辞任すると声明を出しました ツイッターの概要は以下の通りです

「トゥールーズとウクライナの首都キエフは1975年から姉妹都市関係にあり、ジャン=リュック・ムーデング市長は今月3日、ロシアのウクライナ侵攻をめぐり、ソヒエフに対してプーチン政権との距離を明確にするコメントを発表するよう求めていた ソヒエフはロシア・北オセチア生まれの44歳。2008年からキャピトル管弦楽団、2014年からボリショイ劇場の音楽監督を務めており、声明で『私の最愛のロシア人と最愛のフランス人ミュージシャンの間で選択するという不可能な選択肢に直面することを余儀なくされた』と述べ、苦渋の選択であったことを吐露している

ソヒエフ氏は毎年のように来日し、N響の定期公演で指揮を執っています N響は2022年度の定期公演に彼を招聘するのか、気になるところです プーチンはソヒエフ氏に限らず多くのロシアの音楽家の人生を狂わせています

こうした状況の中、昨日の日経朝刊 文化欄に瀬崎久見子編集委員が「芸術界  広がるロシア排斥 ~ ウクライナ侵攻で深刻な分断」という見出しによる記事を書いています 超略すると以下のとおりです

「ロシアのウクライナ侵攻が世界の芸術界に暗い影を落としている 各国の芸術家や文化人から抗議の声が上がる一方、一部のロシア出身の音楽家を排斥する動きも出ている 分断の深まりは深刻な様相を呈し始めた。プーチン政権に近いといわれるワレリー・ゲルギエフは欧米での指揮が相次いでキャンセルになり、ミュンヘン・フィル首席指揮者などのポストも失った 英国のロイヤル・オペラハウスは、今夏のボリショイ・バレエの招聘を中止した 5月に開催予定のカンヌ国際映画祭は、侵攻がウクライナの納得する形で終わらない限りロシア政府関係者を招かないと表明した

「芸術家がなぜ政治的立場を公にすることを求められるのか。第2次世界大戦後の欧州には文化人は積極的に政治・社会参加すべきだとする『アンガージュマン』の思潮が興ったが、その気風が今に続いているといえる これを提唱したフランスの哲学者サルトルは、社会問題に対する姿勢を明らかにし、状況に働きかけることが文化人の責務だと説いた 大戦で荒廃し、戦後は共産圏と対峙した西欧では、文化人は同時代の問題に責任を負うという意識が強い。これに加えて近年は、ネット上の”炎上”が不買運動などのネガティブキャンペーンに発展する『キャンセルカルチャー』の問題もある 今の状況下でロシア政府に近い芸術家を擁護していると見られれば、市民からの非難は免れないだろう そんな恐れが今回の排斥運動に拍車をかけている面もありそうだ

「抗議の声は欧米だけでなく、ロシア内部からも上がっている。作家のリュドミラ・ウリツカヤは『(ロシアによる侵攻に)恥を感じるのはなぜかといえば、わが国の指導者が、全人類に大惨事をもたらす状況を作り出した責任があることは明らかだから』と激烈に指弾している 演劇では国際演劇評論家協会ロシア支部が、同ウクライナ支部に『私たちは(中略)睡棄すべき軍事行動を非難し、この戦争への反対を明らかにするための署名をはじめ、あらゆる手段を用いて抗議を表明する』とメッセージを送った また、モスクワのメイエルホリド国家芸術センターの芸術監督エレーナ・コワルスカヤや、フランスバレエ界の元スターでモスクワ音楽劇場バレエの芸術監督ローラン・イレールらが抗議の辞任に踏み切っている

芸術界の分断はいつまで続くのか・・・ロシアのウクライナへの侵略の情勢から目が離せない毎日が続いています

ということで、わが家に来てから今日で2614日目を迎え、ロシアのウクライナ侵攻が続く中、トランプ前米大統領が5日に米ニューオーリンズで行われた共和党の高額寄付者とのイベントで、「米軍は中国の国旗をつけたF-22戦闘機で、ロシアを攻撃すべきだ。ロシアと中国が戦争を始めたら、高見の見物をすればよい」と語ったと米CBSニュースが報じた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     プーチンに負けない無法者が4年間も米国の大統領をやってた  目を覚ませ 共和党!

 

         

 

昨日、夕食に娘が職場の同僚から仕入れてきたサーロインステーキを焼きました あとは「卵スープ」と「生野菜サラダ」です。ステーキはレアで焼きましたが、とても美味しかったです

 

     

 

         

 

池上彰 & 佐藤優  共著「激動  日本左翼史  学生運動と過激派  1960-1972」(講談社現代新書)を読み終わりました 池上彰は1950年、長野県松本市生まれ。ジャーナリスト。慶應義塾大学経済学部卒業後、1973年にNHK入局。1994年から2年間にわたり「週刊こどもニュース」のお父さん役として活躍。2005年からフリーになり、執筆活動を続けながら、テレビ番組などでニュースを分かりやすく解説し、幅広い人気を博している。著書多数あり 一方、佐藤優は1960年、東京都生まれ。元外務省主任分析官。1985年、同志社大学大学院神学部研究科修了後、外務省入省。在ロシア日本国大使館勤務などを経て、本省国際情報局分析第1課に配属。主任分析官として対ロシア外交の分野で活躍した。2005年に発表した「国家の罠~外務省のラスプーチンと呼ばれて」で鮮烈なデビューを飾り、2006年に「自壊する帝国」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したほか著書多数あり

 

     

 

本書は2月28日付toraブログでご紹介した「真説  日本左翼史  戦後左派の源流  1945-1960」の第2弾として刊行されたものです 第1弾では戦後における社会党と共産党の動向を中心に思想背景などを探ってきましたが、第2弾では学生運動の動向が中心となっています

本書は次の5章から構成されています

序 章「『60年代』前史」

第1章「60年安保と社会党・共産党の対立(1960 ~ 1965年)

第2章「学生運動の高揚」(1965~1969年) ~ 全共闘、第一次羽田事件、エンタープライズ入港阻止闘争、東大闘争、日大闘争など。

第3章「新左翼の理論家たち」 ~ 革マル派、中核派、三派系全学連など。

第4章「過激化する新左翼」(1970年~) ~ 内ゲバ、連合赤軍、あさま山荘事件、日本赤軍など。

まず最初に「新左翼」とは何か、について池上氏が次のように解説しています

「1950年代後半に入り、次第に問題点が露呈しつつあったソ連型社会主義への失望と、そのソ連、あるいは中国共産党の影響力から脱しきれない日本共産党や日本社会党など既存左翼政党に対する不満が高まってきた 新左翼とは、彼らに代わってマルクス主義を正しく継承し、日本での社会主義革命を実現しうる新たな革命政党が必要だと考えた、当時の学生たちによって結成された党派の総称です

そして、1960年以降の新左翼の運動の流れを次のように解説しています

「新左翼による学生運動は1960年の安保闘争で社会・共産両党以上の存在感を示し、60年代半ば以降は彼ら自身が組織した全学共闘会議(全共闘)という運動体を通じて様々な反戦闘争や大学の自治確立のための闘争で主役となった 彼らの主張はベトナム戦争を背景に盛り上がっていた反戦世論を追い風に、一般社会からも一定の共感を獲得した その闘争は、1968年に東大全共闘の学生たちが東大・安田講堂に立てこもった安田講堂事件、日大全共闘の学生たちが大学側の不祥事を追及した日大闘争で一つのピークを迎えた しかし、新左翼は闘争の過程で共産党系の青年組織である民青と激しく対立し、さらには同じ新左翼どうしでありながら、主に革命の方法論を巡ってお互いに激しく憎み合うようになった この争いは、角材(ゲバ棒)や鉄パイプで武装しては学園内外で対立党派のメンバーを襲撃する『内ゲバ』に発展した 中でも『革共同(革命的共産主義者同盟)』から分派した革マル派(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)と中核派(革命的共産主義者同盟全国委員会)の抗争は激しく、彼らの内ゲバは双方の陣営で数十人もの死者を出す極めて陰惨なものとなった 内ゲバの激化と比例するように権力側との争いも一種のテロリズムと化していった そうした中、追い詰められた赤軍派と呼ばれる党派と、そこから派生したグループが暴発するように『よど号ハイジャック事件』『山岳ベース事件』『あさま山荘事件』『テルアビブ空港乱射事件』など 日本および世界の犯罪史上に残る大事件をいくつも起こしていった これら一連の事件の衝撃によって新左翼は一般社会から完全に浮き上がってしまい、事実上命脈を絶たれることになった

本書の目次の次のページに資料として「新左翼(セクト)の組織系図」が掲載されていますが、この組織系図を見るだけでも、新左翼が分裂を繰り返して自滅していく姿が想像できます 池上氏が指摘しているように、学生たちはヘルメットの色でセクトを区別していました⛑ 大学2年の時に、学友に誘われて革マル派の集会を冷やかしに新宿西口公園に行きましたが、友人が茨城弁で革マル派の闘士に議論を吹っかけている間、気の弱い私は ゲバ棒で殺されるんじゃないかと、ガタガタ震えていたことを思い出します ヘルメットは白色で、Zの一文字が書かれていたように記憶しています

本書では新左翼の運動が失敗したのは、各グループが「自分たちだけが正しく、他のグループは間違っている。だから相手をせん滅する」という狭い視野にたって物事を考えていたからだと指摘していますが、これに関連して、佐藤氏は次のように述べています

「影響を受けることで自分の命を投げ出しても構わない、そしていざとなれば自分だけでなく他人を殺すことも ためらうまいと人に決意させてしまうほどの力を持つ思想というものが現実に存在することを知ってもらいたい

「思想の力」の恐ろしい局面ですね また、池上氏は次のように語っています

「閉ざされた空間、人間関係の中で同じ理論集団が議論していれば、より過激なことを言うやつが勝つに決まっている 中核と革マルにしても最初は単なる路線の違い、革命の方法論の違いをめぐる意見の相違でしかなかったのが、いつの間にかお互いの憎悪感情が指数関数的に募っていき、気が付いたら警察や国家権力よりもにくい相手になっていた

他人の言うことを一切聞かず、自分の主張を押し通すという傲慢な態度は身の破滅を招きます ウクライナに侵攻したプーチンもいずれそうなるでしょう

まだまだご紹介したいことは多々ありますが、きりがないのでこの辺で終わりにしますが、かつて社会的な運動になっていた学生運動を振り返る上で参考になる本です。興味のある方は手に取ってご覧になってはいかがでしょうか

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