21日(土).昨夕,地下の串焼きRでS監査役,E部長,T君,K君と飲みました 店長が自衛隊出身の元気な人に替わりました さんざん飲んで,今朝はまた頭痛です.何の話をしたのだろうか?よく覚えていません
閑話休題
真理幸子の「ふたり狂い」(早川文庫)を読み終わりました ご存知「殺人鬼フジコの衝動」の著者による期待作です.
女性誌「フレンジー」の人気連載小説「あなたの愛へ」の同姓同名の主人公が自分だと思い込んだ川上孝一は,思い余って著者の榛名ミサキを刺してしまいます 裁判を通していろいろな事件が明らかになっていきますが,その背後にはマイコという一人の女の存在があります.最初から最後まで読んで?と思って,再び最初に戻って読んでしまいました 誰が加害者で誰が被害者か・・・・わけがわからなくなってきます.「殺人鬼フジコの衝動」よりも明るい内容なので安心して読めます
さて,その本の中の「ホット・リーディング」と題する物語の中に「ソース・モニタリング・エラー」という言葉が出てきました。
「こうやって取材させてもらっていると、記憶違いや思い込みっていうのが多くて混乱することが多いんですよ。人の記憶って、あいまいなものでしょう?他からの影響で記憶そのものが捏造されてしまうこともあるわけで。えっと、確か、・・・・そうそう、ソース・モリタリング・エラーっていうんですって」
これを読んで、そう言われてみれば自分にもそういう経験があったな、と思い出しました
あれは、高校を卒業してから20年以上経った頃のクラス会での出来事でした 授業をボイコットした時の話になり、首謀者のSをはじめ、そこに居合わせた男たちが「新米女性教師Wの担当する”世界史”の授業をボイコットした」と言うのです 私の記憶とは違うので「それって音楽の授業じゃなかったっけ?」と口をはさんだのですが、皆は「世界史だ」と言います。どうも自分だけが記憶違いをしていたようです
どうしてそのような記憶違いをして、長い間勘違いしたまま過ごしてきたのか、よく考えてみた結果、「自分は新米の女性教師をいじめるような行為には加担していない、と思いたい」、一方「普段、自ら顧問を務める吹奏楽部の部員だけを”えこ贔屓”している音楽のM教師の授業をボイコットしたい」という願望があって、いつか、その願望が「音楽の授業をボイコットする」という夢の形で結実し、その夢を現実と思い込んで記憶していた、ということのようです
ついでに言えば、中学の時は音楽が大好きでした それはH先生が音楽の楽しさを教えてくれた素晴らしい先生だったからです 今でもよく覚えているのは中学3年の時の音楽の成績です。1学期=2、2学期=4、3学期=5とグングン上がっていきました。H先生のお陰でわがクラスは学校代表として合唱コンクールにも出場しました それが、高校に入った途端、上に書いたような理由で、音楽が大嫌いになってしまいました。その当時は「何がベートーヴェンは偉大だ何がクラシック音楽は素晴らしいだ」と反発していました 今の自分からはとても考えられない状況でした。
つくづく思うことは,いつの時代でも変わらないのは,いかに教師の影響力が大きいか,ということです