創作 ヤマユリ

2024年08月15日 11時50分01秒 | 創作欄
 
恋愛らしい恋愛の体験がないまま一郎は結婚した。
「恋愛と結婚は違いますよ」一郎は弁護士夫人の遠山紀子に言われたことを長く胸にとどめていた。
一郎は小学生向け学習辞典の販売で、世田谷区等々力の遠山宅を訪問した。
お手伝いさんが玄関の応対に出た。
何時ものとおり「学校の方から来ました」のセールストークで訪問の主旨を伝えた。
それで一郎は応接間まで案内されたのだ。
約半年の短い営業活動の期間で、応接間まで通されたのは初めてだった。
「ご苦労さまです」と柔かに笑顔で応対する夫人は、30代と想われたがお嬢様さんタイプで世間ずれしてはいないように想われた。
一郎は多少の後ろめたさを感じたが、黒革の鞄から学習辞典の1冊を取り出して説明した。
「とても良い学習辞典ですね。いただきますわ」とすんなり売れたのである。
娘さんは私立のお嬢さん学校へ通学していて、夫人から学友の数人を紹介されたのだ。
一郎は夫人が本棚から出しきた学年名簿を夫人の指で示されたので、手帳に住所と名前を記入した。
「わたくしが電話をしておきますわ。是非訪問してください」と親切に言うのだ。
思わぬ収穫であった。
応接間にはヤマユリが大きな紫色の花瓶に飾られていた。
豪華で華麗な花で、直径は20数センチ、「ユリの王様」とも呼ばれている。
応接間に漂う香りは甘く濃厚であった。
「美しい花ですね」と一郎は目に留めた。
「わたくしの誕生日が昨日でして、主人から贈られましたの」と夫人は微笑む。
一郎は夫人にすすめられてイチゴのシュートケーキを食べた。
「学校の方から来ました」というセールストークを信じ込んでいる人のよい夫人であった。
本棚には吉屋信子の小説の他に堀辰雄、太宰治、三島由紀夫、川端康成、立原正秋などの箱入の書籍が並んでいた。
「小説がお好きなのですね?」と聞いてみた。
「女子大学時代に恋いで真剣に悩みましてね、本に解决を求めた時期もありました」夫人は醒めたような瞳をしていた。
一郎はどのような恋であったのかと想ってみた。
「でも、恋愛と結婚は別です。違いますよ」と夫人はきっぱりとした口調で言う。
一郎にその夫人の言葉が深く残ったのだ。
一郎は高校時代、大学時代の青春の真ん中にあって恋愛らしい恋愛の体験がなかった。
「結婚するなら恋愛に限る」と思い込んでいたのだが、そのような縁には巡り合わなかった。
ヤマユリは弁護士夫人だった遠山紀子の華麗な姿を彷彿させた。
その2年後、傷害罪で新宿署に逮捕された一郎は遠山紀子の夫の幸吉に弁護を依頼したのだった。





記事:7月11日毎日新聞





















 

創作 一郎の従弟幸雄の恋

2024年08月15日 11時43分50秒 | 創作欄
牛田一郎と従弟の幸雄は誕生日が1日違いであった。
歌人であった叔父の影響であろうか、高校生になってから2人は競うように短歌を作りだした。
短歌のレベルは残念ながら初心者のレベルの域に留まっていた。
師と仰ぐ人が身近にいたわけではないし、歌壇に残されている優れた歌人の歌集を読んでもいなかった。
ただ、指をおりながら5、7、5、7、7と言葉を並べて満足していた。
○ 夕闇の金木犀の香に想う君が面影文にどどめん
幸雄が下校途中の彼女と出会ったのは、材木町の街角であった。
秋は恋心が芽生えるような予感をさせる季節であった。
「一郎、俺、恋をした。一度、彼女のこと見てくれや」幸雄は高揚した気持ちを打ち明けた。
一郎は未だ恋いらしい恋の機会には巡り合っていなかったので、「羨ましいな、ユキが恋をしたんか。本気か」と確認した。
「出会って、不思議な気持ちになった。俺、彼女と結婚するよ」一郎の目は常になく真剣である。
「結婚、まだ早すぎるよ」一郎は呆れた。
「早くなんか、ないよ。姉やんは15歳で結婚した。俺は17歳、来年は18歳なるよ」一郎は語気を強めた。
「そうか、それではその彼女に1度会ってみよう」一郎は半信半疑であったが、どのような相手なのか興味も湧いてきた。
翌日、材木町で下校する沼田女子高等学校の生徒たちを2人は待っていた。
2人は沼田農業高校に通学していて、母親たちの母校の生徒に多少は親近感を抱いていた。
伯母の松子は沼田女子高等学校1期生、一郎の母は7期生、幸雄の母は5期生であった。
「おい、彼女が来たよ。3人連れの真ん中が彼女だよ」幸雄の声が高くなっていた。
一郎は幸雄が恋をした女子高生を認めた。
彼女の視線が幸雄に注がれていた。
彼女は笑顔になっていた。
だが、一郎は両側の女子高生と比べ彼女が見劣りすると思ったのだ。
面食いの一郎は右端の子を見て「何て可愛いのだ」と視線が釘付けとなっていた。
「一郎、彼女どうだ。可愛いだろう。気持ちも好きになれそうなんだ」
「あれが惚れた彼女か。そうなんだ」一郎は頷いたが拍子抜けがした。
幸雄は歌を添えて恋文を彼女に手渡した。
「これ、読んでくれや」幸雄は気持ちが高揚していた。
「ありがとう」彼女は恥じらいと多少の戸惑い期待感から笑顔を赤らめた。
彼女に気持ちが通じて幸雄は有頂天になった。
「こんなに、うまくいくんか」と幸雄は恋の勝利者の気分に染まっていく。
「後で読むからね」
姫木典子は渡された封筒を鞄に収めた。
2人は初めてのデートを楽しむように沼田城址へ向かって肩を並べ歩いて行く。

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実はこの創作は、午前11時ころ入力したが、何の間違いか消えてしまった。
さらに、パソコンがフリーズして復帰したのが午後6時である。
同じような文を再現した。
再現してからアップの段階でまたパソコンがフリーズする。
その間、囲碁、将棋で時間を潰す。













創作 16歳の姉や(お手伝いさん)の裸体

2024年08月15日 11時36分55秒 | 創作欄

一郎は親友の浅野賢治君に誘われ、2年生の時に絵画教室に通うこことなった。

一郎の姉は母から大正琴を習っていたが、やがてピアノを習い出していた。
「一郎も何か習う?」と母親に問われた時、「絵画教室がいい。賢治君も一緒だといいね、と言うんだよ」気持ちを伝えた。
「そうなの。賢治君のおじいさんは、フランス帰りの絵描きさんなのよ。賢治君はおじいさんに習えばいいのにね」母の信枝は怪訝な顔をした。
西洋画壇の重鎮であった浅野陸乃は東京芸術大学の講師の立場でもあった。
一郎が通っていた絵画教室は、浅野陸乃の教え子の一人である大村美智子が主宰していた。
田園調布の駅から5分ほどの閑静な住宅街の一角の屋敷1階のアトリエで、美智子の父親は貿易商であり、彼女はお嬢さん育ち。
生徒は小学生ばかりで、常時6人であった。
毎日、デッサンでモデルは美智子の家のお手伝いさんが務めた。
時には生徒の一人が指名されモデルとなった。
一郎はモデルとなるのが苦痛であった。
ほとんど不動のまま座っていることが耐え難かったのだ。
一郎が絵画を止めたことを記す。
賢治君の家の16歳の姉やが浅野画伯の裸体画のモデルとなったのである。
一郎は賢治君のおじいさんのアトリエが気になり覗きに行ったのだ。
その日、賢治君は歯医者へ行っていた。
窓越しでの有様であった16歳になった姉やの裸体に一郎は大きな衝撃を受けた。
画筆を握り裸体の姉やを凝視する賢治君のおじいさんは、獲物に挑む野獣のように映じたのである。
「イヤラシイ!」と裸体画を描くことすら小学校2年生の一郎には汚らわしく想われたのだ。
「見てはいけないものを見た」という後ろめたさを感じた。
姉やは足を開いており、黒々とした陰毛も明からさまになっていた。
一郎は絵画教室に通うのを止めた。
「どうして?なぜなの?」と賢治君に何度も問われたが一郎は沈黙を貫いた。





















創作 15歳の姉や(お手伝いさん)

2024年08月15日 11時27分03秒 | 創作欄
沼田一郎は小学校へ入ってから初めて引け目を感じた。
一郎は東京・大田区田園調布本町の桜坂の下にあった三井精機の宿舍に住んでいた。
親子4人が6畳一間で生活をしていたのだ。
学校の帰りに学友の1人が「家に来いよ」誘ってくれた。
高い木塀に囲まれた家で、まず門の大きさに目を丸くした。
浅野の門札も大きかった。
門の脇の木戸を潜ると木立に囲まれた西洋館と2階建の和風の住宅があったのだ。
西洋館は学友の浅野賢治君の祖父母の住まいであり、和風の建物の玄関の呼び鈴を押すと
お下げ頭のお手伝いさんが賢治君を出迎えた。。
「坊ちゃん、お帰りなさい。お母様はお買い物でお出かけですよ」と笑顔がまだ幼い。
「どこまで、行ったの?」
「渋谷までと奥様はおっしゃってました」
お母様、奥様と呼ばれている人は一郎の周辺には居なかった。
「お腹すいたな。何かない?」
「羊羹、最中、甘納豆、カステラなどがあります」
「どれか出して。一郎君、僕の部屋は2階だよ。上がって」
一郎は薄汚れた運動靴を脱ぎ裸足で絨毯を踏みしめた。
その奇妙な感触をまず味わった。
「あの人は誰なの?」
「姉やだよ」
一時期、姉や(お手伝いさん)たちが学友たちの送り迎えてしている時期があったが、ある日、父兄会で問題視されその習わしは禁止された。
無論、自動車での送り迎えも禁止となった。
レースのカーテンが風に揺れ、部屋に金木犀の香りが漂った。
昭和25年の秋のことで、金木犀の香りの季節になると一郎は15歳の姉やが運んで来たお茶と初めて食べたカステラのことが思い出された。
想うに姉やが可憐に映じたのは絣のモンペ姿であったからかもしれない。




















 創作 鶏肉が苦手

2024年08月15日 11時24分19秒 | 創作欄

 当方はカメラマンではない。

自称写真家である。
正確に言えば写真・映像愛好家である。
カメラが2度も壊れて動画は止めたが、静止画像でもそれなりに切り取れる映像がある。
昨日、「カメラマン、今度は何処へ行くの?」と顔なじみの人から声をかけられた。
「予定はありません」と答えた。
だが、相手の名前も聞いて居なかったし、どこに住んでいるかも知らないが、「おお、また会ったな、カメラマン」と出会うと笑顔で寄って来るのだ。
時には「おお、会長」と声をかけられる。
年齢は70代の中頃であろうか?
「取手においしい焼き鳥屋は?」と尋ねられた。
実は当方、鶏肉が苦手なのだ。
話は幼児のころにさかのぼるが、ニワトリをペットのように想っていた。
ニワトリはトウモロコシを与えると手の平からでも食べた。
雛鳥の頃から慣れ親しんだニワトリたちである。
だがある日、その中の1羽が居なくなっていた。
徹は従兄の朝吉に尋ねた。
「ニワトリが1つ、居ないね。どうしたの?」
「ニワトリ?昨夜、徹も食べただろう。おいしかっね」
「食べた?!」徹は正確にその意味が理解できなかった。
昭和23年、卵は貴重なご馳走であった。
当然、鶏肉もご馳走であった。
東京大空襲の前の月に徹と姉、妹たちは母の実家(取手・小文間)に疎開し、約3年余田舎暮らしをしていた。
その間、徹の父は関東軍に居て終戦を迎えたことから満州からソ連へ連行されていたのだ。



















創作 「桜坂」おわり

2024年08月15日 00時46分44秒 | 創作欄

北村清治は、母の梅子と、妹の春子と銭湯に行っ日に、たまたま母と妹の二人を桜坂で写真にとどめることとなる。

その時のカメラは1000円の小型のものであり、11歳の誕生日に祖父から贈られたものであった。

そして桜坂の上の商店街の写真屋に現像を頼む。

すると、その店の主人が「君は、写真の才能があるかもしれないな。構図がいいんだ」と褒めるである。

だが、小学生の清治には「構図がいい」の意味を図りかねずにいた。

時は経て、19歳になった妹の春子は、その時期は勤務した企業で残業続きであったのだ。

妹は当時、日比谷にあったミシン会社に勤めていた。

「お兄ちゃん、なるべくなら、春子のこと用賀駅まで向かいに来てね。お願い」春子の懇願に対して、兄の清治は上の空であった。

清治はその日、大学の同期生の杉田桃子とデートの約束をしていた。

そして、行きつけの歌声喫茶「灯」で二人で歌い、盛り上がった後にラブホテルに向かう。

悲劇はその時間帯に起きたのである。

妹の春子は、用賀駅から付けていた男から、自宅からわずか5分の地点の畑の中に連れ込まれて強姦されしまう。

近くには小川が流れていて、男から強姦された春子は当時、流行した歌謡曲の「川は流れる」を犯されるなかで果敢なくも脳裏に浮かべていたのである。

男から乱暴なまでも何回も身体を犯されて家に辿りついた春子は、自分の部屋の机に飾ってあったあの日に、兄が写した自身と母の桜坂の写真を涙を流しながら見詰め、何時までも遠き日の思い出の中に身を投じていたのである。

「同じに、男から犯されるなら・・・お兄ちゃに犯されてた方がいかった」春子は日記に記していたのだが、後日のその箇所を黒地で覆い隠したのである。

それは、決して他人には絶対に明かさない複雑な女の不可思議な心情であったのだ。