何と言うべき偶然であろうか、福子は過去に中学生であったゆかりと、桜桃忌で出会っていたのだ。
福子は大学での卒論に際して、「太宰文学の愛と死」をテーマにした。
当時、21歳の福子は太宰の桜桃忌に初めて行ってみた。
その後、心が支配されたように毎年のように桜桃忌へ足を向けていた。
当時は、オウム心理教による、凶悪事件が起こっていた。
そのことは、福子にとって「宗教は何のためあるの?」と率直な疑問を抱かせたのである。
だが、福子は、同期生の晃に誘われて参加した仏教系の宗教の座談会で、宗教の真の意義を知るが信仰に至ることはなかった。
そして福子は、太宰文学にますます魅了されていくのだ。
参考
太宰文学ファンには、政治運動の挫折、精神病、心中といった、ショッキングで破滅的な、ゆえに魅力的な「太宰神話」を抱く人が多かった。
だが、一方では、小説家太宰治の本領とはむしろ、どんなにシリアスな場面でもどんなに苦しい場面でも、どこかそんな自分を俯瞰して、自分で自分のことを笑ってしまうような感覚にあるのではないか。
あるいは逆に、一生懸命に、切実にふざけているような感覚にあるのではないか。
言葉によって着飾り、また、言葉によって苦しんだのが太宰治という小説家である。
自分の思いは言葉でしか表現できない。でも、その言葉は自分の思いとは違ったかたちで伝わってしまう。
だからまた言葉を発する。その必死さが滑稽であり、愛おしい。