記事のタイトルを入力してください(必須)

2016年11月27日 17時58分24秒 | 日記・断片
今日の地元八重洲地区の会合では、健康について話題となった。
参加した方の中のお二人が同じような症状で目まいについて報告した。
最悪のケースとして、脳の疾患を疑ったそうだ。
どうやらお二人は、耳石器・三半規管の障害に関連しているようであった。
目まいの原因は?
当方は先日、東取手病院で「貧血気味」とも指摘されたが、「めまい」には耳が原因になるもの、脳が原因になるもの、または心因的な状態で起こるものとさまざま。
三半規管に障害が起こると体が回転するようなめまいをおこす。
耳石器は加速度や重力をとらえる器官。
ここが障害されると、ふわふわするようなめまいをおこす。
また、今日は、皆さんから過去の勉学などの思い出を聞いた。
学校以来勉学に励むことはないが、生涯勉強である。
人生の核を確かにするために学ぶのである。
人生を充実させ、地域・社会貢献のために学ぶのである。

もう一度近代的価値を考えていかなければならない

2016年11月27日 11時27分45秒 | 社会・文化・政治・経済
★文壇、論壇が明確な形を失った一方、自由や平等といった近代の価値観を否定するかのような動きが国内外で目立つ。
小林秀雄から吉本隆明、江藤淳、そして柄谷行人さんに至る、文学的素養、教養をもとに社会や政治と批判を接続していく回路が一定期間、戦後日本社会の左派もしくはリベラルな勢力の知的な資源になっていました。
文学、哲学、思想、社会問題、政治問題が交差する地点で、論壇、文壇が長らく成立していた。その状況を体現した最後の人が柄谷さんのような気がします。東京大学教授北田暁大さん
★そうですね。柄谷さんは自ら「文学は終わった」と宣言して文芸評論を閉じました。東京大学教授・小森陽一さん
★1995年以降、ニューアカデミズム世代でも、もう一度近代的価値を考えていかなければならないという形で問題を引き受けていく者と、非政治化、生活保守の方向に流れていく者とに分かれました。
相対主義的な生活保守に向かった人々にとって、戦う相手は近代です。
彼らは近代は乗り越えなければいけないといいますが、その価値はそもそも社会では共有されていない。
北田さん
★近代的価値が現在では社会で共有されていないのです。
近代的な価値観が嫌なので離脱します、という感覚と言説ばかりが目立つ傾向が広がっています。小森さん
★近代・多文化うざい、の剥奪感が蔓延している。
最悪の「ポストモダン」です。
そこに相対化の極北にあるジジェク氏(哲学者)のような人も乗った。
北田さん
★同感です。
今年は夏目漱石の没後100年で、来年が生誕150年です。
100年、150年という単位で考えると、日本の遅れて始まった近代の構図が見える。
漱石は、ヨーロッパが400年かけて進めた近代化を、日本は40年で実現したと認識しています。
日本は明治のわずか40年でやってしまったという漱石の見切り方を改めて今総括することが必要です。小森さん
★急ぎすぎた近代、短縮された近代のゆがみが明治の後期に噴出し、大正を経て昭和において噴出しました。北田さん
★明治の日本が思いついた英知を、今の閉塞感を突破するツールとして使いことが大事だと思います。小森さん
★対談の背景:北田さんが冒頭で指摘したように、日本の論壇では広い意味での文学者が重要な一角を占める時代が長く続いた。
文芸評論家以外に、小説家や劇作家らも社会や政治のテーマに関して積極的に発言してきた。
小森さんが論じた漱石は代表的な例だが、確かに文学的想像力は論壇に対し、創作と、評論やエッセーの両方で多大な滋養をもたらしてきたといえる。
すると、文壇と論壇の盛衰は常にセットで起こるろも考えられそうだ大井浩一さん