人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

「エリーナ・ガランチャ メゾ ソプラノ・リサイタル」抽選申し込み / 北村紗衣著「批評の教室 ~ チョウのように読み、ハチのように書く」を読む ~ 精読する ⇒ 分析する ⇒ 書く

2022年03月15日 07時18分22秒 | 日記

15日(火)。テイト・コーポレーションから「エリーナ・ガランチャ  リサイタル2022開催のお知らせ」メールが届きました 本公演は2020年5月23日、24日の2日間 すみだトリフォニーホールで開かれる予定でしたが、新型コロナ禍の影響で中止となり、1年後に延期となりました しかし、それもコロナ禍が長引きさらに延期となっていました 私は一旦払い戻しをしたので、新たにチケットを取る必要がありますが、払い戻しをせずチケットを持っている人はそれが有効とのことです METライブビューイング「カルメン」「サムソンとデリラ」などでお馴染みのエリーナ・ガランチャは何が何でもライブで聴きたいと思っていたので、抽選に申し込むことにしました 公演日程は①6月28日(火)19時開演、②6月29日(水)19時開演の2日間で、会場はいずれも すみだトリフォニーホールです     全席指定でS席=17,000円、A席=15,000円、B席=13,000円、C席=11,000円です。抽選日は4月8日(金)となっています    どうか28日の公演に当選しますように

 

     

 

ということで、わが家に来てから今日で2621日目を迎え、ロシアのシルアノフ財務相は13日、同国のウクライナ侵攻に対する米欧などの制裁で、ロシアが保有する金と外貨準備のうち約3000億ドル(約35兆2千億円)相当が凍結されたが、打撃の緩和へ中国に期待していることを国営テレビで明らかにした  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     今度は中国の習近平政権が 人殺しプーチン政権に加担するかどうかが 注目される

 

         

 

昨日の夕食は久ぶりに「ビーフカレー」を作りました いつものようにわが家のビーフカレーはブロック肉でなく牛バラ肉を使います

 

     

 

         

 

北村紗衣著「批評の教室 ~ チョウのように読み、ハチのように書く」(ちくま新書)を読み終わりました 北村紗衣は1983年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科修了。武蔵大学人文学部英語英米文化学科准教授。専門はシェイクスピア、舞台芸術史、フェミニスト批評

 

     

 

本書は次の4章から構成されています

第1章「精読する」 ~ 精読とは? 精読のためにすべきこと・すべきでないこと

第2章「分析する」 ~ 批評理論とは? タイムラインに起こしてみる とりあえず図に描いてみる 価値づけする

第3章「書く」 ~ 書き始める 切り口を提示し分析する 書くためのテクニック

第4章「コミュニティをつくるー実践編」 ~ 「あの夜、マイアミで」「華麗なるギャツビー」

著者は「批評は作品を楽しむためにある」として、上記の章立てに沿って、批評を「精読する」「分析する」「書く」の3つのステップに分けて、その方法を解説していきます サブタイトルの「チョウのように読み、ハチのように書く」は言うまでもなく、ボクシングチャンピオンだったモハメド・アリの有名な決まり文句「俺はチョウのように舞い、ハチのように刺す」をもじった言葉です 著者は「批評するにはある程度フットワークの軽さが必要だ」と語ります 「ある作品に触れたら、その作品に関連するいろんなものに飛び移って背景を調べたり、比較したりすることにより、作品自体について深く知ることができるようになる」としていますが、それが「チョウのように読み」の意味です そして、「軽いフットワークで作品の背景を理解したら、次は突っ込まないといけない 作品を批評しながら楽しむ時は何か1か所、突っ込むポイントを決めてそこを刺すのがやりやすい方法だ」として、「羽を生やした後には針を身に着ける必要がある」と書いていますが、それが「ハチのように刺す」という意味です

「批評とは何をするものなのか?」という問いに、著者は「作品の中から一見したところではよく分からないかもしれない隠れた意味を引き出すこと(解釈)と、その作品の位置づけや質がどういうものなのかを判断すること(価値づけ)が、批評をすべき大きな役割としてよく挙げられる」と解説しています

これに関連して著者は美学の専門家で批評の哲学を研究しているノエル・キャロルの次の言葉を紹介しています

「批評というのは記述、解明、分類、文脈付け、解釈、分析に『価値づけ』をプラスしたもので、価値づけは批評にとって不可欠である

著者は「解釈と価値づけのどちらがより重要な批評の役割かというと、どちらも批評がすべきことだと思う」として、「私が一番大事だと思っていて、繰り返しいろんなところで言っているのは、批評に触れた人が、読む前よりも対象とする作品や作者についてもっと興味深いと思ってくれればそれは良い批評だ、ということだ」と語っています

これはよく理解できます 私は毎日のようにコンサートを聴いたり、映画を観たり、本を読んだりした感想をブログに書いていますが、一番気をつけているのが北村さんの言う「読む前よりも対象とする作品や作者についてもっと興味をもってくれる」ように書くことです 他人様の書いたコンサートに関するブログを拝見していると、たまに プロのオーケストラやソリストの演奏をケチョンケチョンに貶している文章に接することがありますが、果たして、そういう批評や感想を読んだ人がその作品や演奏家を好きになれるだろうか、もっと言えば、クラシック音楽を好きになれるだろうか、と疑問に思ってしまいます 私は余程のことがない限り演奏を貶さないようにしています 出来るだけ良い面を取り上げて紹介し、クラシック音楽の素晴らしさを知ってくれる人が増えれば良いと思っています そのために、ブログを書くにあたっては作曲家の情報(生年・死亡年など)や作品の内容(楽章構成、時代背景など)を調べ、コンサート前にCDを聴いて予習し、コンサートでは事前にプログラム冊子に目を通し、目で見た舞台が再現できるように楽器配置、客入り状況などをメモします 演奏中は集中して聴き、休憩時間には演奏で気がついた点をメモします そして家に帰ってブログを書くわけですが、一つでも誰も書かないことを書くように心がけています もし、私が書いたブログの中に「ああ、そうだったのか!」とか「そういう視点もあったのか!」と、初めて気がついたことがあれば、それが「誰も書かないこと」です

また 最近 映画館に行かなくなってしまいましたが、映画館やNetflixで映画を観る時にいつも注意を傾けているのはクラシック音楽が使われているか、使われていれば、どういう場面で誰の何という曲が使われているかです 曲名が分からない場合は後で CD や YouTube で調べます 北村さんの言う「突っ込むポイントを1か所決めて、そこを刺す」に当てはまるのが私の場合は「映画で流れるクラシック音楽」ということになります

こうしてみると、どうやら私は(成果は別として)「チョウのように読み、ハチのように書く」を すでに実践していると考えていいんでしょうか

北村さんはシェイクスピアの専門家ということで、本書は文学作品の批評を中心に扱っているので、音楽を聴いた感想を書く場合には若干ズレを感じますが、それでも参考になる点が少なくありません   それらを個々にご紹介するわけにもいかないので、興味のある方は本書を手に取ってご覧ください

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