5日(火)。昨日は9日間連続真夏日を終え、朝から小雨が降って多少涼しくなったので、エアコンを止めてフィルターを水洗いしました 本来なら猛暑になる前にやるべきところでしたが、横着者ゆえ遅れに遅れてしまいました
でも、こびりついた埃がすっかり取れたのでエアコンの効率が良くなり、娘もびっくりしていました
さて 新聞各紙によると、現代演劇の巨匠として知られる英国の演出家ピーター・ブルック氏が2日、パリで97歳の生涯を終えました 1925年生まれ。少年時代に映画監督を志す一方、オックスフォード大在中の1942年に初の舞台演出をしました。卒業後は小劇場で実績を重ね、20代前半から、現在のロイヤル・シェークスピア・カンパニーやロイヤル・オペラ・ハウスで演出しました
オペラの演出では、1998年にモーツアルト「ドン・ジョバンニ」、2010年に同「魔笛」を手がけています
是非、ライブで観たかったと思います
ピーター・ブルックさんのご冥福をお祈りいたします
ということで、わが家に来てから今日で2732日目を迎え、北京の外交筋によると、ロシアのプーチン大統領は、6月15日に中国の習近平国家主席と電話会談した際、69歳を迎えた周氏に祝意を示した上で、ロシア訪問を要請したが、周氏は新型コロナウイルス対策を理由に、近い将来の訪露は困難との認識を示した というニュースを見て感想を述べるモコタロです
コロナよりも今訪露すると世界から「仲良しこよし」と見られて体裁悪いからだろ
昨日、夕食に「ビーフカレー」と「生野菜とアボカドのサラダ」を作りました いつもはバラ肉を使っていますが、今回は牛もも肉を使いました。久しぶりのカレーでしたが、とても美味しかったです
2日付日経朝刊 文化欄に評論家・片山杜秀氏が「音楽家の心意気」というタイトルでエッセイを寄せています 片山杜秀氏は1963年生まれ。評論家・思想史家・慶応大学教授。著書に「音盤考現学」「未完のファシズム」など多数
片山氏は、日本におけるクラシック音楽の黎明期を振り返りながら、現代におけるクラシック音楽の危機と課題を概要次のように指摘しています
「交響楽団という大所帯はチケット収入だけで賄えるものでは、今も昔も、どこの国でもない 日本の場合は、放送局、映画会社、新聞社、地方自治体などが経営母体、あるいは大口のスポンサーとなって、さらに様々な寄付に支えられ、ここまで来た
そうしてやがて1世紀。残念ながらオーケストラをはじめとするクラシック音楽業界の将来は順風満帆ではあるまい
コロナ禍のせいばかりではない。大正期から育ってきた、公共がクラシック音楽を支えてこそ社会は豊かになるという価値観が、文化芸術の多様に枝分かれする中、力を失ってきている
確かに熱心なファンはとても多い。が、クラシック音楽を支える社会の裾野は縮小傾向にあると言わざるを得まい
大げさに言えば、大正期へと逆行していくか否かの正念場が、今であろう。クラシック音楽のどこに値打ちがあるのか。それを解さぬ社会は文化的と言えるのか。そのあたりのコンセンサスから作り直していかねば危うい
改めて公共の理解を求め、援助を引き出し、富裕層にもアピールして、新たなる大パトロンを獲得できるか否か。なりふり構わず、味方を増やす努力に邁進しなければならない。それだけの心意気が音楽家たちにあれば、きっと道は開ける
」
上の文章の中で片山氏が、日本の場合は「放送局、映画会社、新聞社、地方自治体などが経営母体・・・に支えられ、ここまで来た」と指摘している「放送局」は日本放送協会(NHK)=N響、「新聞社」は読売新聞社=読売日響、「地方自治体」は東京都=都響ほか各自治体を指していますが、「映画会社」が経営母体となったのは1946年設立の「東宝交響楽団」(1951年に「東京交響楽団」と改称)のことと思われます そのころの東宝系の映画を観ると、タイトルロールに「演奏 東宝交響楽団」と出てきます
片山氏の「改めて公共の理解を求め、援助を引き出し、富裕層にもアピールして、新たなる大パトロンを獲得できるか否か。なりふり構わず、味方を増やす努力に邁進しなければならない」という主張は、個々のオーケストラが対処すべき課題ですが、それと同時に、どのオーケストラにも共通する課題です 特に「公共の理解を求め、援助を引き出す」のは、個々のオーケストラの枠を取り払って「業界として」横断的に対処すべき課題です
また、「新たなる大パトロンを獲得できるか否か」は、若くても優秀な指揮者を迎えオーケストラの個々の楽団員の演奏力のレヴェルアップを図る以外ないのではないか、と思います
それとともに、日本の高齢社会を一歩先取りしている感のあるオーケストラの定期会員の実態を直視しなければなりません
このまま放っておけば、数年後にはどこのコンサートホールもスカスカになるでしょう
若い聴衆を増やす不断の努力が不可欠です
片山氏流に言えば「それだけの心意気が音楽家たちにあれば、きっと道は開ける」と思います