6日(水)。わが家に来てから今日で2733日目を迎え、ロシアのウクライナ侵攻を受けて西側諸国が凍結したプーチン政権や新興財閥オルガルヒらの資産「3000臆~5000臆ドル(約41兆~68兆円)」について、ウクライナ側は没収した上で甚大な被害を受けた自国の復興に充てるよう求めた というニュースを見て感想を述べるモコタロです
実現は難しいが 最低限プーチンの資産は没収して ウクライナ復興に充てるべきだ
昨日、夕食に「棒棒鶏」「冷奴」「生野菜とアボカドと海老のサラダ」「ジャガイモの味噌汁」を作りました バンバンジーは今年初ですが、美味しく出来ました
遠藤周作著・鈴木秀子監修「人生には何ひとつ無駄なものはない」(朝日文庫)を読み終わりました 遠藤周作は1923年東京生まれ。慶應義塾大学仏文学科卒業。学生時代から「三田文学」にエッセイや評論を発表。1955年「白い人」で芥川賞を、66年「沈黙」で谷崎潤一郎賞を受賞
96年9月逝去
本書は1998年3月に海竜社から出版された単行本を2005年に文庫化したものです 真摯に、そしてユーモアを交えて多くの作品を発表した遠藤周作の名作の中から、人生・愛情・宗教・病気・生命・仕事などについて書かれた文章を選び、抜粋したアンソロジーです
本書は大きく次のような構成になっています
〇人生・善悪・罪・正義・・・人生には何ひとつ無駄なものはない
〇愛・結婚・夫婦・恋・・・愛することは、”捨てない”こと
〇神・信仰・宗教・・・神は存在ではなく働きである
〇病・老い・死・・・人生の廃物利用のコツ
〇人間・性格・縁・・・あなたの他にもう一人のあなたがいる
〇教育・父性母性・不幸・嫉妬・挫折・・・不幸がなければ幸福は存在しない
〇心・真実・生命・宇宙・・・心の不思議、心の暗闇
〇創造・文化・仕事・ユーモア・・・人生体験ではなく芸術体験という真実
私は本を読む時に、気に入った文章や気になった表現などがあると、そのページの角を折る(「ドッグイヤー」と呼ばれる)癖があります 読了後、ドッグイヤーを目印にその箇所を読み直してブログのコメントを書いたりしています
その点について言えば、本書はドッグイヤーが少ない方でした
本文290ページの中で10か所しかありませんでした
それはなぜか? 自己分析してみると、遠藤氏はごく当たり前のことしか言っていないからです
考えようによっては、当たり前のことを言葉にして言わなければ通じない世の中になったのかな、と思います
そうは言うものの、人生の達人の言葉の集大成ですから「気になった文章」はあります
一つは「神は存在ではなく働きである」で紹介されているエッセイ「万華鏡」の中の文章です
「もっと早く気が付けばよかったのだ 神とは存在ではなくて、働きであるということに。そしてその働きを私は自分の人生のなかで色々な形で感ずることができた
たとえば本格小説を書いている時、稀ではあるが自分が書いているのでのではなく、誰かに手を持って書かされていると思う箇所が私にもある
本が完成したあとに読みかえすと、その箇所が私などの実力をこえ、素晴らしくよく動いている
」
この文章を読んだとき、真っ先に思い浮かべたのは天才音楽家モーツァルトです 私は確信しているのですが、モーツアルトは本当は人間ではなく、神がモーツアルトの頭と肉体を使って唯一無二の音楽を書かせたのではないか、と
また「人生の廃物利用のコツ」の中の「年をとったことの功徳」の中で次のようなエピソードを紹介しています
「老人問題を専門に研究しているソシアル・ワーカーがある日、ポツリとこう言った。『身辺雑事の苦労をすべて取り除いて、あまり楽にしてあげると、老人は必ずしも幸せじゃないかもしれない そうすると、老人は死の恐怖と向き合う以外になくなってしまう
身辺雑事の苦労は、老人が死と向き合うのを誤魔化してくれるものなの
』。彼女のこの言葉は、やはり現場で働いているものだけがわかる人間観察を秘めている
」
この話の結論は、「老人には少しばかり苦労させたほうがいい」ということです 何かに熱中することは、死の寂しさをひと時でも忘れさせてくれるからです
さらに、「不幸がなければ幸福は存在しない」の中では次のように書いています
「不幸がなければ幸福は存在しないし、病気があるからこそ健康もありうるわけだ だから両者はたがいに依存しあっているといえる
しかも不幸と呼ぶものにはピン、キリがあり、もっと不幸な人からみるとある程度、不幸な人はまだ『幸福』にみえるものである
末期がんの患者の眼には心臓病の患者は羨ましく見えるかもしれない
すべての価値概念はこのようにして相対的である
」
最近よく考えるのは、不条理に殺されたり不本意に自国を離れ難民生活を余儀なくされたりしているウクライナの人々のことです 新聞やテレビのニュースで彼らの不幸を見聞するたびに、「日本は物価が上がって暮らしにくくなった
」とか「コロナ禍で生活保護者が急増した
」とか不平不満を言いながらも、「日本には戦争もないし、何だかんだ言っても平和で安全だから、ウクライナの人たちと比べれば幸せだ」と考えてしまいます
遠藤氏の言うように「幸福」と「不幸」は相対的に捉えられています
また、遠藤氏は文化勲章受章者だけに、文化についても書いています
「一流国とは経済大国であるだけでなく文化でも一流であるという条件を備えなければならぬ」
「文化というのは、『無駄なもの』『無意味なもの』に価値をみつけること たとえば小説などはなくても人間、飯は食える。古典芸能がなくても社会生活になんら不便はない。だが、この無駄なもの、無意味なものの中に意味を見出すのが文化なのだ
これは文明とは違う。機能を認めるのが文明で、近頃はだから、文明人ばかりで文化人が出てこなくなった
」
この件については、世界的にコロナ禍における政府の文化事業への補助金問題が一時クローズアップされました この問題は一段落したのだろうか
「ドッグイヤー」こそ少なかったものの、本書のタイトル通り「人生には何ひとつ無駄なものはない」ことが伝わってくるアンソロジーです 広くお薦めします