家人は亡くなった母親を反面教師にしているようだ。
富山県高岡市の駅前の呉服屋に育った母親は、娘時代に宝塚歌劇団に憧れていた。
そして、将来は神戸の芦屋にも住みたいと思っていたそうだ。
「芦屋夫人」になろうとしていたそうだ。
その点では、「田園調布夫人」になろうとしていた当方の母親と似ている。
60代になっても銀座の高級クラブのママさんのような派手な雰囲気の母親は、週に1回は美容院へ行っていた。
高級な化粧品、高級な和服姿。
当然の帰結であり、貯蓄ゼロで亡くなる。
祖母の立場で孫たちには、1度もお年玉をやらなかったのだ。
「あれだけ、派手にしていたら一銭も残らないわね」
母親が亡くなっても家人は母親の葬儀に出ていない。
母親とは仲たがいのままであった。
母親に溺愛されていた息子(兄)は、母の死去を妹(当方の家人)に伝えなかったのだ。
皮肉なもので、当方の母親と家人の母親は一時期、近所に住む親友同士であったのだ。
富山県高岡市の駅前の呉服屋に育った母親は、娘時代に宝塚歌劇団に憧れていた。
そして、将来は神戸の芦屋にも住みたいと思っていたそうだ。
「芦屋夫人」になろうとしていたそうだ。
その点では、「田園調布夫人」になろうとしていた当方の母親と似ている。
60代になっても銀座の高級クラブのママさんのような派手な雰囲気の母親は、週に1回は美容院へ行っていた。
高級な化粧品、高級な和服姿。
当然の帰結であり、貯蓄ゼロで亡くなる。
祖母の立場で孫たちには、1度もお年玉をやらなかったのだ。
「あれだけ、派手にしていたら一銭も残らないわね」
母親が亡くなっても家人は母親の葬儀に出ていない。
母親とは仲たがいのままであった。
母親に溺愛されていた息子(兄)は、母の死去を妹(当方の家人)に伝えなかったのだ。
皮肉なもので、当方の母親と家人の母親は一時期、近所に住む親友同士であったのだ。